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九月十七日(木)
翌日の休み時間は図書館に入り浸りだった。
澤田先生から訊いたことを整理していて、『脚本集』という単語が目に入ったためだ。
『脚本集』、すっかり忘れていた。
正直なところ、何かのピースになるとは思えなかった。
けれど、呪いの元凶が学内にあったとわかった今、調べられるものは全て調べた方が良い気がした。
昼休みに図書室へ行くと、中井さんから書庫への入室許可を貰う。
書庫には貴重な資料の他、学校の発行物が全て保存されている。
資料の方は時々入れ替えがされているようだが、発行物は丁寧に綴じられ、どんどん量が増えていくらしい。今後、増え続けた本で、書庫がどうなるのかは少し気になる点ではある。
演劇祭の脚本集はその中でも割と入り口近くにあった。「毎年、夏ごろになると閲覧する生徒が増えるからね」中井さんは言った。
まず、俺は死者が出た年の脚本集をかき集めた。結構膨大な量だが、それをひたすらコピーしていく。
全ての脚本集に目を通すことも考えたが、それだと、夕方西念と落ち合うまでにコピーが間に合わない。
あの男のことだから、きっと脚本集の話をすれば「読みたい」と言うだろう。
膨大な量の紙を輩出するコピー機を見て、中井さんは呆れ気味に言う。
「ねえ、そんなにコピーする必要あるの?」
「うん。西念先生と話をするのに必要で」
「西念先生って、あのロン毛の実習生?」
中井さんは俺が西念の話を出すと意外そうな顔をした。
無理もない。先生方からしてみたら、あのロン毛はかなり印象が悪い。
ただし、(表向きは)言葉遣いやそれ以外の所作には、注意を払っているため、大目に見て貰えているのであろう。
俺に対しては尊大で無礼な西念を思い出し、顔をしかめると、中井さんが隣で唸った。
「……どうして唸っているの?」
「いやね、やっぱりあの西念先生、どっかで見たことあるのよ」
中井さんのその様子を見て、俺は皆川との会話を思い出す。
「そういえば、西念先生、弟がこの学校の出身らしいよ」
「そうなの?」
「皆川先生が言ってた。弟からこの学校のこと訊いて来たって」
本当かはわからないし、その弟というのも本当にいるのかは謎だが。
皆川のことをああいう風に言う奴なら、本来の目的を隠し、適当を言うくらいしそうな気がした。
そんなことを考えながら、手を動かしていると、中井さんが疑問を呈した。
「でも、私自慢じゃないけど、昔の生徒の顔なんてそこまで覚えられないのよ。その弟さんが、図書室に入り浸ってた、とかじゃない限り」
教師が生徒の顔を覚えられないのはどうなんだ、と思ったが、その言葉は飲み込んで無難な答えを探す。
「そしたら……西念先生の弟さんは、本当に図書室に通っていたんじゃないですか?」
「えー?」
「意外なことじゃないでしょ。兄が実習先の学校の歴史に熱心なら、弟が同じような気質だって不思議じゃない」
正直なところ、俺は兄弟がいないのでこれは全くの偏見ではある。
すると、中井さんは声を上げた。
「あ、確かにいたかも。あんな寝ぼけたような顔じゃなかったけど、綺麗な顔の子が。
西念先生、しっかり起きてればイケメンじゃない?」
「……兄弟揃って、羨ましいこって」
そう、奴は顔はだけ良い。認める。
「そうそう。思い出した。
五、六年前の卒業生だったと思うわ。野々市くんと一緒で、私と本の趣味が合ってねぇ。よく取り寄せとかしたわ。
……あれ、でも」
中井さんは首を傾げる。
「名字が全然違う」
俺も首を傾げた。
「なんていう名字?」
「小松くんだったと思うわ」
「へぇ。違う人か……親戚なんじゃないの?」
「そうなのかな。けど、私が似てるって思ったのは確かにあの子」
「ふーん」と返す。
今の日本では、普通名字が違うって言ったら、赤の他人が多い。夫婦別姓とか、家族自体色んな形が求められる時代だから、もしかしたらそういうこともあるかもしれないけど。
あとは、単純に皆川が続柄を勘違いしている可能性もある。
その話題はそれで終わって、俺は黙々とコピーを取り続けた。
それでも時間が足りない。
苦渋の決断だったが、六限の数学の授業は「腹が痛い」と保健室に行くふりをして図書室に戻った。
クラスの面々からは、心なしか憐みの視線を向けられて終わった。
笹岡と佐伯だけは、疑わしげな眼差しをくれたが。中井さんも渋柿でも食べたような顔をしながら「今日だけだからね」と、再び司書室のコピー機を貸してくれた。
ようやく、大方の脚本をコピーし終え、最後の一冊を書庫に返却しに行った。
暗く、ひんやりする書庫には、お情けで付けられたような蛍光灯が仄明るく光っている。
迷路のようにも感じてしまう狭い書庫で、しかし迷わずに脚本集の棚に歩みを進めた。
少し本が傾いだ隙間に、自分の持っていた一九七三年の脚本を差し込む。
――一九七三年?
そのまま、視線を左に向ける。
西念は、制服が廃止されたのは一九七四年だと言っていた。
ということは、この脚本から左は、制服のあった年の脚本、ということになる。
四冊、厚めの脚本が並び、更に向こうから少し薄めの脚本が並んでいた。その薄めの脚本の中でも一番手前のモノを、俺は手に取る。
背表紙には『一九五九年 演劇祭脚本集』と書いてある。
その脚本を境に、背表紙に書かれた西暦は、一年毎に変化していた。
――約六十年前、生徒二人が自殺した。
――それがきっかけで、演劇祭は年に一度になった。
否応なしに、澤田先生との会話を思い出す。
制服があった時代のこと。このーー一九五九年の脚本集が出た年に、二人の女生徒の連続自殺が起こった。
俺には、その生徒二人の死が、例の呪いによるものなのか、何なのか、検討がつかない。
けれど。
俺はその脚本を持って、再び司書室へと足を運んだ。
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