九月十五日(火)

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 教室へ戻ると、演劇祭の準備作業は既に始まっていて、例の如く、俺は佐伯に小言を言われることとなった。 「野々市くんさ、最近ちょっとサボりすぎ!自分の仕事把握してる?」 「ごめん」  これに関してはどんな言い訳のしようもないので、素直に謝るしかない。佐伯は盛大な溜息を吐くと、俺の背中を大きな音を立てて叩いた。 「ってぇ!」 「そんな顔しないで!作業作業!」  佐伯はそう言うと、他の女子と共に大道具を組み立て始めた。  少しだけ、気持ちが緩んで自然と笑みが浮かんだ。不器用だが、佐伯なりの元気づけ方なのだろう。  他のクラスメイトは敢えて俺に、当たり障りない言葉を掛けてくる。歩が亡くなった当初のような、あからさまな遠慮はなくなったが、それでも話すときに以前とは異なるテンポ感がある。  それはそれでありがたいのだが、媚びへつらいの無い佐伯の言葉は、何となく気が楽になるような気がした。  今度自販機で何か奢ってやろう。そんなことを考えた。  そんなこんなで俺は再び、出演者の衣装を接着し始めた。  先に同じ作業をしていた友人たちが、作業のコツを教えてくれる。  作業に慣れて、スピードも上がる。毎日しているこの作業が、ようやく楽しいと思えるようになってきていた。  淡々と作業が続く中、その悲鳴が聞こえたのは、俺がスカートの裾を処理していた時だった。  俄かに、隣の部屋が騒がしくなった。微かに不協和音のような声音が響いて来る。  隣は空き教室だが、今日はうちのクラスの演劇祭練習のために使用されているはずだ。  二年四組の教室では大道具の製作が行われるので、必然的に演者組が空き教室へ移動する。  つまり、隣にいたのは笹岡と演者たち、ということになる。  こんな悲鳴が上がるシーン、『二人の夏』の脚本中にあっただろうか、と思っていると、最初の悲鳴を不穏に感じたのか、クラスの数人が隣に向かった。  最初に出て行ったメンツに次いで、友人たちも隣を見に行く。  俺もその中の一人に促され、立ち上がった。  教室の引き戸は開け放たれていて、中の様子が良く見えた。  中央では、クラスメイトたちが輪になって、何かを取り囲んでいる。  どうしたどうした、と口々に問いかけながら友人たちは輪の中央に寄って行く。  それに従い、人の輪の隙間を縫って顔を出すと、中央に座り込んだ人影が見える。  笹岡だった。  顔色は青く、茫然とした様子で、周囲の問いかけに首を横に振っている。  主役の女子が脇で「無理しない方がいいよ」と声を掛けた。すると周囲が「そうだ」「無理すんな」と奴の肩を叩く。  状況が飲み込めず、前で輪を形作っていた一人に何があったのか尋ねた。  そいつはチラリと笹岡に目を向けると、輪を抜けて俺の耳に顔を寄せる。 「笹岡が急に叫んで座り込んだんだ」  俺は笹岡に目を向けた。そいつは続ける。 「なんか、今日はずっと元気なかったからさ。皆で休めって勧めてるんだけど」  笹岡は(しき)りに首を横へと振っていたが、周囲のしつこさに諦めたのか「外の空気を吸ってくる」と言って立ち上がり、教室を出て行った。  クラスメイトは各々首を傾げつつ、徐々に自分の持ち場へと戻っていった。  自分が、何故そんな行動を取ったのかわからない。  いつの間にか教室を抜け、俺は中棟との連絡通路の方へ向かう、笹岡を追っていた。 「笹岡」  声を掛けると、笹岡は驚いたようにこちらを振り返る。  やはり顔色はいつもと比べて悪い。元々白い奴だったが、もはや青磁のように、透き通るような青さを帯びていた。 「大丈夫か」  笹岡は首肯した。弱々しいその動きに、思わず眉を寄せる。  奴は俯きがちに廊下の端を見ている。  握り込まれた奴の手が、微かに震えていた。  俺は、笹岡のその様子に何か引っかかりを覚えた。その感覚をどこで感じたのか、素早く記憶を辿った時、ある考えに至る。 「……お前見えたんじゃないのか?」  笹岡は表情を変えなかった。かと言って、否定することも無い。  俺は確信した。  ――奴の様子は、死の間際の歩に良く似ている。 「いつからだ?いつから見えるようになった?」  肩を掴んで問いかける。  すると、奴は明確な嫌悪感を、視線で俺にぶつけた。 「何でお前にそんなこと言わなきゃいけないの?」  奴は俺の手を振り払う。その反動か、後ろへたたらを踏んだ。 「そんなこと言っている場合かよ」  なおも笹岡に詰め寄ろうとしたが、奴は後退る。 「お前に言う必要性を訊いてるんだ。解決方法でも知ってるわけ?」  返答できなかった。こいつから状況を訊いても、今の俺にはどうすることもできない。 「俺が見えていることを訊いて、記事にでもするつもりだったのか」 「それは違う」  そんな最悪なことは断じてしない。するつもりも無かった。 「じゃあ、訊いてどうする。親友が死んでセンチメンタルにでも浸ってるんだろうけど、それを俺に向けないでくれない?」  それを訊いた時の、身体を突き抜けるような衝動と、喉元まで競り上がってきた言葉は形にならなかった。  ただ、俺は拳を握り込んだだけだ。 「とにかく、無駄な同情はいらない。特にお前からは」  そう言うと、笹岡は廊下の角を下へと降りて行った。
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