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挨拶をしつつ、国語科講師室に入室する。
見回すと窓際の席に少しぼんやりした様子の眼鏡が居た。あの人だったはず。
「澤田先生」
声をかけると、呆けたように眼鏡はこちらを見た。目の下の隈が印象的だ。
廊下ですれ違う位の接点しか無いが、いつもは穏やかに笑っているイメージのある男。
しかし、今は少し顔色が良くない。
「えーと」
「二年四組の野々市です。
新聞部で演劇祭のことについて調べていて。
今、お話訊いても大丈夫ですか?無理なら、再度お時間頂きたいのですが」
澤田先生は二、三度瞬きした後、笑顔で快諾してくれた。
体調は悪そうだが、話してみると廊下で見るイメージのまま、柔らかく笑う男だ。
「えっと、まず演劇祭の成り立ちについて伺いたいのですが……」
ド直球で『演劇部がやらかした事』について尋ねるわけにもいかず、演劇祭の歴史について再び訊く。
演劇祭の成り立ちについてインタビューしに来る物好きは非常に稀なようで、積極的に答えてはくれたが、話自体は佐伯から訊いたことと大して変わらない。
しかも、澤田先生は肝心の「演劇祭は当初年に一回だった」という部分には触れなかった。
痺れを切らし、自分から切り出す。
「実は演劇部の佐伯さんから、『演劇祭は以前年に一回だった』と伺ったんですが」
澤田先生の太い眉が、ピクリと動いたような気がした。
しかし、笑顔は崩れない。
「ああ、佐伯さんと同じクラスなのか。そう、以前は年一開催だったんだよ」
「それが、三年に一度の開催になった理由ってご存じですか?」
「どうだったかなあ。そもそも、全校上げての演劇祭自体は骨が折れるからね。その辺りの労力も考えて、開催期間を置くようにしたんじゃないかな」
「……でも、それまで十年くらい、年に一度でやっていますよね。
それに、その間は演劇祭への参加は三年生のみだった。労力が分散されるどうかの話ですよね?」
俺の言葉に、澤田先生は何も言わない。ただ、穏やかな笑顔を向けてくる。
「さあ、どうしてなんだろうね」
話す気が無い。そう感じた。
先生の顔色は変わらない。けれど、その笑顔や口ぶりに、どことなく拒絶を感じた。
その拒絶は『得体の知れなさ』と言い換えても良かった。
「……先生、すみません。俺、嘘を言いました」
「え?」
俺の言葉に、澤田先生の目が驚いたように丸くなった。
「記事の取材というのは方便です。目的はそこじゃないです」
本当は、調査の経緯を澤田先生に話す気は毛ほども無かった。
オカルト関連の話となった途端、馬鹿にされてことは数知れない。
趣味の範囲だったら、それで良い。話をしてみて、相性が悪そうな人には無理に話を続けない。
今の澤田先生にも『触れてはいけないんだろうな』と思わせる気配が出ていた。こちらが嫌な思いをしてまで、聴き出す必要も無い。いつもなら。
今回は違う。
笹岡の身がかかっている。怪異の発動を、どうしても止めなければならなかった。
普段の俺なら、呪いの対象が無関係な人間であれば逆に面白がっていた。
事実、今までは怪異の怪しさと、その凄惨さに夢中になっていた。
――人の不幸を楽しめる性質が自分にはある。
だからこそ、今の真剣な気持ちを解って貰わなければ、相手も真剣になってはくれない。
俺が話した少女の噂や、それと演劇部の関連性について、澤田先生は黙って訊いていた。オカルトの理解が無い相手が訊くそれは、さぞ滑稽だったと思う。
全て話し終わっても、彼は黙っていた。何か迷っているように見える。
「先生、あの、無理なら結構ですから」
後でもう一度来よう、そう思った。しかし、澤田先生は首を振る。
「……そういうわけじゃないんだ。少し、外に出よう」
先生は俺を講師室の外へと連れ出した。
真宮の時もそうだったな、と思い出す。
先生たちは同僚に訊かれたく無い話があると、生徒を廊下へと連れ出すようだ。
「ごめんな。あんまり話しちゃいけない話だから、講師室の中ではちょっとね」
真宮の場合と異なりどこか目的地があるようで、澤田先生は話しながら歩みを進めた。
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