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割れた半月板を縫合する手術は全身麻酔で行われて、気が付いたらベッドの上だった。
今日から2日間入院か……。
学校には退院翌日から行けるそうだけど、サッカーは半年近くはできないらしい。ランニングぐらいは3か月後頃から様子を見ながらという感じのようだ。リハビリは最初は毎日。少しずつ間隔が開いていくとのこと。
「来年のレギュラーはずされるかもな」
一昨日のことを思い出すと、また涙が浮かんだ。俺一人がプレーしているわけじゃない。それでも思ってしまう。あと5分、ちゃんと動けてたら逆転できてたんじゃないか。怪我さえしなければ、半年もサッカーを我慢することもなかったのに、と。
来年は高校三年。サッカーで推薦を狙っているから、勉強はあまりしてきていない。
「まだ諦めたらダメだ。今は治すことだけ考えて、一刻も早く部活ができるようにしよう」
俺は自分を鼓舞するようにそう言うと、布団を首元まで引き上げた。
翌日。
麻酔がきれてからは手術前とはまた違う痛みも加わった。
松葉杖で怪我した左足に負荷がかからないように動くための練習をする。膝は90度以上は曲げてはいけなかった。普段何気なく動いている膝が動かせないだけでこんなに不便なのだと痛感させられた。
退院したら学校では自分で歩かなければならない。俺は理学療法士の先生の言う通りに何度も松葉杖を使って同じところを往復した。
「頑張ってるね」
少しずつ慣れてきたものの、トイレまでの道に悪戦苦闘していると声をかけられた。相楽さんだった。
何でだろう。相楽さんの浮かべる笑顔はどこか普通ではなくて、俺は戸惑った。
「しばらくは松葉杖みたいだけど、松葉杖がとれてからがもっとリハビリきついらしいよ」
どこか試すような相楽さんの言葉。
「えーっと、そうみたいだけど……何? 俺、相楽さんに何かした?」
「別に。坂口君はきっと今みたいにきつくても頑張るんだろうなと思って」
何か心にざわざわくる言い方だ。
「そりゃ頑張るよ。早くサッカー復帰したいし」
俺がちょっと憮然とした感じで答えると、今度は相楽さんは寂しそうに笑った。
「そう、だよね。うん。頑張ってね」
そう言って去ろうとする相楽さんを俺は呼び止めた。
「待って。何かあった?」
「……なんで?」
「なんとなく情緒が不安定というか」
相楽さんは大きな目で俺をじっと見つめた。いや、見つめるというより睨んでいた。
「私のことをどんな風にとらえてるか知らないけど、私はいつも上機嫌なんて無理」
相楽さんの言葉に俺は、「まあ、そうだよな」と思い直した。俺だってまだ入院1日目だってのに、心には不安が渦巻いている。
昨夜寝ていると、どこからともなく、
「お母さん〜!」
と叫ぶ老人の声が響いてきてあまり眠れなかった。人間は助けを求める時に母親を思うのだな、なんて考えて切なくなった。
相楽さんは入院してどのくらいなんだろう。そしていつまで入院なんだろう。
「幻滅した? ね? 一目惚れなんて、当てにならないんだよ?」
そう言う相楽さんは傷ついた獣のような目をしていた。
「幻滅なんてしてないよ。ますます知りたくなったよ、相楽さんのこと。毎日どんなことを考えて過ごしてるのか」
俺の言葉に、相楽さんは目を一度伏せて、
「坂口君て、変な人」
と言った。
「変な人の俺は、相楽さんの病室が知りたいんだけど。トイレ済ませるまで待っててよ」
俺が笑って言うと、相楽さんはふっとどこか呆れたように笑って、
「分かった。行って来なよ。待ってるから」
と言ってくれた。
相楽さんの病室まで松葉杖で歩く。相楽さんもその俺に合わせてゆっくりと歩いた。相楽さんはゆっくりなのに少し息が上がっていた。俺の歩調に合わせて歩いていたのではないのかもしれない。それだけ相楽さんの心臓がよくないのだ。
「ここだよ。私の病室。で、ここが私のベッド」
相楽さんのベッドは四人部屋の右側の奥の窓側だった。ベッドの横の棚には、文庫本が何冊かと、花火の写真集が置いてあった。
俺の視線に気付いた相楽さんは、
「花火、好きなんだ」
とぽつんと言った。
「今日、そう言えば、夏祭りの花火が上がるんだよ。知ってた?」
俺は首を横に振る。
相楽さんは内緒話をする様に唇を俺の耳に寄せて来た。どきりとした。
「ねえ、一緒に見ない? 消灯前だし。私よく見える所知ってるんだ」
俺は相楽さんの誘いに急にテンションが上がる。心臓もこれ以上ないほど早鐘を打っていた。
「いいね。一緒に見よう!」
俺の返事に相楽さんは今日一番嬉しそうな笑顔になった。
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