九月十六日(水)

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 挨拶をしつつ、国語科講師室に入室する。  見回すと窓際の席に少しぼんやりした様子の眼鏡が居た。あの人だったはず。 「澤田先生」  声をかけると、呆けたように眼鏡はこちらを見た。目の下の(くま)が印象的だ。  廊下ですれ違う位の接点しか無いが、いつもは穏やかに笑っているイメージのある男。  しかし、今は少し顔色が良くない。 「えーと」 「二年四組の野々市です。  新聞部で演劇祭のことについて調べていて。  今、お話訊いても大丈夫ですか?無理なら、再度お時間頂きたいのですが」  澤田先生は二、三度瞬きした後、笑顔で快諾してくれた。  体調は悪そうだが、話してみると廊下で見るイメージのまま、柔らかく笑う男だ。 「えっと、まず演劇祭の成り立ちについて伺いたいのですが……」  ド直球で『演劇部がやらかした事』について尋ねるわけにもいかず、演劇祭の歴史について再び訊く。  演劇祭の成り立ちについてインタビューしに来る物好きは非常に稀なようで、積極的に答えてはくれたが、話自体は佐伯から訊いたことと大して変わらない。  しかも、澤田先生は肝心の「演劇祭は当初年に一回だった」という部分には触れなかった。    (しび)れを切らし、自分から切り出す。 「実は演劇部の佐伯さんから、『演劇祭は以前年に一回だった』と伺ったんですが」  澤田先生の太い眉が、ピクリと動いたような気がした。  しかし、笑顔は崩れない。 「ああ、佐伯さんと同じクラスなのか。そう、以前は年一開催だったんだよ」 「それが、三年に一度の開催になった理由ってご存じですか?」 「どうだったかなあ。そもそも、全校上げての演劇祭自体は骨が折れるからね。その辺りの労力も考えて、開催期間を置くようにしたんじゃないかな」 「……でも、それまで十年くらい、年に一度でやっていますよね。  それに、その間は演劇祭への参加は三年生のみだった。労力が分散されるどうかの話ですよね?」  俺の言葉に、澤田先生は何も言わない。ただ、穏やかな笑顔を向けてくる。 「さあ、どうしてなんだろうね」  話す気が無い。そう感じた。  先生の顔色は変わらない。けれど、その笑顔や口ぶりに、どことなく拒絶を感じた。  その拒絶は『得体の知れなさ』と言い換えても良かった。 「……先生、すみません。俺、嘘を言いました」 「え?」  俺の言葉に、澤田先生の目が驚いたように丸くなった。 「記事の取材というのは方便です。目的はそこじゃないです」  本当は、調査の経緯を澤田先生に話す気は毛ほども無かった。  オカルト関連の話となった途端、馬鹿にされてことは数知れない。  趣味の範囲だったら、それで良い。話をしてみて、相性が悪そうな人には無理に話を続けない。  今の澤田先生にも『触れてはいけないんだろうな』と思わせる気配が出ていた。こちらが嫌な思いをしてまで、聴き出す必要も無い。いつもなら。  今回は違う。  笹岡(ひと)の身がかかっている。怪異の発動を、どうしても止めなければならなかった。  普段の俺なら、呪いの対象が無関係な人間であれば逆に面白がっていた。  事実、今までは怪異の怪しさと、その凄惨(せいさん)さに夢中になっていた。  ――人の不幸を楽しめる性質が自分にはある。  だからこそ、今の真剣な気持ちを解って貰わなければ、相手も真剣になってはくれない。  俺が話した少女の噂や、それと演劇部の関連性について、澤田先生は黙って訊いていた。オカルトの理解が無い相手が訊くそれは、さぞ滑稽だったと思う。  全て話し終わっても、彼は黙っていた。何か迷っているように見える。 「先生、あの、無理なら結構ですから」 後でもう一度来よう、そう思った。しかし、澤田先生は首を振る。 「……そういうわけじゃないんだ。少し、外に出よう」  先生は俺を講師室の外へと連れ出した。  真宮の時もそうだったな、と思い出す。  先生たちは同僚に訊かれたく無い話があると、生徒を廊下へと連れ出すようだ。 「ごめんな。あんまり話しちゃいけない話だから、講師室の中ではちょっとね」  真宮の場合と異なりどこか目的地があるようで、澤田先生は話しながら歩みを進めた。
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