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九月十八日(金)
演劇祭開始まで三日と迫った金曜の放課後、俺は演劇祭の衣装を貼り付けながら、落ち着くことができなかった。
時折、焦りからイライラと髪を掻き毟る。
同級生たちは、俺がイラついていることに困惑して近付いて来ない。
これでは完全に友達がいなくなるのも時間の問題だろう。
どこでそういう話になったのか、いつの間にか生徒間では、笹岡が歩と同じように「見えているんじゃないか」という噂で持ち切りだった。
当の笹岡は噂に対してはだんまりを決め込んでいたので、生徒たちは笹岡を心配する体で噂をしまくっている。
俺がイラついているのは、それも起因していた。
現に、今も隣でサッカー部の男子生徒が二人、「笹岡が見えているのではないか」「あいつ偏屈だから言わないしなあ」などと、奴の悪口まがいのことを交えながら話している。
あまりにもムカついたので、俺はそいつらに向けて衣装用の接着剤を思いっきり投げた。
クラスの面々が一斉に振り返り、視線が俺に注がれる。
悪口まがいのことを言っていた負い目か、目の前の二人は気まずそうに目を伏せた。その様子に、「気まずくなるくらいなら言わなきゃいいのに」と更なる怒りが沸く。
周りの視線もこれまた不快で、俺はそのまま衣装を二人組に押し付けると、教室を出た。
イライラしていたもう一つの理由は、時間が無いことへの焦りだった。
二人の生徒について調べようとは決めたものの、状況は芳しくない。
ひとまず、誰だかわからない沼田亜矢子は置いておいて、浅井清恵について調べることになった。
脚本集の情報から、清恵が三年一組の生徒だったことはわかっている。
まずはその伝手を探そう、ということになった。
日が明けて今朝、西念は再び何らかの術を使って、今度は大昔の教員名簿を調べたらしい。
一九五九年の当時の教員名簿が残っているものなのか疑問に思ったが、後生大事に保管されていたという。
そこには彼女のクラス担任の名前が記されていた。
しかし、六十年前だ。
昼休みに連絡を取ると、その担任は既に鬼籍に入っていることがわかった。
それならばと、仕事で動けない西念に代わり、俺は名簿の情報から、当時の演劇部顧問に連絡を取った。
浅井清恵が脚本を書いた当時、生徒二人の自殺を出したのが演劇部だったからだ。
そちらからアプローチすれば、何かしらの情報は得られるかもしれない。
しかし、結果は無情だった。
老齢の男性が、電話に出る。
「咲子は、六十年近く前に亡くなっています」
その顧問の旦那だったという男性は今になって、彼女を尋ねてくる電話に驚いているようだった。
彼女は六十年前のごたごたの中、学校を辞め、直後に自殺した。二十六歳だったそうだ。
結婚から日の浅かった男性は、学校が何かしたのではと疑い、手を尽くしたが、とうとうどうにもならなかった。
幸いなことに、その後新たな伴侶を得て思いのほか余生を楽しんでいる、と笑っていた。
そのことを訊いた俺は、嫌な感じがした。
大昔のことだと、何が原因かもわかったもんじゃないが、この教師の死も呪いのせいなのだろうか。
だが、それ以上の情報は無かった。このままでは手詰まりだ。
俺は田中先生のもとへ走った。
田中先生なら、当時のことを知っている教師を紹介してくれるかもしれない。
期待も虚しく、お爺ちゃんは残念そうに首を振った。
「確かに、僕は校内だと年寄りだけどね。流石に、その頃はまだ稚児だよ」
当時を知る先輩教師も勿論いたが、現在は連絡を取り合っていないという。
ちなみに、演劇部顧問が頻繁に変わっていないか、という件を指摘すると田中は「そういえば」と、今気づいたようだった。
「教員は安定っていうけど、ここは私立だからね。
年老いた常勤はなかなか変わらないけど、新しく入って来る先生ほど入れ替わるのも早い。
若ければ若いほど、印象には残ってないな」
結局手掛かりは掴めず、焦りばかりが募る。
このままだと、笹岡は死ぬ。
空回りし続ける頭で、教室を抜けて南棟へと向かう道すがら考える。
そもそも何故、浅井清恵の脚本を選ぶと死ぬのだろうか。
そして、歩は何故あれを選んだのだろう?
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