九月十一日(金)

2/3
前へ
/50ページ
次へ
「失礼します、真宮先生いらっしゃいますか?」  社会科講師室の入口で声を掛ける。  昼下がりの社会科講師室は、生徒たちが演劇祭準備に勤しんでいる教室や体育館と違って、のんびりとした雰囲気が漂っている。  教師が呑気なのには訳がある。演劇祭は何故だか演劇部が主催になっている。   そのせいか、運営の仕事に教師が関わることは一部の例外を除き、ない。  勿論、先生たちも道具の購入費の申請など手続き関連は請け負ってくれたりするが、どちらかというと、生徒がどんな演技をするのか楽しみにしているふしがあった。  つまりは教師にとって他人事に近い行事なのだ。  隅の席で座って何かを頬張っていた真宮は、俺に向かって手を上げた。  その様子を見て近付くと、笑いかけてくる。 「どうした?授業の不明点について質問か?」  俺はその問いにわざとらしく眉を寄せた。 「そんなわけないじゃないですか。俺の日本史の成績に不満でも?」  自慢じゃないが、歴史系は毎度、クラストップだ。 「こら。曲がりなりにも教師相手だぞ。口の利き方を慎め!」 「はいはい」  威張るように胸を張っていた真宮は、一転、その表情を暗くした。 「……気分が落ちることがあったら言うんだぞ。話ならいくらでも訊くから」  歩の件で気を遣ってくれているのだろう。真宮はひょうきんではあるが、一方で気遣いの細やかな教師だった。 「大丈夫です。割と(したた)かなので。……次回のオカルトコーナーについて相談を」  真宮は、俺の言葉を訊いて目を丸くした。 「随分と気が早いね。何、新ネタでも入ったの?」 彼女は俺のクラスの日本史担当でありながら、新聞部の顧問でもある。各新聞部員の書いた記事の内容を確認し、ゴーサインを出すのが彼女の役目だ。  『検閲』と思われがちだが、『新聞部』の役割を勘違いしているメンバーが、『批判』と称し個人攻撃の手段として記事を使うことが、時たまある。  それを防ぐという役割も彼女は負っている。  常に新聞部の活動に携わっているせいか、彼女は校内の噂にも明るかった。  その記憶を頼り、少女の霊の噂について訊き出す、というのが今回の目的だ。  真宮は比較的若くからこの学校で常勤の地位に就いたと訊いているし、何か情報を掴んでいるかもしれない。  少女の霊の噂を真宮に話すと、彼女はその童顔をしかめた。美人やかわいい子が怖い顔をすると、恐ろしさが増すと言うけれど、その通りだ。 「……だいぶ前の噂だよね、それ」  訊き終わった真宮が頬杖を付き、こちらを伺う。  俺は首を傾げた。  いつからある噂なのか、俺は知らない。少なくとも、噂を最初に訊いた時、俺は高一だった。それをだいぶ前というのなら、そうかもしれない。 「俺が最初に訊いたのは、一年前です」  真宮は目を見開いた。 「結構最近だね。私が最初に訊いたのは……十五年位前か。だいぶ残ってるね」  そう言うと、生徒はそういう噂が好きなのかね、と彼女は笑った。  明るい性格とその容姿に騙されるが、この人結構年いってるんだった、と思い出す。もう四十絡みだったか。 「十五年前に流行った時はどういう内容だったんですか?」 「ん、同じ」  当時彼女はうちの学校に就職して四年目だったという。ちょうど、夏休みが明けた今の時分に、生徒から訊かされたのだそうだ。  ――制服姿の女子を見ると死ぬ。  当時訊かせてくれた女生徒は相当怖がっていたそうで、「うちの学校の男子生徒に懸想(けそう)して死んだ他校女子の霊だ」とも、「戦前の地縛霊だ」とも言われており、その女子が何者なのか分かる生徒はいなかった。  それを訊いて、疑問に思う。  一般の……新聞部でもない生徒が、真宮に学校の噂について語る機会は少ない。真宮がわざわざ尋ねることは、皆無に等しい。  何故、生徒は真宮に相談したのだろう。 「……十五年前には、何かきっかけでもあったんですか?」  真宮は頭を掻きながら「お前は察しがいいから嫌だなあ」と言った。さいですか、と返事をする。真宮は溜息を()いて「ここだけの話な」と前置いた。 「生徒が続けざまに亡くなったことがあったんだ」  突然の話に、返答が遅れる。 「死因もバラバラ、死んだ場所もバラバラ。一ヵ月で三件続いたんだが、互いの事件に関係性は無いと、警察は結論付けている」  ただな、と真宮は腕を組んだ。 「生徒間では、亡くなった生徒たちが制服の女子を見ただの、死の間際に女の幽霊を見ただの、専らの噂だった。多分、亡くなった奴らがってこともあったんだろう。偶然だけどな」 「全員?それも偶然に?」  そんな馬鹿な、と口から出かかった。けれど、その偶然は実際起きてしまっている。  思いが顔に出ていたのか、真宮は苦笑いして俺を見た。 「ああ、偶然だ」  俺は口を(つぐ)んだ。  一ヵ月で同じクラスから三人の死者が出る。  嫌な話をすれば、帰宅途中の生徒の塊に車が突っ込んだ、とかいう理由ならわかる。  けれど、死因も死んだ場所も異なるという。何パーセントの確率で、そんな偶然が起こるのだろうか。  そうなると気になるのは、今回の歩の死だ。  少女の霊の噂と生徒の死が関連するのなら、生徒の死は連続して起こる可能性がある。  歩の死の真相がわかれば良いと思っていたが、それだけでは済まないかもしれない。  もう一点、気になっていたことを、真宮に尋ねる。 「さっき、戦前の地縛霊かも、って言ってましたよね。ということは、そういう話が出るくらい長い期間、噂があったってことですか?」  真宮はこれには頭を捻った。 「いや、わからないな。実際、私がまともに訊いたのは十五年前の一度きりだし」  真宮は考え込むような顔をしたが、「そうだ」と膝を打った。 「田中先生に訊いてみればいい」 「田中先生って…お爺ちゃんですか?」  うちの学校には校長から乞われて定年後再雇用された教師が何人かいるが、その中でも『お爺ちゃん』と呼ばれ親しまれているのが日本史の田中先生だ。  一見、お爺ちゃんと呼ばれるに相応しくないロマンスグレーだが、うちの学校を三十八年勤め上げた定年退職者である。二年前、一度定年を迎えたものの、今年再雇用された。  その渋い容姿と丁寧な指導から大変人気で、受け持つ三年のクラスはセンター平均を大きく上回るとか。  彼のプロフィールを思い返していくと、真宮の言いたいことが分かった。 「田中先生が教職の傍ら、長年郷土史家をしていることは知ってるよな?」 「はい」  他クラスの友人から、彼が地域の歴史をまとめ、雑誌に寄稿していると訊いたことがある。 「だからかはわからないが、とにかく記録魔なんだ。もしかしたら、そういう噂にも詳しいかもしれない」  俺は頷いた。  そして周囲を見渡し、当の「お爺ちゃん」が見当たらないことに気付く。 「『お爺ちゃん』は?」  真宮は困ったように笑った。 「今日は授業日じゃないからいないよ。次来るのは週明け火曜日かな。来たら私から声を掛けておくよ」  そこまで訊いた時、とにかく、と真宮は畳みかける。 「あんまり、詳細な記事にはしないこと。噂と死との関連性もわからないのに、亡くなった生徒の親御さんに確認無く記述するのは」 「ご法度(はっと)、ですね?」  彼女はにっこり笑って頷いた。 「新聞部精神に則って、な?」
/50ページ

最初のコメントを投稿しよう!

129人が本棚に入れています
本棚に追加