九月七日(月)

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「あの噂、訊いたか?」  クラスメイトのその言葉に、自然、聞き耳を立てる。 「え、どんな噂?」 「女の子の霊の噂」 「何それ」  斜め二つ前の席にいるクラスメイトたちは、俺が訊いているとは夢にも思わないだろう。女子の霊の怪談は、この高校には幾つかある。新しい噂か、既存の噂か。 「その女の子の霊を見ると死んじゃうんだって」 「……ここ私服校じゃん。幽霊と本当の女子、どうやって見分けるんだよ?」  あ、これは。あれだ。 「続き訊けよ。その噂の女の子、制服を着てるんだよ」  それを訊いた俺は黙って机につっぷした。  まただ。また、訊いたことのある噂だった。  苛々を無視するために、手にあるシャープペンをくるくる回す。その軌道に風の抵抗を感じて、流れを感じる方向へ、目を向けた。  レースのカーテンが、さらとなびく。  放課後を迎えた教室のざわめきと呼応するように、少し開いた窓の外から、ひぐらしの声が入ってくる。  九月を迎えたといっても、まだ空は青く、低い。  ジリジリと焼けるような揺らぎが、雲の表面を舐めていた。 「野々市」  前の席の(あゆむ)の声に、顔を向ける。くりくりとした瞳は不思議そうに細められている。  それでも、持ち前の爽やかさは崩れないのだから、イケメンは困る。 「あ、ごめん」 「はい、これ」  目の前の席の友人は、そう言うと白紙の『進路希望届』を手渡す。  先ほどのホームルームで、担任の皆川から進路希望の説明があった。文系、理系どちらに進むのかが、この白い紙きれ一枚で決まるのだという。周囲のクラスメイトも、三年次にどちらに進むのかを、ひたすら楽しげに話し合っている。 「お前、どっち行くの?」  歩はにかっと笑ってそう尋ねてきた。  彼も楽しいうちの一人なのだろう。その言葉は跳ねるような勢いがあった。  だけど、俺には関係の無い話で。白紙を鞄に仕舞いながら、低く答える。 「理系」 「え、意外。お前、歴史とか本とか、そういうの好きじゃん。文系だと思ってた」 「今そんなので喰っていけるかよ。人生長いんだし、苦しまないように安パイ取りたいだろ」 「ええ~耳が痛い話だなあ」  大きな体躯を揺らして笑う歩は、脚本家を目指すため、有名な私立大学を志望している。  現在は文章の方を学びたいそうで、文芸部に籍を置いているが、ゆくゆくは志望校の名門劇団に入るのが目標だという。高校入学当初から話すこいつの気持ちは硬い。  何となく、そんな歩と目を合わせるのが辛くて、ところどころ黒ずんだ、シート素材の床を見た。歩の笑顔も、進路について話すクラスメイトも、何となく俺を気後れさせる。 「あー……ネタがない……」  こんなことで文句を言っている暇はない、とばかりにぼやくと、歩が身を乗り出してきた。 「ああ、オカルトコーナー?でも、あれ不定期でしょ?」 「そんなこと言って怠けてたら、いつまでも記事書かなくなるでしょ」 「さすが霊感マニア」 「いや、霊感ないし。それ言うなら、オカルトマニアだろ」  歩は笑ったが、別にオカルトマニアにもなった覚えは無い。  怪談とか、不思議な話に関心があって、時間に余裕があれば調べてるだけだ。  別に幽霊が見えたこともその声が聞こえたこともなく、だからこそ興味があった。  そして、そのままは勿体ないから、所属する新聞部の記事内に『オカルトコーナー』を設けた。それだけなのに、この呼ばれ方。 「まあ、そのオカルトマニアも開店休業中だよ。新しい噂かと思って、聞き耳立てたら訊いたことのある噂だし」  大仰(おおぎょう)に溜息をつくと、歩は興味を持ったようで「どんなの?」と尋ねる。こうなると、俄然話したくなるものだ。 「校内で女子の霊を見るって話」 「へえ。女の子ねえ」  あの噂の醍醐味(だいごみ)は、ここからだ。私服校であるうちの高校では、ほとんどあり得ない事態。 「……その女子の霊、制服着てるんだよ」  想像膨らむだろ?と続けようとしたが、それは叶わなかった。  いつも穏やかな歩の表情が、険しさを増したからだ。少々面食らう。 「え、どうした?」 「……それって、その女の子の霊見ると、死ぬってやつでしょ?」  歩の顔色は先ほどと打って変わっていた。少し顔が白いように見える。 「そうだけど……」 「僕、その噂苦手なんだ。やめてくれない?」 「あ、そうなの。ごめん」  謝ると、歩はハッとした表情を浮かべ、そっぽを向いた。  気まずくなり、視線を下へと向ける。  人の死に関する噂が苦手な人間は一定数いる。歩は割と耐性あると思っていたため、その反応は少し意外だった。  次は気を付けなければ、と考えていると、伏せがちな俺の視界に、格子柄のスニーカーが入ってきた。 「お前ら、ちょっと声大きい」  そう言って冷ややかに言う相手は、例の如く笹岡(ささおか)だった。  無造作に、緩くカーブする髪の毛が、そこそこある身長を更に(かさ)増ししている。 「悪かったな」  少しムッとした俺がそう返すと、笹岡は鼻を鳴らして去っていく。  奴が教室を出て行くのを見ながら、歩が苦笑いした。 「本当、突っかかってくるなあ」  笹岡は、二年になって同じクラスになった映画研究会のメンバーだ。  それまで交流は無かったのだが、クラス替え後の自己紹介で、歩が脚本家を目指しているという話をしてから、やたらと意識しているようだった。本人が映画監督志望だというのもあるかもしれない。 「演劇祭の脚本コンペ負けたのがムカつくだけだろ。いちいち歩に突っかかりやがって」 「まあまあ」  そう言って、自分のことなのに笑い続ける歩もたいがい呑気な奴だ。先ほど心配したのは大損だったようだ。    笹岡の機嫌が悪いのは、夏休み明けに実施した、演劇祭の脚本決めも原因の一つだった。  うちの高校では三年に一度、三日に(わた)る演劇祭が行われる。学年を問わない、全クラス対抗で順位が決められるそれは、結構大がかりだ。衣装や大道具の類も、自分たちで作る。基本的には素人が組み立てるものでありながら、外部からも毎回一定の評価を貰うことで有名だった。  今年はその演劇祭の年。それも、二週間後に迫っている。  俺たちの所属する二年四組では、歩と笹岡の二人の脚本がコンペにかけられ、多数決で歩の脚本が選ばれた。  それから笹岡は、歩に何かと機嫌悪く接してくる。 「ただでさえ、進路希望届が配られて憂鬱なのに、あいつのせいで本当気分悪いわ」  愚痴る俺をよそに、歩は軽く微笑んだ。すぐにそれを引っ込めて尋ねてくる。 「それはそうと放課後どうするの?演劇祭の準備の方」  そうだった、と気持ちが声になって漏れた。学校行事というのは総じて面倒臭くて関心がない。  しばし考え、俺はリュックを持ち上げると、立ち上がった。 「新聞部の締切が近いから、ちょっと進めてから戻るわ」  そう返すと、歩は苦笑いを浮かべる。 「そか、無理すんなよ」  通常、演劇祭の無い年は文化祭が行われるが、今年はそれも無い。  一方、部活動がなくなるわけではない。演劇祭前にも、新聞の発行が予定されている。  というのを口実に、俺はよく準備をサボる。さっきの「新聞部の締切」も方便だ。  演劇祭前に入稿予定の記事も、もう八割がたできている。  所属している部活に行くという取り繕いをするほどに、色々気分が悪かった。  とりあえず、いつもの場所へと向かうため、一人教室を出る。
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