九月十六日(水)

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「えーと、佐伯さんから演劇祭がもともと年一開催だったことは訊いたんだっけ?  それまでは、演劇部の参加が認められてたってことは訊いた?」  国語科講師室を出ると、澤田先生は口を開いた。 「はい、伺ってます」 「なるほどね。佐伯さん、お喋りだなぁ……」  まあ別に緘口令(かんこうれい)敷いているわけでも無いしね、と澤田先生は笑った。  その時、ちょうど俺たちは、南棟の屋上階段の前にいた。  国語科講師室と屋上階段は確かに距離が近い。  ――いつも忍び込んでいる場所なので、内心ひやりとした。 「ちょっと汚いんだけど、さあ登って」  汚いのは知っていた。演劇部の荷物が散乱しているのはいつものことだ。  澤田先生は踊り場に到着するとそこから上へは行こうとはせず、踊り場に置いてあったパイプ椅子に腰掛けた。  俺も埃を払って、隣の一つに腰掛ける。椅子が、後ろに立てかけてある用途不明の大道具に引っ掛かった。 「こんなところで済まないね。一応これでも演劇部の部室なんだ」 「え」  ただの物置では無かったのか、と辺りを見回す。  いつ見ても思うが、雑然としている。  歴代使われてきたのだろう、様々な大道具小道具が並び、隅に置かれた背の低い棚には数々の脚本集が並んでいる。 「……なんか、もっと部屋は無いんですか?」 「一応、申請してもっと広い所に移動することもできるんだけどねぇ。そもそも練習は、大講堂でこと足りるし、何より生徒たちがここに愛着があるみたいでね」  確かに演劇部の連中はよくここにいる。  とはいっても、もともとは演劇祭の発表用に建てられたという大講堂で練習するからか、ここに長居をするということはないみたいだ。  だが、屋上に行く際に踊り場にいる演劇部員を見かけ、引き返すことはよくあった。 「今の校舎に建て替える前も、屋上階段の踊り場が部室だったみたいでね。  大昔は屋上でも練習していたらしい。  毎年の部室申請で、律義に『屋上階段手前踊り場』って部長が書くんだよ?笑っちゃうよね」  そう言う彼も、愛着があるのかもしれない。目を細めて笑っている。 「で、あれだよね。演劇祭が三年に一回になった理由」 「はい」  澤田先生は苦笑いした。 「一応、記事にしないって約束できる?」  俺は頷く。  彼はホッとしたように口元を緩めると、膝の上に手を組んだ。 「確かな理由があるわけじゃないんだ、実は。  ああ!そんなあからさまにガッカリしないで!経緯はしっかり話すから」  彼はそう言って手を振った。俺は相当残念そうな表情をしていたらしい。 「大講堂が立った時分の話だって聞いてるから、今から六十年くらい前の話だと思うんだけど。  演劇祭の前に、、女生徒が死んだ。自殺だった」  『まず一人』という言葉に不吉さを感じるが、静かに話の続きを待つ。 「今と変わらず、生徒の自殺はショッキングな出来事だったみたいだね。  演劇祭を開催するかについてが話し合われた。  ただ、当時の演劇部顧問という人が演劇に相当熱心だったらしくて、その場では開催の方向で動いたんだ」 「その場では?」  澤田先生は苦笑いをした。 「演劇祭の前日に、。講堂のステージで」  講演会の時に入ったきりの、明かりの点いた華やかなステージを思い出す。  あの場所で、以前人が死んでいたという事実に、ぞわりと鳥肌が立った。 「あの、二人の死因は?」  俺の問いに、澤田先生は首を振った。 「それについては伝わっていないな」  死因について知っても仕方ないか、と気を取り直す。  どっちにしろ、呪われた生徒たちの死因も様々だ。共通点にはなりえない。 「それが決定打だった。その年の演劇祭は中止」  澤田先生は組んでいた手をほどき、後方へ伸びをした。 「……当時の演劇部でいじめがあったとか?」 「いや、生徒たちの自殺の動機については伝わっていない。けれど、さっき言った演劇部顧問の先生はその年にいなくなったそうだ」 「辞めたってことでしょうか?何か、責任を感じて?」 「若い女性の方だったそうだし、責任からかはわからないな」  暗に、寿退職の可能性を言っているのだろう。彼は伸ばした手を、再び身体の前で組んだ。 「それが、演劇祭が三年に一度になったことと、どう関係があるんですか?」 「学校側の、いい口実になっちゃったんだよね。  学校や教師は、演劇祭が面倒臭かったんだ。  生徒たちが始めた行事だしね。生徒の死を口実にして、次の年も演劇祭は中止。そのまま廃止にしようとしてたらしい。  生徒としてはたまったもんじゃない。せっかく築いてきたイベントがぱあになる。  そこで、演劇部を中心に、演劇祭の再開を学校側に嘆願したってわけ」 「卒業生の寄附で講堂まで建てたのに」 「だよねぇ……大人側も大人げない」  演劇祭に思い入れの無い俺でさえ、嘆願(たんがん)した生徒たちの気持ちは何となくわかる。  中学時代に進学の話になった時のこと。  この高校を志望していることを吐露すると、『学力と演劇祭のレベルの高さ』と語られるのが常だった。  実際に入学してみて、演劇祭が楽しみかと言われるとそうではない。  けれど、学力と並べられ、メリットとして取り上げられる演劇祭自体は見てみたいと思った。  今、熱心に準備している同級生たちにとっては、演劇祭に参加できないというのは、青春の一部を奪われるに等しいだろう。  澤田先生が先を続ける。 「嘆願しても学校側は運営を拒否したから、演劇部が主催を申し出た。  けれど、学校側は『死人を出した演劇部の参加は認めない』と屁理屈を()ねたもんだから、演劇部員は演劇祭の演技・指揮としては参加しないと啖呵(たんか)を切った」  素直に、当時の学生の行動力に驚いた。  自分たちが『嫌だ』と感じるものには、対峙してみる。主張してみる。  そういった労力を惜しまない世代なのは、戦争を経験していることに関係があるのだろうか。  確か、あの年代の後にも、制服廃止闘争とかあったはずだ。  澤田先生は「これでいいかな?」と静かに笑んだ。  俺は頷いて立ち上がりかけたが、直前にあることを思い立って、浮かした腰を戻す。 「……その、六十年前に亡くなった生徒の名前とか、わかる資料はありませんか?」  俺の言葉に、澤田先生は少し考えを巡らせているようだったが、首を横に振った。 「思いつかないな。演劇祭の資料は、図書室に脚本集だけは残っているはずだけれど」 「そうですか。お手間を取らせてすみませんでした」 「あ、でも」  彼は声を上げた。そのまま尻込みするように黙る。  だが、意を決したようにスマホを取り出すと、画面を操作し、手帳にサラサラと何やら書き付けた。  その帳面から書き付けていた一枚を切り離すと、それを僕へと差し出す。 「演劇部の前顧問の連絡先だよ」  紙を受け取る。そこには『高木先生』という文字と、都内の市内局番から始まる電話番号が記されていた。  礼を言って受け取る。 「……辞められた当時、高木先生は六十代とかですか?」  もし、定年で辞めているとしたら、もう七十半ばだろう。それ位の年齢の人に電話を掛けるのは初めてなので、少し緊張する。 「今の僕よりだいぶ下だったはずだよ。二十代後半かな」 「え、そのタイミングで辞められてしまったんですか?常勤だったんでしょ?」  この学校の教師は古参が多い。だからこそ、一旦常勤になってしまったら辞める人は少ない。  大概辞めていくのは三十半ばまで非常勤だった教師たちだ。 「ああ。……彼は亡くなったんだ」  澤田先生は俺から顔を逸らした。 「どうして……」 「よくわからないんだ。他の先生も状況はわからなかったようだね。  当時の校長も理由を言おうとしないし」  前任の辞めた理由を訊けないというのは、なかなか不穏だ。 「渡した連絡先に住んでいるのは奥様のはずだ。  赴任当時、演劇部について迷った際に、何度かお世話になった。言葉は少ないけれど、とてもいい人だよ。  あの頃は資料を何冊か頂いたし、今も残っているかもしれない。興味があれば連絡してみるといい」  そこで話は終わりになった。  澤田先生が立ち上がったので、礼を言って、俺も腰を上げる。ホームルームまではあと十分ほどだ。急いで帰らなければならない。    階段を降りようとすると、前を進んでいた澤田先生がバランスを崩す。  思わず肩を掴んだ。彼は驚いたような顔をして振り返ると、照れたように笑う。 「いや、すまないね。ここのところ、どうしてだか寝つきが悪くてさ」 「大丈夫ですか?」 「心配無いよ。演劇祭に配布する資料の準備をしていてね」 「もしかして、一人で?」  澤田先生は苦笑いして頷いた。 「これも、変な話なんだけど、資料の準備は演劇部顧問がしなきゃいけないんだってさ。面倒臭いよねー……」  そう言う彼の目の下の影は、やはり常より黒々としていた。
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