九月七日(月)

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 結局のところ、俺の機嫌は悪いままだった。  不機嫌を誰かにぶつけるわけにもいかず、しかたなく、屋上を出た足をそのまま中棟の三階へと向ける。  図書室を覗くと、文化祭前だからか人影はまばらだったが、三年生らしき何人かが備え付けの机に向かっていた。どの顔も無表情に、目の前の問題集や参考書を見ている。  一応、進学校なだけあって、三年生の気合の入りようは演劇祭準備期間も関係なしのようだった。  抜き足差し足で図書カウンターを覗くと、既に図書委員はいない。四時以降は、奥の詰所にいるここの主が、図書室の切り盛りをする。 「中井さん」  抑えた音量で声を掛けると、開いたドアの影から主が顔を出した。 「あら、オカルト小僧のお出ましね」  そう言うと、司書の中井さんは奥からこちらへ出て来た。 「読みたい本があるんだけど、絶版みたいで。ここの図書室に取り寄せできる?」  そう問いかけると、彼女は言った。 「市内の図書館にあればね。それ以外だと、時間が掛かるかな。書名はわかる?」  中井さんに借りたい本のリストを渡す。それを見て、彼女はニヤリと笑む。 「また珍しい本を……。これとか懐かしい。昔読んだことあるよ」  俺も彼女に笑いかけた。  中井さんは、俺のオカルト寄りな選書にも対応して、色々な伝手から本をかき集めてくれる良い人だった。彼女のお陰で、俺が図書室を利用する機会は増えつつある。 「それにしても、珍しい時間に来たわね。いつもなら、もう少し早く来るんじゃないの?」  思ったよりも行動パターンを読まれていて、苦笑いが浮かんだ。 「演劇祭準備。クラスの方も忙しくて、その手伝いしてる合間にきたの」  適当に嘘を言うと、中井先生は「へえ」と独りごちた後、いたずらっぽい笑みを浮かべた。 「笹岡くんと喧嘩でもしたの?」 「え?」  中井さんは作業の手を止め、こちらを見る。 「結構有名よ。貴方たちがしょっちゅう大きな喧嘩してるって」  そんな気は無かったが、周囲にはそう見えているというのが、結構ショックだった。 「まあ、喧嘩の原因は知らないけどね。笹岡くんだって努力家なのよ。演劇祭の脚本提出の前なんて、八月頭から書庫に通ってたもの」 「え」  喧嘩なんてしていないと否定するのも忘れた。笹岡は、いい意味でも悪い意味でも、唯我独尊(ゆいがどくそん)という態度の奴だった。服のセンスも独特で、ダメージ加工のジーンズにTシャツという風体(ふうてい)のことが多い。  自分のペースを乱されるのが嫌だ、という空気を振り撒き、友人とも頻繁にぶつかる。  だからだろう。奴の努力する姿というのが、あまりイメージできなかった。 「書庫にある、古い演劇の本とか引っ張り出して読んだりとかね。牛尾くんといい、夏休み中は演劇祭のことで熱心に悩んでいたわよ」  『牛尾』という言葉が耳慣れず、一瞬『歩』のことだと理解するのに時間がかかった。  中井さんは褒めるが、対する俺は黙り込んだ。  彼女の言い分もわかるが、努力しているからって、気に入らない奴に当たり散らしていいのは違う。  そんな気持ちが顔に出ていたのだろうか。中井さんは溜息を吐いた。 「野々市くんて本当、時々まっすぐ過ぎておばさん心配になっちゃう」  中井さんが書類を書き込む手元を見ながら、ふと『制服の少女の噂』を思い出した。  あの噂については、まだオカルトコーナーには書いていない。確かに怖いが、それ以上に話の背景が掴めないのがその理由だ。少女の幽霊が誰なのかも、何故出るのかもわからない。それに、制服を着ているということは、他校の生徒の可能性が高く、素性不明だ。  新聞部のバックナンバーに、何かしら少女の噂について書いてないかと思い当たる。 「中井さん、新聞部のバックナンバーって書庫だったっけ?」  彼女は取り寄せの書物を書き取っていた手を留め、こちらを見た。 「そうだけど…新聞部で取り置きして無いの?」 「新聞部には部室が無いから。活動場所がPC室ってだけ」 「なるほどね。あるわよ。書庫の奥に毎号取ってあるけど。今日はもう書庫閉めちゃっているからねえ」 「わかった。後日見てみるよ」  頷いてみせると、彼女は溜息をついた。 「書庫使う人が最近多いのよね。笹岡くんと牛尾くんでしょ?あと、今日は教育実習の先生も来たし。別にいいんだけど、利用時間は守って欲しいわ」  へえ、と気のない返事をする。物好きな実習生もいたもんだ。 「学校の歴史を知りたかったんだって。実習先のことまで調べるなんて、熱心な人よね」  それは確かに意外というか、不思議だ。  教育実習といえば、大学生が母校に戻って来るというイメージが大きい。何故、母校に帰ってきて、その歴史を調べる必要性があるのだろう。  考え込んでいると、中井さんが苦笑いをした。 「まあ正直、そんな熱意のある先生には見えなかったんだけどね。男性で髪の毛を伸ばして一括りにしてて。どっちかというと、まあ自由な人って感じ?」  俺は思わず眉をひそめた。思い当たる実習生は一人しかいない。  あの朴念仁は、『変な噂がないか』と言っていた。変な噂なんて、生徒同士のいざこざから、先生の下世話な話まで沢山あるが、あの文脈からすると怪談話を指しているようだった。  そうだとしたら奇妙だ。  ただの教育実習生が、学校の怪談を知ってどうするのだろう?  中井さんは言葉を続けた。 「それに、あの先生、どこかで見たことあるのよね」 「……それ、普通じゃない?実習生って、自分の母校に帰ってくるもんじゃないの?」  中井さんがあの実習生を見たことがあっても、不思議じゃないと思うのだが。 「そういうことが多いわよね。でも、あの先生の名前、記憶に無いのよ」  そして確かに、『西念(さいねん)』なんて名字はなかなか無いし、一度訊いたら忘れなさそうだ。 「そもそも、私が覚えているってことは、図書室利用者だった人のことが多いわけ。そういう時は、名前まで覚えているものなんだけど」  教師という職業をしている人々は、生徒の名前を長く覚えているもんだな、と感心する。  ーーまあ確かに、あいつの場合は一度見たら忘れなさそうな整い度合いではあるが。  中井さんは少し考え込んでいたが、遂に手で振り払うような仕草をした。 「ま、いいや。とにかく、書庫の方は五時までだから。使うならそのようにね」
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