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意外なことに、講堂の扉はすんなりと開いた。
円形のロビーに入ると、演劇祭の喧騒が嘘のように、静寂に満ちている。
俺達はすぐさま講堂の扉を閉めると、扉を抑えるものが無いか確認をする。
バリケードにできるようなものは無かった。
ひとまず、掃除用ロッカーからモップを一本持って来て、クランク型の二つの取っ手に、通すように差し込む。
どこまで効果があるのか、そんなものはわからない。
あの化け物に対しては、せめてもの気休めだろう。
講堂の扉を背に座り込み、呼吸を整えた。
「……講堂の扉ってここだけだったか?」
俺の質問に、笹岡は荒く息を吐きながら首を振る。
「まだある。外部用の入り口だ」
俺は今日自分が入った出入り口を思い出す。
そうして、一階部分の扉と、窓の鍵が閉まっているか見て回った。
「お前、あいつから逃げきれたら何する?」
不意に隣で、窓を確認していた笹岡が言った。
その声からは何の感情も感じ取れない。
「……水が飲みたいな」
「いいな。俺は購買のパン食べたい」
「メロンパン一択だな」
「あんなの甘いだけでしょ」
そんな戯言の応酬をしていると、ある感情が沸き上がった。
「……進路届出さなきゃいけない」
「俺も」
「もう出したと思ってた」
「金策がまだだからな」
笹岡の顔を見る。奴は少し得意げに笑っていた。
「……私立か?」
「ああ。しっかり演劇やりたい。後悔はしたくない」
自然と頬が緩んだ。そこで、あることを思い出した。
「あ」
「何だ?まだ食べたいものでもあるのか?」
笹岡は呆れ顔だ。俺は軽く笑って返した。
「焼肉、行かなきゃならないんだ」
「何だそりゃ」
顔を見合わせ、笑い合う。
笑うのなんて久しぶりだ。
と、唐突に息をするのを忘れた。
――笹岡の肩先に顔が現れたからだ。
「野々市?」
笹岡は気付かない。
顔は、視線を笹岡に向けている。
ざんばら髪の隙間から見える、垂れた舌。
鼻の上に、白と黒のコントラストが印象的な目が付いている。
それは充血して、半ば飛び出していた。
狂気を浮かべた双眸は、ただ笹岡を見つめることに執心している。
舌が垂れていて、動かせないはずの口からは、何か呟いている声が聞こえる。
その口が、笹岡の耳に寄せられた。
笹岡の身体が固まる。
目が見開かれて、呼吸が荒くなる。
そいつは、足と同じように醜悪な斑色をした手を、奴の腕に回そうとした。
よく動けたと思う。
俺は女の腕が笹岡に回されるより先に、その腕を取りこちら側へ引いて、身体を抱え込んだ。
すぐに自分の身体を引き起こし、奴の手を引き摺りながら移動する。
その過程で、笹岡は力が入らない足を何とか踏ん張りつつ、体勢を立て直そうと中腰になった。
その腰を支えながら、二人で講堂のホールの中へと転がり込む。
講堂はステージに向かって階段状に下っているので、俺達は落ちるように駆けた。
その間にも、靴音と、女の声は背後から続いて来る。
どこに逃げていいのかわからない。
とにかく、ステージを目指すしかなかった。
階段を下りきって、ステージの壇の前に辿り着く。
暗いステージの上に笹岡を上げる。
奴の背中を押し上げた時、俺の視界が大きく回った。
背中に衝撃が走る。
その直後に臀部を強かに打つ感覚があった。
「野々市!」と俺の名前を呼ぶ笹岡の声が、遠い。
目を開けると、ステージの上にいる笹岡と、それに近づくように階段を滑る女の姿が見える。
逃げろ、と叫びたい。
けれど、胸に潰れたような痛みが走り、声が出ない。
俺はどうやら、壁へと叩きつけられたようだった。
笹岡は女そっちのけでステージを降り、こちらに駆け寄ろうとしている。
その脚を女が捕え、笹岡の身体を壇上から引きずり落とす。
心臓の音が煩くて、なのに身体は動かなかった。
胸が痛い。声が出ない。
どうにかしなきゃ、と腕に力を込め、立ち上がろうとした時だった。
ホールの扉が勢いよく開いた。
その音で、聴覚が戻ったことを理解した。
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