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到着
「ッ、久美子‼︎」
「はい。お客さん、着きましたよ」
タクシーは一人でにドアを開けてその料金を示した。俺はかつてない高額を叩き出したメーターと同じ額を、財布から探し出す。じとりと背中にかいた汗が気持ち悪かった。長い山道に疲れた俺は、爽やかな潮の匂いに癒されながら村の入り口に降り立とうとした──が、運転手が再三、俺を引き留めにかかる。
「この村は他所モンを極端に嫌う。噂もよくない。悪いこた言いません。帰った方がいい」
「ここに元カノがいるんですよ。結婚したんですけどね。今度会社で『村』の特集組むことになったから、ついでに会っていこうと思って。大丈夫、話を聞いたらすぐ帰りますから」
「はあ。それならいいですが。ココ電波入んないんで連絡は公衆電話からお願いします。一応あの山に線路が走ってるんですが、駅はないし、電車も一週間に一度くらいしか通らないんで、そっちは使わない方がいいですよ。
でもお兄さん、本当にやめといた方が」
「それじゃ。また連絡しますんで」
バン、とドアを閉め、俺は軽く会釈をしてタクシーを見送った。
荷物を肩に背負い直し、今日の宿泊先やら聞き込みやらについて考える。ここは、山と海に囲まれた閉鎖的で封建的な山陰の漁村だと言う。
確かに、立ち昇るような陰気な雰囲気に包まれてると、俺は思った。
久美子……半年前まで付き合っていた俺の恋人だった女だ。
結婚したいとまで思っていたのに、どうして急に俺と別れて遠く離れたこんな村に嫁ぐ決心をしたのか、結局俺は最後まで聞けなかった。それまで同じ未来を目指す記者として、現場を走り回っていたというのに。
特集のテーマを聞いて、俺はこれ幸いとばかりにここまで来た。
一目でいい。取り憑かれるようにして追った事件すらほっぽって突然結婚した君に、俺はもう一度会いたい……!
俺はとりあえず、彼女の住まう家に向かおうと一歩を踏み出した。
その瞬間──なぜだろうか。
村を囲う峨々たる山々が、嘲笑うように伸び縮みしたかに見えた。
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