九月十五日(火)

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「野々市」  俺は思わず身構えた。多分、顔はしかめ面だ。  午後の授業が終わり掃除の時間が始まった時、いつもは女子に囲まれて手伝いを始める西念が、珍しく俺に話しかけてきたからだ。  俺の表情に何を感じたのかわからないが、一瞬間があった。  その後、奴は口を開いた。 「田中先生がお呼びだ。これから十八時まで空いてるから、好きな時間に来るように、だそうだ」 「……ありがとうございます」  渋々礼を言うと、西念はまだ何か言いたそうな顔をしていた。 「小言なら聞かないんで」  俺はそう言い捨て、社会科講師室へと走り出す。後ろからは、微かな溜息が聞こえた。 「失礼します」  社会科講師室へ入ると、昨日は空席だったその場所に、ロマンスグレーが一人、座っている。  声に反応したのか、彼はこちらを一瞥(いちべつ)すると、微笑みを浮かべ向き直る。 「野々市くんかな?」  『お爺ちゃん』は、俺の担当教師では無い。  日本史の授業は一年次にはカリキュラムにも組み込まれていないから、廊下ですれ違う以外の結びつきは皆無に等しい。 「二年四組の野々市です。西念先生から訊いて参りました」 「はいはい。足労おかけしましたね」  彼はそう言うと、足元の鞄から一枚の用紙を出した。 「これが、僕の日記に書きつけてあった、亡くなった生徒たちの名前ね」  真宮から詳しい話が伝えられているのか、展開が非常に速い。  実際に記されたものを見てみると、数が実感として湧いてくる。  お爺ちゃんがこの学校に赴任してから四十年で、十五人の生徒が亡くなっていた。  平均にしてみると三年に一人の計算になる。  正直、他の学校がどうかはわからないが、俺には少ない数だとは言い切れなかった。  亡くなった生徒は時系列に沿って記述されている。  その中でも目を引くのは複数の生徒が亡くなっている年があることだ。それも四回。 「……不謹慎ですが質問して良いですか?」 「まあ、そもそも不謹慎だからね。気にしないでもいいんじゃないかな?」  柔らかな物腰だが、言うことは辛辣な爺である。 「四十年でこの人数は、多いですか?」  再び微笑んで、彼は言った。 「僕は他の学校に勤めたことがないからね。他の学校で生徒がどれだけ亡くなるかは分からないね」  書き起こした紙をもう一度眺める。  十五年前……二〇〇〇年に三名、その前は九十四年に二名、八十二年に二名、七十三年に二名。生徒の死亡が重なっているのはその四つの年だ。  たった四回。その四回で、四十年間で亡くなった生徒の数の半数以上が死んでいる。  しばらく眺めていると、あることに気付いた。 「……田中先生、十五年前に三人亡くなってますよね」  彼は穏やかな笑顔を崩さない。 「その時に『またか』と思いませんでしたか?」  真宮はお爺ちゃんのその言葉が気味悪かったと言っていた。  お爺ちゃんは微笑むばかりで、こちらの問いかけに反応は無い。 「複数人の生徒が亡くなる年。生徒は必ず同じクラスですね。ここまでは、真宮先生から訊いた事実とも合致します。……それ以外にも、生徒が死ぬのは全て九月ですよね?」  彼の柔らかく美しい文字は、生徒のプロフィールを簡潔に示していた。学年、クラス、そして知っているようなら所属した部活。  過去四回、生徒たちが複数人亡くなった時は、全員例外なく同じクラスに所属し、九月に亡くなっている。  お爺ちゃんは、俺に椅子に座ることを促した(隣の真宮の椅子である)。  腰掛けると、彼は話し始めた。 「……原因はわからない。早ければ五年、間が空けば十五年に一回程度、九月に複数人の死亡者が出る。そして」  老人は手元のマグカップを引き寄せ、一口飲んだ。その後、言葉を続ける。 「『亡くなった生徒は、校内で制服姿の女生徒を見ていた』という噂が流れる」  妙に喉が渇いた。  嫌な、高揚感があった。  この件は今まで訊いて来たどんなオカルト話よりも、何か背後に秘めているものがある。  何度も寒気が湧き上がるほど気持ち悪く、俺は堪えながらお爺ちゃんに尋ねた。 「……先生。先生はここまでわかっていて、何か対策が取れるとは思いませんでしたか?」  お爺ちゃんは首を横に振る。 「亡くなった生徒は同じクラスに所属し、死亡時期は九月に集中していて、その九月は必ず制服の女生徒の噂が大きくなった。共通項というほどの共通項はそれくらいなものなのですよ」  そう言って彼は、溜息を吐いた。 「わかるでしょう?対策というほどの対策は取れなかったのです。物事は、原因がわかるから対処ができる。わからなければ、何もできません」 「しかし」 「野々市くん」  強く言われ、俺は身体を揺らした。  そこには、微笑む老紳士はいなかった。不安げな顔色の、老いた男がいるばかりだ。 「僕はね、別に君が真宮先生に言ったような、幽霊だとか、オカルトだとかは信じていない。偶然に偶然が重なれば、この紙に記したような事態が起こることだってある。そう思っている」  けれどね、と言って、彼はゆっくりと言葉を吐き出した。 「偶然に偶然を重ねた何かに巻き込まれることは、確かにあることなんだ。だから、くれぐれも気を付けて」  それを訊いた俺が何も返せずいると、「また何か気付いたことがあったら伝えるよ」と、お爺ちゃんは話を終いにした。
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