神様の瞳色

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「海と空。それぞれ何色?」 その問いに、私は面食らって顔をしかめた。 「どっちも青じゃないの?」 「大きな括りで見るとね。でも、厳密には全く別の色」 そう言ってベッドから立ち上がると、神様は片手を腰に当てて、もう片方の手を宙に掲げた。学校で、国語の先生がよくするポーズだ。指先でつままれた爪楊枝が、段々と指示棒に見えてくる。 「同じ青色でも、日本語で表そうと思えば数えきれないくらい色々な言い方がある。藍色、縹色、浅葱色、露草色――。その中にまた青藍、濃藍、深縹、白縹、水浅葱、薄浅葱――。木と同じように、もしくはそれ以上に、無数に細かく枝分かれしている。それこそ、神様でさえすべては知り尽くせないくらいにね」 なるほど、と思った。 信号機の青が青じゃないって昔よく思っていたけれど、あの青にはあの青で、ちゃんと名前が付けられていたということか。感心する私を横目に、神様はさらに話を続けた。 「もちろん、色だけじゃない。匂い、音、時間、気持ちなんかもそう。人間一人一人に名前がついているのと同じで、一つ一つのことに、昔の人は何通りもの言葉を当てたんだ」 「時間も?」 心に浮かんだ疑問が、そのままスルリと口から滑り落ちる。そのことに気付いて、自分で驚いた。いつの間にか、神様のペースに乗せられている。まるで隙の無いセールスマンのようだ。しかし、不思議と嫌な気はしなかった。神様は黒いけど青い目を細めて笑った。 「例えば、〈逢魔時〉って聞いたことある?」 「おうまがとき?」 聞いたこともない。私がオウム返しで尋ねると、神様は「そう」と言って軽く顎を引いた。 「〈魔〉物に〈逢〉う〈時〉間って書いて、〈逢魔時〉。薄暗くなって、昼間は大人しかった恐ろしい妖怪たちが、人々に災いをもたらす時間帯だって意味でそう呼んだらしい。でも、同じ時間帯を指す言葉に〈灯ともし頃〉っていうのもある。文字通り、家々が灯りをともし始める時間帯。〈逢魔時〉はおっかない感じだけど、それに比べると〈灯ともし頃〉の方は、なんか温かい感じがしない?」 「するかも」私は頷く。 どちらも同じ時間帯を指しているはずなのに、受ける印象がまるで違う。 「でしょ?」神様はそう言うと、満足そうに微笑んだ。 「人によって、感じ方によって、同じことにも次々違う名前があてられていく。……たしかに、言葉が限られたものだっていうのも強ち間違いじゃない。言葉と他の経験とじゃ、そもそも構造の次元が違うだろうし。そうでなくとも、もとになっている音はたったの五十個だし」 でも、と言ってから、神様は低いテーブルの脇を通って私のすぐ隣まで歩み寄った。参考書を避けて机に片手をつく。陽の光に直に照らされて、その瞳はますます澄んだ青色に見えた。 「でも、だからってその五十個の音で表せる〈こと〉までが限られるわけじゃない。五十個の音をいかに組み合わせるかで無限のことが表せる。数学の確率でも、きっと気が遠くなる計算だ。何百年後、何千年後でも、新しい言葉を生み出せる。全然つながりがないと思われていた言葉同士が、とある拍子に偶然くっついて、まったく新しい言葉が生まれることだってあるかもしれない」 ――それって、すっごくヘンテコで、素敵じゃない? 「だから、私は日本語が……国語が好き」 ビリビリッと、妙な感覚が全身を走った。お腹の底から熱湯が湧き上がるような、あるいは電気がゆっくり流れるような。ちょうど、壮大な映画のクライマックスシーンを見たときの感じに似ている。神様の声、表情、風の吹き込むタイミング、カーテンの揺れ方、嘘みたいにキッパリとした空の青、そしてその全ての中心に、つい目を逸らしたくなるような怪しい、それでいて宝石よりも綺麗な神様の瞳がある。 この空間を構成するすべての要素が綯い交ぜになって、ひどく日常離れした、訳もなく無性に泣きたくなるような感じを引き起こしているのだ。この感じをそっくりそのまま言葉にすることはできない。でも、それはきっと、頭の良し悪しなんかではなく、もうきっと元からそういうものなのだ。知識とかではどうにもならない、直感的なものなのかもしれない。
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