129人が本棚に入れています
本棚に追加
九月十四日(月)
「……呆れた。調べたのか」
真宮は机に頬杖を着き、俺に向かって口の端を上げた。
教師が続々と講師室に入って来るため、思わず声量を下げる。
「鵜川さんだけ、新聞に載ってました。伊藤さんと相生さんの二人についてはわかりません」
週明けに登校した俺は、朝一で社会科講師室へ向かった。
土日も国分寺へ通い、地元新聞のバックナンバーを調べたが、二人の情報は無かった。鵜川の情報も、結局あれきりだ。
返答を黙って訊いていた真宮は、「ちょっと来い」と言った。
促されて講師室から出る時、何の気なく後ろを振り返ると、窓際で皆川と話をする西念と視線が交わる。
慌てて目を逸らす。
何故西念が社会科講師室にいるのか、と苛立ったが、奴の担当が倫理だったことを思い出し、見られたことに焦りを覚えた。また何か牽制されるかもしれない。
社会科講師室を出ると、目の前に中庭に面した窓がある。真宮は窓に近付き、俺もその隣に立った。
「相生は事故、伊藤も両親の運転する車に乗って、自損事故で亡くなっている。まあ、それが一ヶ月の間に起こったんだから、亡くなった三人のクラスメイト達は私に不安を訴えたんだろうな」
授業の開始前に中庭に出ている生徒を見ながら、真宮は言う。
通り魔に、事故が二件。しかも同じ学校内の、同じクラスから出ている。確かにそれは不安になるかもしれない。
真宮はいつに無い真剣な表情をしていた。
「亡くなった三人に共通点は?」
真宮は首を横に振った。
「同じクラスだったという以外、詳しいことは覚えていない。
最初に亡くなった鵜川は、日本史選択だから覚えてた。成績はまずまずだったし、創作に興味を持っていたようだ。漫画研究会に入っていた」
「他の二人と仲良しだったとか?」
「他の二人のことは、残念だがあまり記憶に無いんだ。
彼女らがいたのは三年四組だったから日本史選択じゃない子もいた」
それを訊いた俺は合点がいった。
この学校は各学年七クラスあるが、それが三年次に文系四クラス、理系三クラスに分かれる。
文系四クラスは更に、選択授業で何を選ぶかによって、クラス分けされる。
その中でも三年四組は、毎年一から三組に入りきらなかった生徒が寄せ集められていた。
つまり、異なる選択科目を持つ生徒がクラス内でも混在していたのだ。
真宮が溜息を吐く。
「……こんなこと言うとなんだけどな。私も当時少し『気持ち悪い』と思った。
教師になって四年だったが、それまで生徒が死んだことも無かったからな。
勿論、悲しさや憤りもあったが、……何より奇妙に思った」
教師失格かな、と真宮は笑う。俺は首を横に振った。自身が教師だったとしても、戸惑っていた。そう思う。
真宮は、それとな、と言葉を継ぎ足した。
「……あの時、田中先生が『またか』って言ったのが、何か頭を離れなくてなあ」
それを訊き、背筋を氷で撫ぜられたような感覚が広がった。
田中先生は、このことについて、何か知っているのだろうか。そしてそれは、歩の件にどう関わって来るのだろうか。
背後でガラガラと音がした。「お、野々市じゃないか」と、皆川の声がした。
振り返ると、皆川と、後ろに付くように西念が立っている。
皆川がワイシャツにネクタイで腕まくりをしている一方で、西念はハイネックにジャケットというシンプルな出で立ちだ。ともすれば、もっさりした印象を持たれる服装だが、スラリとした体形に似合っているのがまた憎い。
それにしても、実習生にしてはラフな格好だが、何も言われないのだろうか。
「なんだ、野々市。真宮先生に質問か?」
小麦色の肌に白い歯を光らせて笑う皆川に、俺は「ええまあ」と曖昧な返事を返した。
ちら、と西念を見ると、屋上で見せた何事にも無関心な表情とは異なり、爽やかな笑顔を浮かべている。先ほどとは違った意味で背筋が寒くなった。
すると、腕時計を眺めた真宮が「こんな時間か」と言った。
「明日、田中先生が出勤したら、伝えておくからな」
と言い残し、真宮は手を上げ講師室へ戻っていった。西念の前で余計なひと言を、と心中で舌打ちしていると、皆川が「ほら、そろそろ行くぞ」、と俺を促した。
仕方なく、歩きだした皆川の後を追おうとすると、後ろから声がした。
「止めとけ」
振り返る間に、西念が俺を追い越す。
目の前で、ジャケットの裾が翻った。
「何を、ですか?」
こいつの言うことはいちいち鼻に付く、と憤慨しながら後を追う。自分で言い置いた癖に、奴はこちらを見もしない。
「深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いているのだ、だよ」
「倫理の先生らしい。ニーチェですか」
俺が鼻で笑うと、西念が一瞬こちらを見た。
その目は射るように鋭くて、今までに見た、奴のどの表情とも違った。
こちらが竦んでしまうような凄みがあるのに、何故か悲しげに見える。
何となく、父親を思わせる表情だった。
思わず立ち止まる。西念はすぐに視線を前へ戻した。
皆川は既に廊下の突き当たりを右に曲がっていくところだ。西念は皆川よりも身長が高いくせに、ゆったりした歩調のせいか、追いつく様子はない。
「親気取りですか?」
皮肉のつもりで言ったが、喉を通り抜けた自分の声が子供の駄々に聞こえて、嫌になった。
西念は俺の皮肉には応じず、前を歩き続けた。
最初のコメントを投稿しよう!