九月十七日(木)

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「あ、澤田先生と言えば」  気を取り直し、俺は鞄から脚本集を取り出した。  一気にリュックが軽くなる。重かった。 「これは何だ」  西念は口元を押さえて、俺が取り出したものに見入った。 「演劇祭の脚本集です。澤田先生から訊いていた資料ですね。  生徒が亡くなった年の分と、一九五九年に演劇部の生徒が二人自殺した年の脚本を印刷してきました」 「なぜ、演劇部の生徒が自殺したのが一九五九年だとわかる?」 「その以前は脚本集の発行が一年毎になっていたからです。  ーーつまり、一九五九年が最後の毎年開催の年です」 「なるほどな」  そう言うと西念は手当たり次第、脚本集を開き始めた。  捲る手は非常に早くて、内容の確認ができているのかは(はなは)だ疑問だった。『手当たり次第』という表現が良く合っている。  西念は大まかに脚本集に目を通すと、俺に声をかけた。 「……お前、中、(あらた)めたか?」 「いえ。昨日脚本集の話を訊いて、今日一日使ってコピーしたのでまだ中身は見れてません」 「要領悪いな」 「ナチュラルに文句言わないでください」  息をするように悪口を挟んでくる大人だ。 「……亡くなった生徒のクラスの脚本を見ろ」  俺は、言われた通り、渡された十五年前の脚本集を開く。  『監督 相生(あいおい)美咲』と書いてある。なるほど、予想通りだ。 「亡くなった相生さんですね」  我ながら、さも「当たり前だ」と言いたげな声が出た。  仮説では、死ぬのは監督なのだ。  だから、十五年前の場合は、最初の監督が鵜川で、次に亡くなった伊藤と、最後に死んだ相生がそれを引き継いで巻き添えになったと考えるのが妥当だ。 「次はこっち」  そういうと、西念は八十二年の脚本を開く。三十三年前のものだ。  二年一組のページには、『監督 木村智』と書いてある。  三十三年前の卒アルに載っていた生徒だ。  当時、二番目にーーつまり、最後に亡くなった生徒だ。 「木村さんの名前がありますね」 「お前の目は節穴なのか?それとも穴すら無いのか?」  西念が口汚く言い放つ。 「そこまで言う必要性がどこにあるんですか!」  目の前の辛辣(しんらつ)太郎は大きなため息を吐きながら、その隣を指さす。 「脚本担当」  俺はわざと眉を寄せて、脚本担当の欄を見る。 「浅井(あさい)清恵(きよえ)?」  途端、既視感を覚えた。  咄嗟に、十五年前の脚本を開く。  十五年前の相生の名前の脇にもまた、『浅井清恵』という名前があった。同姓同名かとも思う。  だが珍しくも無いが、よくある名前でも無い。 「もう一つ」  西念はそういうと、二つの脚本の題名を指し示した。 「『青の季節』……?」  二つの脚本があり、それぞれの脚本家と題名が一致している。  これって。 「生徒が死ぬ理由はじゃない。 使だ」  そう言って西念は一九五九年の脚本を開く。  覗き込んだ俺は、全身に鳥肌がゆっくりと広がっていくのがわかった。脚が少し震えているのも感じる。  開かれたページは、一九五九年の三年一組の脚本の載っているページだ。  そこには『青の季節』という題名と、『脚本・監督 浅井清恵』の記載があった。  西念が腕を組んで話し始める。 「偶然かどうかわからんが、演劇部から自殺者の出た一九五九年、浅井清恵の手によって『青の季節』が書かれている」  脚の震えが手先まで這いあがってきた。  謎の死の連鎖はここから始まっている。 「……他の年も、ですか?」  西念は他の年の分も、脚本を広げた。  他の年に関しては、脚本担当者名は、死んだ生徒の名前になっている。  けれど、どの脚本の題名も『青の季節』で共通していた。 「何でこの二つの年以外は、脚本担当者の名前が違うのでしょう?」 「そうじゃない。他の年は脚本の最後に原作者名の付記がある」  ページを捲って確認すると、確かに、脚本の終わりには原作者の明記がある。 「六十年以上やっているわりに、脚本集を作るときの定型が決まっていないのだろう。『だいたいこう』という指針があるだけだ。  表記方法は担任の采配によって変わる」 「そうか、だから田中先生が気付かなかったのか」  脚本集のテンプレートが統一されていれば、脚本集を読んだ時に田中先生が題名と脚本家の一致に気付きそうなものだ。 「そもそも脚本集(これ)は教師には配布されないらしいぞ」 「え、そうなんですか?」 「当日、教師たちが貰うのは、題名とクラス名だけ書かれたペラ一枚らしい。  だから、違う年に同じような題名があっても、既視感があるだけで調べるまではいかない」  なるほどと納得する一方で、理由がわからない。  首を傾げている俺を見かねてか、西念は先を続けた。 「皆川先生が教えてくれたんだがな、『演劇祭廃止騒動』以降、脚本集は学校関係者には一切配られないらしい」 「演劇祭廃止騒動の時の学校との対立が、今も続いているってことですか?」 「今は伝統を踏襲しているだけだろう。最初は学校側への反抗として、そうしていたんだろうが、それが『伝統』になったらもう説明はいらない。  演劇祭の投票も、生徒の票だけらしいじゃないか。教師で当日全クラスの内容知っているのは、演劇部の顧問だけらしいぞ」  演劇部の顧問だけが全容を知っている、というのも演劇祭黎明期に熱心だったという顧問の名残があるのかもしれない。  各クラスとも当日まで内容は秘密にするし、先生方もクラス担任くらいしか内容を把握できないだろう。 「高木先生は演劇部顧問だった。  だから、『青の季節』の呪いに気付いたんだろう。そして、浅井清恵から調べ始めた。  ここからは完全に推測の域を出ないが、浅井清恵を調べていて、沼田亜矢子に辿り着いた可能性はある」  ――つまり、浅井清恵と、沼田亜矢子は一直線で結ばれている……。  西念の説に納得した上で、俺はある矛盾点に気付いた。 「けど、この脚本、うちのクラスとは関係無いですよ。だって、あれは歩が書いたものです」  俺の言葉を訊いた西念は、口を(つぐ)んだ。珍しく、何か迷っている様子が感じ取れる。 「何ですか?俺、変なこと言いました?」 「お前、『青の季節』の内容読んだか?」  そう言って、五九年の脚本を手渡してくる。  西念の顔を見ると、どこか悲しそうな眼をしていた。何か思考している時の鋭い目とも、いつもの眠そうな顔とも違う、温かさを感じる目だった。  その目に、心がざわつく。  手渡されるまま、脚本を読み始める。  そして西念の態度の意味が、ようやく分かった。  何と、言葉を発していいかわからなかった。自分の感情をどう言葉に表すべきかもわからなかった。  ……―『青の季節』の内容は、一字一句違わず、『二人の夏』だった。  似ているなんてものじゃない。『そのもの』だ。  脚本をテーブルの上に置いた後、長く、感情が言葉にできなかった。  その間の沈黙が永遠にも感じて、それがまた(わずら)わしい。  ややあって西念が呟いた。 「牛尾は、こういうことする奴だったのか?」  首を横へ振る。少なくとも、俺の知る歩は悩みながらも、自分の作品を作る奴だったと思う。  一方で夏休み前に、『脚本は初めてだ』、と零していたのも事実だ。  葬式の時、歩の親父さんから貰った、脚本の草稿が頭を(よぎ)った。  あの脚本草稿は、『二人の夏』の原型ですらなかった。あの草稿からどうやったら、『二人の夏』が生まれるのかと、感心した覚えがある。  ――けれど、そもそも、彼は書くことができなかったのだ。  書き殴るように記された文字は、何度も自分で見返し、赤くなっていた。  けれど、その直した赤が、『二人の夏』に活かされた痕跡は微塵(みじん)も無かった。  柔らかな顔をしながら、歩自身もまた、演劇祭に執着していたのだ。  そして、その執着を俺は感じ取ることはできなかった。勿論、彼も俺に言えるわけが無かった。  だが例え、歩の選択を知っていたとしても、彼を助けることができなかった、止めることができなかった、そんな気しかしない。  笹岡が躊躇いながら口に出した、「お前と牛尾は、本当に仲が良かったのか」という言葉の意味が、今ならよくわかる。  笹岡は、全て知っていた。  だから、弁当を一緒に食べた時、あんな質問をしたのだ。  俺は、歩のことを何も知らなかった。  ライターを擦る音と、煙の匂いが、辺りを漂った。  しばらくして、俺が顔を上げると西念がこちらをじっと見ていた。  目を逸らすと、奴は煙草を灰皿に押し付けて話し始める。 「これでわかったこともある」 「……そうですね」  出た声は思いのほか(かす)れた。  競り上がるものを堪え過ぎて、声の出し方を忘れたようだ。 「ここでは仮に『少女の呪い』と言うが……―呪いは、『青の季節』の内容を採用し監督になった瞬間に発動する。  ――例え『青の季節』という題名をつけなくてもだ」  演劇祭に『青の季節』を起用すること。それがトリガーだ。形は問わない。  偽の題名で脚本を採用したのは歩で、引き継いだのは笹岡だ。  それは、他の亡くなった生徒たちも変わらない。どんな形で呪いが始まろうと、それを引き継げば二次感染する。 「更に、その瞬間から呪いが始まっていると考えるとリミットは二週間説が濃厚だ」  俺はその言葉に頷いた。  演劇祭の役職が決まるのは、夏休み明け初日だ。  朝、脚本担当に立候補する生徒が台本を提出して、その日一日で生徒たちは台本を読み比べる。そして、夕方には決定する。  かなりスピーディーだが、どういった役職の配置でいくかと、立候補者については夏休み前に決めるから特に問題は生じない。  つまり、笹岡が死ぬのは、監督を引き継いだ八日から二週間後――演劇祭の最終日である二十二日、ということになる。  それは、当初想定していたよりも、短いリミットだった。  けれど、今、西念が話した一連の事実は俺を更に絶望させた。 「……それって、監督が脚本を変えるか、演劇祭を棄権するかしないと、呪いは終わらないってことですよね?」  朴念仁は慈悲もなく、更に悪い可能性を提示した。 「その案が最善だが、今回の場合、それをしても呪いが解けるかの確信はない」 「……どういうことですか?」  頭に嫌な汗が滲む。 「十五年前、生徒が死んだ日付を思い出せ」 「そんなこと覚えてる変態は、西念先生ぐらいでは?」  俺の言葉に西念は眉を寄せた。おお、こわ。 「最後に亡くなった相生は、演劇祭を過ぎてから死んでいる」  背が冷えた。それが何を意味するのか、嫌というほどわかる。 「……監督業が終わっても、生徒は死ぬ可能性が高い、ということですか」  西念は頷く。 「この呪いは時限爆弾と一緒だ。  解除方法がわからなければ、演劇祭が終わろうと、監督業が終わろうと関係なく発動する。解除できない限り、生徒は死ぬ」  そう言うと、西念は静かに息を吐いた。 「ただ、過去に自主的に監督業を降りた生徒がいなかったとは言い切れない。  もしかしたら、監督を辞めれば生き残る道はあるかもしれない」  西念の言葉は一見希望が残っているように感じられた。だが。 「……それは、笹岡が認めないと思います」  笹岡は、歩に負けず劣らず演劇祭に対する執念がある。現に、俺は『死んでも演劇祭には出る』宣言をされている。  西念は眉をひそめた。 「野々市、人命より演劇祭が大事なのか?」 「そんなわけないでしょ!」  そんな風に思われていたのか。いや、そこまで割り切れた方がいっそ楽だった。 「どっちみち中止にするなら、ギリギリまで足掻きたいです。それに、『呪いを解く方法が他にない』と決まったわけじゃない」  西念は溜息を吐いた。じっとりとした視線を向けられる。  往生際が悪いのはわかっている。人の命がかかっているのもわかる。  けれど、演劇祭は高校生活で一度きりだ。笹岡と、皆を納得させるだけの理由がいる。  西念は無言でジャケットを取り上げると、立ち上がった。思わず、西念の方を見てしまう。 「……浅井清恵と沼田亜矢子について調べる。今残されてるのはその線だけだ」  そう言う西念の言葉に、涙腺が緩みそうになるのを、ぐっと引き締めた。
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