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帰宅して、俺は机の前でタブレットとキーボードを前に呻っていた。
あの後俺は、真宮をなだめすかして、亡くなった三人の生徒の名字を聞き出した。
死因については真宮の口が堅かったため、放課後の文化祭準備が終わり、その足で地域の図書館に飛び込んだ。
一名については名前が見つかった。一番最初に亡くなった『鵜川』というその女生徒は、十五年前の九月、杉並区の自宅近くで何者かに殺害されていた。
目撃者はおらず、犯人は逃走したらしい。絞殺だったという。
その後の情報については、特に報道されていないことから、解決していないのではないか、と思われた。
残る二名の生徒……亡くなった順に『伊藤』と『相生』については、それほど事件性も無かったのだろうか、新聞記事で名前を見つけることができなかった。
十五年前と言えば、ネットニュースの黎明期でもあるから、そちらも検索した。残念ながらヒットは出てこなかったが。
徒労に終わるとはこのことか、と背もたれに身体を預け、天井を見上げる。
――何かに怯えていた。
――死の間際に女の幽霊を見た。
十五年前に亡くなった三人の件と、歩の件が、どうにも重なって見える。
十五年前の時は、生徒たちが制服の女子にまとわりつかれ亡くなった、という噂が立った。
歩も同じだ。
歩は二週間ほど前……―夏休み明けくらいから様子が変だった、と文芸部は考察している。
何か怯えていたように見えた、と。
しかも、歩は制服の女子の噂を知っていた。
制服の女子を見掛けて、恐怖を感じていたとしたら怯えていたのも頷ける。
一方で、それを否定する自分もいる。
歩は「見た」と、明言していたわけじゃない。更に、十五年前の件にしても、単なる噂の域を出ていない。
偶然、三人の生徒が立て続けに死ねば、そしてそれに「同じクラス」という共通項があれば、その死に必然性を持たせたくなる。
当時の生徒や、今の俺がそうだ。
日々が単調だと、目の前に非日常が現れた時、それに飛びつきたくなる。
特に『噂話』は良い息抜きだ。
他のクラスの誰かの恋愛話や、誰それが苛められているなんて話は、『日常』を変えてくれるいいスパイスだ。
ことさらに、怪談話は『友達の友達』とか第三者の視点で語られるから、誰かを傷つけているという感覚も薄い。
つまらない学校生活で麻薬的役割を果たす。
だからきっと、これは生徒の噂が独り歩きした偶然で、俺の妄想なんだと思う。
そう納得しようとするが、なんとなく落ち着かない。どうしても、十五年前と今を、結びつけてしまいたくなる。
前回は三人だった。
じゃあ、今回は?
少し寒気を覚える。
気を取り直して姿勢を正し、パソコンに向き直る。
と、眼前のコルクボードが目に入った。
白紙の『進路希望届』がそこに貼ってある。
「喰える学部にしておけ」という父親の言葉が思い浮かぶ。
コルクボードに貼り付けたそれの提出期限まで、一週間と少しだ。
「喰える学部、ねぇ」
一人呟いて、目を閉じる。年度初めにした父との苦々しいやり取りが嫌でも甦った。
◇
「大学は喰える学部にしとけよ」
それまで進路に口出ししなかった父親からそう言われたのは、二年に進級して一週間ほどしてからだった。
「は?」
リビングのソファに通学鞄を投げながら、返事をする。
珍しく早く帰った父親は、ウイスキーを片手に、ダイニングの椅子に座って黙りこくっていた。
以前は酒なんて飲んでいる暇は無かったはずだ。
家族を蔑ろにしてまで仕事を愛していた人間が、死んだような顔で吐き出した言葉に対して、無論反感を抱いたが、同時に哀れにも思った。
父親の会社が潰れたのは、去年の暮れのことだった。
何不自由なく私立の大学を卒業して、就職氷河期における就活を乗り切り、中堅出版社に勤務して二十年。
毎日のように午前様だったが、父親はいつも生き生きとしていた。
出版不況が叫ばれるようになってからも変わらずに働き、時折本の魅力について語る姿は『こそばゆい』と思うことこそあれ、決して恥ずかしくは無かった。
ただ、進路について話すことはなかった。
父親は無口だったし家にいなかったのだから仕方ない。一年に一度長い休みを貰ってくれて、そこでお互い近況報告するくらい。
あとは土日に面白かった本について語らうくらい。それだけ。
母さんはそんな父親の放任さに腹を立てていたけれど、俺は気楽で良かった。
会社の倒産から四ヵ月くらいして、彼は一般企業の広告担当の職に就いたけど、以前のような覇気は無かった。
帰りは以前よりも早くなったけれど(といっても毎晩十一時位)、「給料が減った」と、勤め始めた頃ボヤいていた。
彼が元気を失くしたのは給料のせいでは無いのだと、何となく察してはいる。
けれど。
「そもそも喰える学部って何よ?」
俺はソファに腰を掛けながら父親に問いかけた。
父親はテレビを眺めながら、ウイスキーをペロリと舐める。テレビを見るなら本を読むという人だったのに、その姿を見ていると少し寂しさを感じた。
「喰いっぱぐれない資格の取れる学部のことだ」
「教師免許なら大概どの学部も取れるでしょ」
「ダメだ。文系はダメだ」
父親は初めて俺の顔を見た。くだらなさすぎて笑いがこみ上げる。
「何言ってるの?高校進学した時説明したじゃん。俺ライターになりたいの。そのために高校行ったのに、本末転倒じゃん」
バカバカしい、とリビングを出ようとした時、背後で大きな音がした。驚いて振り返ると、父親がグラスをテーブルに叩きつけたらしく、水滴がグラスの周囲に散らばっていた。
父親の押し殺したような声がした。
「理系でもライターはできる」
「それが、俺の為になるって思ってる?」
父親は知っているはずだ。
誰の影響で、俺が書物に興味を持ったのか。そして、世界の不思議なものや事象に傾倒していったのか。
知っていて、それを無視して、俺を詰る。
「どれだけ茨の道かわかって言っているのか?給料の低さは知ってるか?叶えられなかった時の悲惨さも?」
そんなのは知っている。……いや、知っているつもりになっているだけかもしれない。
けれど、挑戦しもしないで、諦めるのは嫌だ。
黙り込んだ俺が「何も知らない」と思ったのか、背後の男はがなり立てた。
「じゃあ何か?お前はそんなことも考えずに進路を決めるのか?自分の食い扶持も考えずに、親に金を出せと言うのか?それは無責任じゃないのか?」
その物言いにカチンと来た。
確かに、俺は父母の援助を貰い、大学進学を考えていた。
一方で、奨学金を併用することも、母さんに相談をしていた。母さんはその方が助かると言ったので、俺はそのつもりでいた。
「この男は何も見ていない」と、そう思った。
自分に打ち込めることがあるうちは、そればかりに目が行って、それを失ったら途端に自分より弱い者に講釈を垂れる。
あまりにも、傍若無人だった。
「あんたは編集者になるって決めて大学行ったのに、今飲んだくれてるじゃないかよ」
声を荒げて、そう返していた。
リビングを出ようとした俺は、肩を掴まれ、無理やり後ろを向かされた。父の瞳が視界に入る。
あの目を忘れることはできない。羨ましさと恨み。そんな気持ちが溢れ出ていた。
次の瞬間、右頬に強かな衝撃が走った。派手な音がした。
丁度風呂から上がったらしい母さんが、「あなた!」と叫びながらリビングに入って来た。
父親は、ハッと目を見開く。そして、俺から顔を逸らすと「飲み過ぎた、寝る」と言って出て行った。
それから俺は、父親と言葉を交わしていない。
◇
コルクボードから進路希望届を外すと、俺はそれを眺めた。
あの日、渡された保冷剤を頬に当てていると、母さんからある言葉を掛けられた。「父さんの気持ちも考えて」。
父親にぶたれたことよりも、その言葉の方がショックだった。
両親は、俺が『何不自由なく生きること』が望みだということが、その一言から嫌と言うほどわかったからだ。
親としては当然なのかもしれない。けれど、余りにも辛かった。
ペン立てから鉛筆を取り上げる。
あれから、自分では随分考えて来たつもりだ。
少なくとも、仕事人間だった父親を変えてしまうほど、好きなことに依存する人生というのは危険なのだ、ということはわかった。
追っていた目標を失う人生に、何の意味があるのだろう。
鉛筆で、届の理系という文字に「マル」を付ける。
そもそも、親の一言で諦めてしまう夢なんて、追い始めてから続けられるわけがない。自分の心にそう言い含めながら、ファイルに挟んだそれを、通学鞄へと突っ込む。
この調べものにも、意味なんてない。歩の死の原因を探ったところで、今更彼は帰って来ない。
……ただ、自分の関心に忠実になっているだけのことだ。
時計を見ると、時刻は午前一時を回っていた。
喉に渇きを覚え、部屋を出て、キッチンに向かう。
キッチンに行くには、リビングを通り抜けなければならないが、正に、そのリビングの入り口から、酒を飲んでいる父親がいるのが見えた。
意地のような、恐ろしいような気持ちを押さえながら、無言でリビングに入る。
父親もまた、無言でテレビに視線を向けていた。時折ウイスキーを舐めている。
彼の背後を通り、キッチンで水を飲む。一息ついて、コップを洗うと、再び緊張感を持ってリビングへと向かった。
何が面白いのか、父親はお笑い番組なぞ見ていた。
見てはいるのに、笑いはしない。ただ静かに、芸人がなりふり構わず芸を繰り出すのを眺めていた。
以前の父親なら、と嫌でも思ってしまう。以前の彼なら、この余暇を本を読んだり、雑誌を読むことに充てていたはずだった。
その背中は、もう見れないのかもしれない。
そう思うと、激しい反発と共に、切なさが胸にわだかまった。
くだらない、と思いつつ、部屋を出ようとする。
リビングの入り口を潜ろうとした時、後ろから声がかかった。
「早く寝ろよ」
一瞬、振り返ろうかと思った。
だが、それはできなかった。
無言のまま、俺は自室へと歩みを進めた。
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