九月十六日(水)

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九月十六日(水)

 翌日。  少し早めに登校した俺は、同じく演劇祭準備のため早めに来た佐伯を直撃した。 「演劇祭の歴史ぃ?」  佐伯はリュックサックを下ろしながら、大仰(おおぎょう)に叫んだ。じっとりと俺を見つめる。 「そんなこと調べてどうすんのさ」 「……あれだ。オカルトコーナーの記事の裏付けに必要で」  佐伯は怪訝(けげん)そうにする。考え込んだかと思うと、指を一本、俺に突き出した。 「……デポジット一回」  心の中で悪態を吐きつつ、佐伯とデポジットの飲み物販売機の近くまで移動する。  デポジット自販機は紙コップで販売される自販機だったが、コーヒーがなかなか美味しくて、利用する生徒も多い。  紙コップを返却すると十円が帰って来るシステムも、また人気だった。 「でもあんま詳しく知らないよ」  砂糖を極限まで入れたカフェオレを飲みながら、佐伯が言う。 「だって、演劇祭は演劇部発祥だろ?」 「違う違う」  佐伯は池の見える窓に近寄り、窓枠に腰かけた。既に何人かの生徒が外で話し込んでいる。 「戦後に当時の先生が、『生徒の表現力を養う学習』として演劇を取り入れたのがきっかけかな」 「へえ」 「演劇授業自体は、GHQの教育改革の実現のために廃止されちゃったんだけどね。  生徒からの評判は良かったみたいで、自主的に作劇や発表を始めたの。それが演劇祭のルーツ。確か、戦後一、二年の時だったかな」  生徒が始めたとは意外だった。入学当初、演劇に詳しい先生が演劇部を立ち上げて始めたとか、校長が演劇が好きで演劇部の活動を贔屓(ひいき)したとか訊いていたが、とんだデマだ。  それにしても。 「そんな戦後の時期に演劇やる余裕があったんだな」 「戦時期には規制されてたらしいよ。その反動もあるんじゃない?」  戦後史はそこまで詳しくないけれど、当時は様々な表現が規制されたと訊く。好きな人にとっては鬱屈した日々だったろう。  佐伯は、ショートパンツから伸びる足先で、地面をトントンと突いている。 「最初は年に一度の開催だったみたいよ。全クラスやる余裕は無かったから、三年生だけ演劇して。その頃は演劇部も参加して良かったみたい」 「何でルールが変わったんだ?」 「うーん。確か演劇部員が何かやらかした、とかだったと思うけど、覚えてない。それから演劇部は演劇祭に関わっちゃいけなくなったって訊いたことはあるな」  その『何か』の部分が気になるのだが。話は曖昧なままだ。 「その『何か』って何?」  思い切って尋ねてみるが、彼女は首を傾げ、カフェオレを飲み干した。 「顧問の澤田先生なら何か知ってるかも。けど、赴任して十五年だし、どこまでわかるか……」  十五年というと、真宮と同じくらいだ。  特段、若くも年寄りでも無い。私立高校だし、年取った教師の入れ替えが少ないことも考えると、若い方か。  けど、若い教師は多くが非常勤で、入れ替わりも激しい。  それを考慮すると年増とも言える。この学校で新卒の教師が正規のポストに収まるのは至難の業だ。  佐伯の分の紙コップを受け取って、自販機に入れると、十円が返ってきた。それを佐伯に手渡す。 「別に訊くだけタダだし。今なら国語科講師室にいると思うよ」 「ありがとう、行ってみるわ」 「どういたしまして。力になれず」  すぐさま南棟へ向かおうとする俺の脇で、あ、と佐伯が声を上げた。 「澤田先生、昨日凄く体調悪そうだったから、休みだったらごめんね」
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