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そのうち、ニオイの話をすると母親の顔がくもるのと同時に、冷気を含んだ空気に変わることに気づく。理由はわからないけれど、このことは話しちゃいけないんだ。そうでないと嫌われて、追い出されるかもしれない。そうなるくらいなら、自分の中にしまっておこうと考えるようになり、あまり話さない大人しい子になっていた。
自分が感じているこのニオイは、パンが焼けた香ばしいにおいといった本当のものではなく、誰かの気持ちから発しているものかもしれない。そんなことをおぼろげに思い始めるようになった。でも、母親はもちろんまわりの大人にも聞くことはできず、近所の友達や友達のお母さんたちに気味悪がられ、トラブルを起こしながら、少しずつ「多分そういうことなんだろう」と思ったに過ぎない。
小学3年の夏休み、確信に変わる出来事が起きた。
おばあちゃんが急死したのだ。母親にとっては姑。正直、怖いおばあちゃんというイメージで、母親にもキツく当たっていたように思う。元々、強い性格の人だったからか、親戚が集まるお通夜は悲しみに暮れるというよりもどこか軽い雰囲気で「まあ、苦しまなくてよかった」という声が飛び交っていた。子供ながら、何がよかったんだろう。もう会えなくなるのがよかったのかな。それは何だかさみしい。そう思ったのを覚えている。
異変はお葬式で起こり始めた。近所の人や昔からの知り合いが訪れると、強烈なニオイを感じはじめる。今まで嗅いだことのない、汚物のような腐ったニオイ、体温を奪われそうな冷気、それらを覆い隠そうとする強い芳香剤の偽物の花。それが誰からにおうかと言われたら、そこにいる全員と答える他ない。親戚はもちろん、お焼香に訪れた人たちからもにおっている。いや、そんな風に感じたというのが正解だろう。とても嗅ぎ分けることなんて、できない。
ニオイの洪水に息ができなくなり失神したらしく、気づいたら奥の和室で寝かされていた。目が覚めて、まず思ったことは「あ…息ができる」だった。思いきり息を吸い込むと、古い畳とかすかな線香のにおいが落ちつかせてくれた。
しばらくすると叔母さんが入ってきて、上半身を起こしている私に気づき駆け寄ってきた。
「あああ、よかったー! みんな心配したのよ。疲れちゃったのかな?」
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