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「誤作動、暴走、感情操作不能……。これらの問題を誘発する要因と社会とが切り離せないことは、ほんの少し思考を働かせれば誰にでも理解できたはずだ。利益と損害、吉と凶……。プラスとマイナスは常に表裏一体なのだ。それを、妄りに世へ送り出したばかりに……。いや、開発の過程で未然に防ぐことも可能だったのかもしれないな……」
博士は目元に掛かった白髪交じりのほつれ髪を指先でつまんだ。これは、普段あれこれと考えを巡らせる際に、彼がよく見せる癖であった。
「製作段階では百パーセント不可避の事態です。貴方が責任を負う必要はありませんよ、博士」
その声に含まれた、しかし含まれるはずのない寂寥と憐憫の気配を敏感に感じ取った博士は、突然弾かれたように顔を上げた。
けれども、その瞳は相変わらずカメラレンズのように冷たく、じっと彼に向けられているだけであった。
博士は再び目を伏せ、その表情に懊悩を露わにした。
「……しかし、その所為で私は、自らの手で生み出した者たちを自らの手で葬り去らねばならなくなった。なんとも愚かな皮肉ではないか」
「博士、論理の倒錯が認められます。最適解は既に出ているはずですよ」
彼女は氷の仮面を崩さず、しかし穏やかな足取りで博士の傍へと歩み寄った。そして、ずっと白衣のポケットに仕舞われたままであった彼の左手を引っ張り出した。
そこには、丁度シガレットケースほどの大きさをした、長方形のリモコン型装置が握られていた。表面にボタンが一つだけ突出している、ごくシンプルなデザインのものである。
「……気付いていたのか」博士が言う。
それは、つい先日彼が発明したばかりの、H・Bの全システムを強制停止させるスイッチだった。
「博士の出した最適解です。異論を持つ者などいません」
――勿論、私も含めて。
そう言った彼女の瞳は相変わらず無機質なカメラレンズだった。
しかし、逆光線だろうか? その虹彩の遥か深層部分で、非人工的な光が微かに揺らいだように、彼には見えたのだ。
ああ、そうか、と博士は思う。
彼女は私を信じているのだ。私が、また彼女を作り直すと――。
彼は確固たる自負をもって、その淀んでいた瞳に微かな光を浮かべた。眼前の無機質な肌に手を伸ばし、そして静かに瞼を閉じる。
博士は、スイッチを押した。
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