久美子の手帳

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久美子の手帳

「まだええじゃろうが」  しつこく食い下がる久美子の夫を振り切って、俺はタクシーを呼んでこの村から一番近い役所や図書館を訪れた。村では何の情報も得られないからだ。  一番の収穫は久美子の手帳が見つかったことだった。  彼女は村から一番近いこの図書館の司書に、個人的にそれを預けていたらしい。手帳には彼女らしい大胆な文字であの村……「井邑瀬(いむらせ)村」の事が記されていた。  あそこは江戸中期にとある漂流者を助け、その者が来てからというもの、急に色んな魚が獲れ出し儲かったらしい。が、他村との交流が上手くいかず村興しには至らなかった。とにかく閉鎖的で、商いに向かない地域性に問題があるらしい。  彼女は原因を調べようと歴史を漁ったが、人為的に消された痕跡があると言う。特に件の漂流者については何もかもが消されている。  そして戦後すぐ、この村にひとりの僧が偶然訪れる 。その僧は井邑瀬(いむらせ)村の異常性に気付き、その秘密を調べ上げ、手記を(したた)めたという。消息を断つ前に友に送った手紙によると、手記は己鳴(みなり)神社の裏に埋めたと書いてあった。  久美子自身はその手紙で井邑瀬(いむらせ)村の内情を少し知ったらしい。とも関連性もあり、もっと深く調べたいと思った彼女は「決定的な一手」を求めた。  手帳にはざっとそのような事が記されていた。  記載してある「決定的な一手」が「結婚」だったのだろうか。  なぜ、異常性に気付きながらも首を突っ込んだのか。  文面からも村の危険度が伝わってくるのに、彼女をそこまで駆り立てた「秘密」に……俺の疑問は尽きない。  彼女は一体、何を掴んだのだろう……?  俺は思いを巡らせる。  正直、あの村に戻るのはもう嫌だった。今こうして、無事にあの村から出れただけでも幸運だと思っているほどだ。  だのに──俺はあの村の秘密を暴きたい……! 「井邑瀬(いむらせ)村まで」 「ええっ⁉︎」  ジャーナリストの性なのだろうか。  行き渋るタクシーの運転手に「お釣りはいらないから」と言って、予想金額より多めの札を置いた。  一度脱出した村へと俺は引き返す。  初めて足を踏み入れた昨日と違って、タクシーの中から見下ろしたそこは──まるで村そのものが闇を好む生き物の巣のようだと思った。
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