九月二十二日(火)

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 彼が大人の輪に加わると、少し話をして七尾さんがこちらにやって来る。 「あ、野々市くん。もうちょっとしたら、笹岡くんと一緒に、送っていくから」  俺は、七尾さんが乗ってきたシルバーのセダンをちらりと見る。 「あ、いえ。西念先生にだけ押し付けるわけにもいかないので、残ります」 「いやいや、夜遅いし」 「いえ、そういうわけには」  食い下がると、七尾さんが微笑んだ。 「本当似てるな」 「はい?」  前もそんなことを言っていた気がする。  彼は俺の姿を誰かに重ねているらしい。  特に興味は無かったが、七尾さんに尋ねた。 「この前から思ってたんですけど、俺、誰に似てるんですか?」  クツクツと声を上げていた彼は、ようやく声を潜めた。  そうして「あー……」と笑いを押し殺すようにすると、ぽつりと言った。 「西念の弟」  少しドキリとした。  中井さんや皆川と話してわだかまっていた疑問が、繋がっていくのを感じる。 「弟さん?」  七尾さんは頷くと、薄く笑みを浮かべたまま言った。 「クソ生意気で、けど変なところで律義なのがそっくり」  そう言う彼の瞳は、少し寂しそうだった。    躊躇ったが、意を決して七尾さんに向き直る。 「もしかして、『小松さん』とかいう……?」  彼は目を丸くした。  そして「知ってたのか」と言うと、ふと笑みを収めた。 「今回、結構あいつが口うるさく絡んで来たと思うけど、嫌わないでやってくれ。少年を心配してのことだ」  確かに俺が最初、噂の調査をしていることに関して、西念は口うるさかった。  けれど。 「……それと、俺が先生の弟さんに似ていることと、何が関係しているんですか?」  尋ねると、七尾は苦笑した。 「あー……そうだなぁ」  そう言って頭を掻くと、西念の方を一瞥した。  奴は警察と皆川と話し込んでいるようで、こちらを見向きもしない。  それを見た七尾さんはジャケットの内ポケットに手を突っ込む。  周りを気にせず、彼は煙草に火を点けた。周囲を煙が取り巻く。 「俺が言ったって言うなよ?」  その言葉に勢い込んで頷いた。  七尾さんは再び煙を吸い込むと、吐き出した。 「あいつ、基本的にあんなだけど、結構精神脆弱(せいしんぜいじゃく)な奴なんだよ。  この間まで、一年間大学に行けない状態だったんだ」 「え」  俺は西念を盗み見た。全然そうは見えない。  あの西念が?ふてぶてしい大王が?  皆川と話すその顔は、いつものやる気なさそうな顔に見える。 「原因は?」  俺が尋ねると、七尾さんは吸い差しを携帯灰皿へねじ込んだ。 「弟が死んだんだ」  声が出せなかった。  今日の俺は色々な事実に直面しすぎて、言葉が迷子になりがちなようだった。 「それも、わけのわかんない死に方してなぁ。  弟と西念は同じ大学の学部違いだったんだが、一緒に住んでてな。その二人暮らしの自室で死んでたんだ。  旅行に行くっていって、音信不通になった一ヶ月後にな」  七尾さんは二本目に火を点ける。  俺はと言えば、状況が飲み込めなかった。  一見、ただの家出のように思えたはずだ。だが、なぜわざわざ自室で亡くならなければならないのか。 「もちろん、原因はわからない。変死と判断された。  遺体も酷かったらしいが、西念は未だにどうだったか言わない。俺も訊こうとは思わないが。  奴の弟は、今の少年と同じように、怖い話とか、民俗学が好きだったらしくてな。そういう土地にばかり足を運んでいた。  口には出さないけど、奴はそのせいだと思ってる」  二本目の煙が辺りをゆっくりと取り巻く。  まるで、線香の煙のようだった。 「結局、そのあとに奴は引きこもってな。  奴の家は家庭が複雑らしくて、家族は弟が一人きりだった。  その家族が亡くなったんだから、あれだけの朴念仁でもクるものがあったんだろう。  大手商社に内定決まってたのに、就職を断って、一年間だんまりだ。  大丈夫かと心配してたら、一年経って『院に入る』ときたもんだ。笑ったよ」  そう言う七尾さんは実際に笑っていた。ただその目元は、笑っているというより、泣いているに近かった。 「以来、あいつは弟の軌跡をずっと調べてるみたいだ。何を考えていたのか、学校で何を研究していたのか。  そして、何で死んだのか」  話を聞いて、全て合点がいった。  西念のやる気のない態度。  の割に学校の歴史を調べる念入りさ。  常の教育実習生より歳を取ってるのは、一度留年してる(ダブってる)から。  そして、なぜこの学校を教育実習に選んだのか。  全部、弟さんのためだったんだ。    なんと答えるべきか迷っていると、七尾さんが俺の頭に手を置いた。 「とりあえず、あんまり危険なことするなよ。西念が悲しむ」  俺は苦笑いしつつ、その手を取って答える。 「……西念先生が学校で煙草吸うの辞めたら考えます」 「あいつそんなことしてんのか」  七尾さんが煙草片手に『チッ』と舌打ちをしたので、思わず笑ってしまう。 「……何話してんだ」  後ろから声を掛けられ、少し身動ぎした七尾さんが振り返る。 「おう。野々市少年を送っていく算段をな」  話しかけてきた西念を見上げると、眠そうな目が俺に向けられた。 「時間も遅い。お前はさっさと帰れ」 「え、でも笹岡が」 「車に運び入れれば問題無い」  そう言って西念は寝ている笹岡をひょいと横抱きすると、車の方に向かった。  線が細い割に、身長があるせいか、思った以上に力が強い。 「さ、少年も早く」 「え、ちょ」  七尾さんに背を押され、俺も車の中に押し込められてしまう。  待て待て待て、と心の中で焦る。  もしかして、本当に今日はこのまま帰るのだろうか。もう少し、西念に言いたいことがあるのだが。 「じゃあな」  七尾さんはそう言って西念に声をかけた。西念は会釈だけでそれに答える。  慌てて俺は、サイドガラスを開けた。  ひんやりした空気が、前髪を撫でる。 「西念先生」  俺の声に重なるようにして、車のエンジンがかかった。  西念は表情を変えずにこちらを見て、手を伸ばす。  その直後、聞こえるか、聞こえないか位の声で「頑張った」と声がした。  手は俺の頭を一回掻きまわすと、すぐに引き下がった。  次の瞬間、車は走り出した。西念の姿は小さくなっていった。  西念がどうしたのか見届けることはなく、見慣れた校舎の姿が、角を曲がって消えた。
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