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九月十日(木)
翌日の葬儀は、二年四組の生徒のみが参加した。
前日と同じセレモニーホールで行われた葬儀は、全てその中で完了してしまった。
映画や小説では、よく出棺とか、バスで参列者が移動する様子が描かれるので、少し意外だった。
悲壮な雰囲気に包まれた会場は、同時に無機質さも感じさせた。それが、『葬儀』というプログラムに沿っているからなのか、俺の心が動かないからなのかは、わからない。
歩が斎場へと向かう前に、学校関係者は解散となった。クラスメイトが次々と会場を後にする。
虚無のまま、俺もそれに倣おうとした。
「野々市くん」
後ろから声を掛けられる。
振り返ると、一人の男性が走り寄ってきた。
昨夜、通夜の席で見かけた、歩の親父さんだった。
「今日はありがとう」
親父さんがそう言って見せた笑顔は痛々しい。憔悴の色は、昨日よりも濃くなっているようだった。
「この度は……」
そう声を掛けると、彼は首を振った。
「そういうのは、もういいよ。それより、これから時間はあるかい?」
そう言われ、心の中で首を傾げながら「帰るだけです」と答える。
親父さんは「そうか」と言うと、嬉しそうに笑った。
「控室で待っていて貰えるかい?君に渡したいものがあるんだ」
内心迷ったが、俺は頷く。
親父さんに連れられて控室に移動する時に、ふと視線を感じた。
振り返ると、こちらを見ている西念と目が合う。
その後ろに立ち去る皆川を認めて初めて、教師陣もまだ残っていたことに気付いた。
自分から視線を逸らすのが嫌でそのまま見ていると、奴は踵を返し、会場を去った。
「待たせてすまないね」
親父さんは、俺を控室へ招き入れると一旦退室し、一時間ほどして戻ってきた。
手には紙袋を提げている。
「昼ご飯を食べていないだろう。良かったら、これ食べてくれ」
袋に入っていたのはカツサンドだった。
「頂けません」というと、
「本当は精進落としに誘うべきだったんだ。いいから貰って」
と袋を押し付けられる。
申し訳なく思いつつ、ありがたく頂戴すると、袋の中に紙の束が入っていた。
「これは……」
親父さんは、柔らかく笑みを浮かべた。
「それを、君に渡したくてね」
静かに紙の束を開く。
紙は原稿用紙だった。
びっしりと文字が書き込まれており、赤ペンで様々な箇所が直されている。
「歩が夏に書いていた原稿みたいだ。脚本指南の書籍と一緒に、机に重ねられていた。
仲が良かった野々市くんに貰って欲しいんだ」
「けれど、俺は……」
その先を紡ごうとして、俺はその勇気を持てなかった。
何も言えない俺を見ていた親父さんは、静かに首を振る。
「……歩が死んだのは、君のせいじゃない。断じて、それだけは違う」
「でもっ」
勢い付けて放った言葉は、その先を続けることは許されなかった。
「歩はね、窒息死していたんだよ」
思考が止まった。親父さんの言葉の意味を、俺は理解することができない。
あの時、歩は確かに車に轢かれた。冷たいアスファルトに投げ出される身体を見た。それは間違いない。
だから。つまり。
「轢かれる前に、亡くなっていたってことですか?」
親父さんは力なく頷く。
「警察曰く、轢かれるその前に、いきなり呼吸ができない状況に晒されたらしい。原因はわからないけどね」
そう言うと、親父さんは窓の外へ視線を向けた。俺もそちらを見る。
窓の外からはホールのロータリーと花壇が見えた。オレンジのコスモスが風になびいている。
親父さんの声が、隣からぽつりぽつりと発せられた。
「正直、誰かを責められたら、いくばくか心は楽だったとは思うよ。
けれど、歩の死は徹頭徹尾、誰のせいでもない。
一応聴取はされているが、あの運転手のせいでもない。それだけは、それだけは確かなんだ」
再び正面を見ると、親父さんは俺の方を見ていた。
目には深い絶望の色が浮かんでいるのに、薄い水の膜が、瞳の表面で光を反射させている。
「だから、君のせいではないんだよ。辛い思いをさせて申し訳なかったね」
その言葉に、自分が叫びたかったことは、奥へと引っ込んでいった。
本音を言えば、昨日今日と歩の両親に会うのが怖かった。
お前のせいだ、と言われても、俺はそれを否定することができない。
あの時、手を伸ばせば。
足を止めていなければ。
歩は演劇祭の日を、迎えられたのかもしれない。
そのことを、歩が死んだ日から、夢の中でさえ、何度も考えた。
手元の演劇祭の草稿を広げる。
おそらく、これは初稿ですらないのだろう。今練習している『二人の夏』には書いていないシーンが、そこに描かれていた。何度も何度も書き直したその痕跡を、俺は指の先でなぞった。
――演劇の脚本書くのは初めてでさ。緊張してる。
夏休み前、そう言いながら挑戦することを決めた笑顔が眩しかった。
歩を守り切れなかったのは、やはり俺なのだ。
この後悔はこの先誰に何を言われようと、ずっと続く。
気が付くと、頬を温かいものが伝っていた。それは、いくつもいくつも頬を流れて、顎へとたどり着く。
何だろう、と下を向くと、床には小さな水溜まりがいくつもできていた。
歩の親父さんが、俺を抱きしめた。
その腕は暖かでしっかりしているのに震えていた。
視界の先にある革靴が、滴る水滴を幾度も幾度も弾いている。
その段になって、俺はようやく、自分が泣いていることに気付いた。
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