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「それで、何で俺がその脚本の成り立ちについて知っているって思ったわけ?」
教室を飛び出して俺が向かったのは、演者たちがリハに挑んでいる講堂だった。
うちのクラスはちょうどリハが終わったところだ。
舞台袖で主役の女生徒役二人の指導に入ろうとしていた笹岡は、イライラと答える。
俺と笹岡の会話が始まってから、クラスメイトは「休憩に行く」と言って去っていった。
去り際にヒソヒソと何か話していたのが癪だが、とにかく無視して会話に集中する。
緞帳の向こうに見えるステージがもの珍しく、焦っているはずなのについつい覗いてしまう。
「何となく。もの書いてる人なら気持ちわかるかと思って」
正直に伝えた。
放課後になってからも、西念は顔を出していなかった。
今日が実習の最終日だし、ちょっと忙しいのかもしれない。つまり、調査は完全に止まっていた。
「お前は、猫飼ってる人に『犬飼いたいんだけどどう思う?』って訊くのか?」
そう言って、笹岡は踵を返した。絶妙に、よくわからない例えをする奴だ。
幽霊が見えたり、死にそうになっているというのに、笹岡は相変わらず強情だった。ひょっとしたら、こいつなら生き残れるのではないだろうか。
「なあ、本当に見えるのか?」
そう尋ねた俺に、笹岡はフンと鼻を鳴らした。
「……幽霊を疑うなんて、オカルトマニアが訊いて呆れるな。
もう慣れたんだよ。今は向かいの袖から顔だけ出てる。気持ち悪いったらありゃしない」
心臓に毛でも生えてるんじゃないか、というくらい平然と答える。
俺は緞帳の影から、向かいの袖を見やった。
眩しいほどのステージの向こう。
何人か裏方や演者がウロウロしているが、笹岡の言うような少女の顔は見当たらなかった。
俺は思わず溜息を吐く。
こんなに強情だからこそ、クラスの皆が迷うことなく準備をできたんだろうけど。
気を取り直して、俺は本題に入った。
「なあ、お前、歩の脚本が盗作だって、知っていただろう」
笹岡はもう一度、俺の顔を見た。少し驚いているようだった。
「だから、何か解るんじゃないかと思ったんだ。なんでもいい。情報をくれ」
お前の命のためでもあるんだぞ、とはあえて言わなかった。
こいつは演劇祭に命をくれてやるような奴だから、言っても無駄だ。
笹岡は躊躇っている様子だったが、じきに口を開いた。
「……何も知らない。けど、歴代の脚本集を読んだ奴はわかる。あの脚本は凄くできが良い」
そう、戸惑ったように言う笹岡の背後に、反対側の袖の暗がりが見える。
「ストーリーの流れはオーソドックスだけど、審査員である高校生の心情を上手く突いている。
主人公の女生徒が同級生をライバル視して、貶め、けれど最後に認め合う流れが、三十分モノだと思えないくらいまとまっている」
確かにその通りだった。
言葉遣いや時代背景は古臭いと思ったけど一連の構成は面白い。
少女たちの性格がさばけていて、最後にはお互いを認め合う爽やかなラストも良かった。
――評価なんて、時と、人によって変わる。
――そんな不確かなものより、今在る自分を見てみなよ。
主人公・河合が勝ちたい余り、ライバル視していた少女・深川の脚本と似たものを書いた際、主人公にかけた言葉。それも酷く印象に残るものだった。
歩の目には、この作品の登場人物たちはどう映っていたのだろう。
笹岡は続けた。
「俺は、書いた人間の実体験じゃないかと思ったんだ」
「浅井清恵の……?」
俺の口からその名前が出るのが意外だったのか、笹岡は少し目を見開いた。
「そこまで知ってるのか」
「だから訊いてるんだ。お前が教えてくれればもっと話が早かったんだけど」
嫌味を言うと、笹岡は目を逸らした。色素の薄い髪が無造作に揺れた。
「……それについてはごめん。……言い辛かったんだ。お前には特に」
確かに、『お前の親友が脚本パクってる』なんて言い辛い。
しかも俺と笹岡は仲が悪い。歩が生きていた時の俺なら、噛みついていたのが関の山だろう。
俺が逆の立場でも指摘できなかった、と思う。
けど。
「……お前もっと怒って良かったと思うぞ?」
笹岡が俺を見る。
「お前は自分の力で勝負してたじゃないか。何で委縮する必要があったんだ?」
歩は大切な人だった。俺にとって、それは変わらない。
けれど、そのこととあいつが盗作をしたことは何も関係がない。歩がやったことは、誰であったってしてはいけないことだ。
笹岡は困ったように笑う。
「言えなかったんだよ」
「え」
「牛尾の脚本読んで、すぐに『あの話だ』ってわかった。
牛尾も、俺が気付いたことはわかっていたと思う。牛尾の俺に対する当たりが強くなったし、それで確信した」
確かに、歩は夏休み明けから、笹岡に対する当たりが強くなった。
あれは、笹岡が言う嫌味に応酬していたわけではなく、『盗作だとバラされるかも』という怯えから来ていたのか。
「けど俺も、他の作品の影響を受けていないなんて、言い切れなかった。
今回だって、脚本を書いてみたら、自分が以前読んだ話と部分的に似ていたりした。影響を受けてたってことだよ。
それと、牛尾の丸パクリの何が違う?」
笹岡はステージに背を向ける。奴の声が、酷く辛そうに響いた。
俺は単純に「馬鹿正直だな」という感想を抱いた。こいつと歩の違い、決定的なのが一つある。
「そんなの、お前は最後まで自分の作品になるように考え抜いたんだろ」
笹岡の肩が揺れた。
「盗作っていうのは、自分の頭で考えるのを辞めるってことだ。
俺だって、素敵な記事の書き方があったら、それ模写してみたりする。けれど、それを一言一句、自分の記事に使うわけじゃない。その中の『技』を盗むんだ。お前がしたのはそういうことだろう?最後まで頭で考えたんだろう?」
笹岡が振り返った。
俺を見る顔は、少し歪んでいる。
次の瞬間に、その目はステージに向けられた。
「俺、堂々としていれば良かったのか……」
そう言って、笹岡は言葉を切った。
「それだけで、良かったのか」
笹岡は、自分に言い聞かせるように言った。
俺たちの間に沈黙が流れた。
そうしている時間は束の間だっただろう。
笹岡が再び俺を顧みた。
「……とにかく、この脚本はそれだけリアリティというか、臨場感がある。この作者の体験だと思った。俺からの所感は以上」
もう行かなきゃ、と言い置いて、笹岡はその場を後にした。
「強情なこって……」
その背を見ながら独りごちる。
けれど、自分で呟いたその言葉に、呆れだけじゃない嬉しさの色が混じっていることに、俺は気付いた。
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