九月十六日(水)

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 昼休みを告げるチャイムが鳴り、辺りは授業中の長閑(のどか)さが嘘のように、喧騒を取り戻す。 「笹岡、ちょっといいか?」  俺が話しかけると、笹岡は露骨に嫌悪感を示した。額に皺が寄り、口が歪んで歯茎が見えている。  ……そんなに嫌か。 「お前とそこまで話したくないんだけど」  そう言うと、笹岡は弁当を持って席を立ち、足早に去ろうとする。  笹岡に逃げられては、話が前に進まない。  俺は自分の弁当を掴むと、すぐさま奴を追いかけた。 「おい、お前このままじゃ死ぬかもしれないんだぞ」 「デリカシー無いやつだな。オカルトのことしか頭に無いわけ?  現実と虚構の区別くらい付けろよ」  こちらは善意で言っているのに。馬鹿にされたことにムカッ腹が立ったが、実際に周りから見た俺は頭がおかしい奴なのかもしれない。  けれど、ここで引き下がる気もない。  乗りかかった泥船だ。  速足で中棟の方へ行く笹岡をひたすら追いかける。  金魚の糞も真っ青な勢いで付いて行く俺に、笹岡は苛立ったのか、振り返ったかと思うと叫んだ。 「ほんっとしつこいなあっ!来るなよ!」 「心外だな。俺の目的地がお前の行くところだってだけだ」  もはや、話す余地すら与えて貰えないので、付いて行って口を開くのを待つしかない。そう腹を括っていると、溜息をついた笹岡の速度が緩んだ。  奴は何も言わず中棟を通り過ぎ、南棟へと向かう。  笹岡の所属する映研は、南棟の二階に位置する。  普段は視聴覚室(しちょうかくしつ)として使われ、昼休みや放課後は映研の集いの場だった。  案の定、笹岡はその視聴覚室へと入った。  そして、無言で窓の傍の席に座る。  今日は他に生徒二人がいるばかりだった。  その二人も弁当を食べながら、最近面白かった動画の話なんかをしている。  俺は弁当を開いている笹岡の向かいに陣取ると、奴が文句を言う前に口を開いた。 「お前に訊きたいことがあるんだけど」  笹岡は俺のことを()めつける。しかし、先ほどのように言葉で()()けはしなかった。  そのまま相手が無言を貫くのをいいことに、続けることにする。 「お前が見た女の子の霊ってどんな子だ?いつから見えるんだ?」  笹岡は何も言わない。やっぱりダメかと諦めかけると、笹岡は重たそうに口を開いた。 「……見える時は、視界の端にいる感じ」  俺は黙って笹岡の言葉を訊いた。 「地味な制服着てる。色は無地紺で、リボンとかは無い。  シャツにジャケットだけど、どっちもこれといった特徴は無い。男物のスーツみたいな感じ。  あと、紺色のベレー帽被ってる」 「ベレー帽?」  笹岡は箸でタコの形をしたウインナーを突っつきながら頷く。 「それ、制服の一部なのか?」  笹岡は考え込むような様子を見せたが、ハッとしたような表情をして、すぐにぶさくれた。 「俺に訊くな。お前が知らないんだから俺が知るわけ無いだろ。  あの幽霊の趣味かもしれないし。帽子の色は制服と一緒だよ。紺の無地。だから、俺は揃いだと感じた」  紺の制服であれば、都内にもいくつか採用している学校はある。  けれど、女子がベレー帽を被る学校があったかは定かじゃない。それくらい、高校では珍しい制服だ、と思う。  スマホで、ベレー帽の制服がある高校について検索をかける。すると、都内では二件のヒットがあった。  それぞれ画像も載っていたので、笹岡に見せてみるが、彼は首を振った。 「いや、こんなに華やかな感じでは無かったな……もっと地味だった」  これだってそこまで飾り気無いけど、と感じつつ、俺はスマホを仕舞う。  制服のことはこれ以上考えても埒が明かない。 「いつから見えてた?」  これに対して、笹岡は素早く返答した。 「昨日の朝が最初」 「昨日の朝、どこで?」 「そこの中庭だよ」  笹岡は視聴覚室の窓を顎でしゃくり、目の前の芝生の庭を示した。 「昨日は少し用事があって、授業の前にここに寄ったんだ。そしたら、中庭の端に何かいた」  笹岡の左手を見た。  その手が微かに震えている。 「最初教師のだれかだと思ったんだ。制服をスーツだと思った。  けど、背格好が違った気がして……。その時はそれでおしまい。すぐに見えなくなった」  奴は、息を詰めた。  直後、胸につかえたものを吐き出すかのように続ける。 「……昨日の放課後、演劇祭の練習してた時は、空き教室の端にいた。はっきり見えた。  ボブみたいな髪の子で、前髪は揃えてある。けど……」  間を置いて、「目が無いんだ」と笹岡は言った。言葉を吐く顔には、色が無かった。  俺はそれ以上何も言わなかった。自分の弁当を開くと、入っていたウインナーを笹岡の弁当に放り込んだ。  笹岡は一瞬丸い目をしたが、一拍置くと、黙ってそれを口に運んだ  食べている間も考える。  監督になることが呪いの条件だと仮定する。  歩が監督になってから死ぬまでの時間を計算すると、リミットは二週間だ。  そうなると、当初想定していたより少し短くなる。  更に、監督になってから少女が見えるようになるまではタイムラグがある。  しかも、歩は夏休み明けすぐに監督になり、直後から見えていたのに対し、笹岡は一週間して見えている。  少女が見えるようになるまでは、個人で差があるということか。  しばらく二人で黙って弁当を食べていると、笹岡が躊躇うように口を開いた。 「一つ、訊いていいか?」 「ああ」 「……お前と牛尾って、本当に仲良かったのか?」  突拍子もない質問自体に戸惑うが、答えは決まっている。  仲は良かった。そう正直に伝えると、笹岡は複雑そうな顔をした。 「お前にとって、牛尾はどんな奴だった?」  今度は難しい質問だ。俺は遂に箸を口に運ぶ手を止めた。 「……俺とは全く違う人間だった。  何事もポジティブだったな。こっちが進路について悩んでも、『何で迷うのかわからない』って言ってしまう。  そういうやつだった」  それを嫌味に感じなかったのは、奴自身も努力していると知っていたからだ。 「俺が踏み込めない所に踏み込んでいける。尊敬もしてた。  すぐ見栄張るし、気まずいことがあると隠したりするし、ムカついたけど……でも俺にとっては大事な奴だった」  生きている時に、これを伝えておけば良かったと、そう思う。  そうしたら、どんな顔をされただろうか。  笑われただろうか。  それとも照れただろうか。  今となってはわからない。  伝えることの必要性なんて、盆の水が(こぼ)れてから気付くものだ。  笹岡はじっと、弁当を見つめている。 「なにか、歩の行動で気になることがあったか?」  尋ねると笹岡は、跳ねるように顔を上げ「いや」と否定した。  俺から目を逸らすと、ぽつりと言う。 「俺は、あいつが羨ましかった」  笹岡は俯く。 「明るくて、意見言えて、文学の才能もある。家にはお金があって、自分の好きな大学にも行ける。  全部持ってるあいつが羨ましかったんだ。けど……」  奴はしばし逡巡(しゅんじゅん)した後、首を振った。 「俺は……いや、誰も、あいつのこと知らなかったのかもな」  その深刻そうな様子に俺は違和感を覚えつつ、箸で笹岡を指した。 「友達やら、クラスメイトって言ったって、完璧に理解なんてできないだろ」 「……そうだ。そうだな」  奴はそこで言葉を切ると、しばらくして「それ行儀悪いからやめろ」と言い、俺の仕草を指摘した。  そして、静かに立ち上がる。お互いの弁当は空になっていた。  俺は少し躊躇(ためら)って、笹岡に言った。 「笹岡、監督を降りれば……棄権すれば、死なないかもって言われたら?」  それは昨日、西念と話してから思っていたことだ。  もう入り口の方まで歩みを進めていた笹岡は、静かに振り返った。 「降りない。死ぬ証拠も、助かる保証も、どこにも無いから」
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