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カフェの客入りはまばらで、彼女が殿村仁奈であることにまだ誰も気づいた様子はない。
水とおしぼりを置きにきた店員も、彼女を一瞥したものの何の反応も示さずに戻っていった。
このまま気づかれずにいてほしいような、ひとりくらいは気づいてほしいような、複雑な気分になる。
「半年ぶりくらい? や、もっとだっけ?」
「1年ぶりだよ。ほら、仁奈ちゃんが学園ドラマに出てた頃に渋谷で……」
念のため、ドラマという単語が響かないよう声を絞った。仁奈ちゃんはクラッチバッグからスマホを取りだし、ことりとテーブルに置きながら「そっか」と笑った。
前回会ったとき一緒に買ったうさぎの耳のスマホケースではなく、白いシンプルなものに替わっていることにわたしは気づいた。
それでも彼女の様子にちゃんと親しみのこもっていることにとりあえずは安堵して、わたしはメニューを開き、正面に腰を下ろした彼女にずいと押しやる。
「注文しちゃお。ここ、パフェが有名なんだよね。ほらこんなに種類たくさん」
「あたしコーヒーでいいや」
仁奈ちゃんはメニューもろくに見ずに答えた。それだけで、心臓がぎゅっと縮む。
「……え、あ、そうなんだ」
「あー、ダイエット中なんだ。今、事務所がいろいろ厳しくてさ」
取り繕うように仁奈ちゃんは言った。
一緒にパフェをつつき、途中から取り替えっこしたりぐずぐずに溶けたアイスを笑ったりしたあの頃のふたりは、もうこの世のどこにもいないのだ。
覚悟していたことではあるけれど、その事実はわたしの胸を締めつけた。
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