あと5分夢を

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あと5分夢を

あと5分、夢の続きが見たい。そう願っても目は覚める。夢はいいところで覚めてしまう。 「寿命を5分削れば夢の続きが見れますよ」 そんな誘惑があったら、どのくらいの人がその話に乗るのだろう。 「あと5分チケット」は、国民に振り当てられた総番号と紐づけされた資産や所得の情報を元に、所得や資産が少なければ少ないほど貰える枚数が増える。 「あと5分チケット」の正式名称は、「国民健康増進・睡眠振興券」だそうだ。こんなに難しい名前になったのは、政府の用語にカタカナ語や和製英語が多すぎるという批判を真摯に受け止めたからだそうだ。 5分チケットを6枚使えば30分夢の延長が出来て、寿命は5×6=30分縮む。 世界的な流行り病で混乱し、不満を貯め込む国民に政府が与えた飴は、禁断の果実だった。 資産を持たない者は、いい夢でも見てさっさとあの世に旅立ってくれという遠回しの安楽死への誘導だ。 反対運動をする者や倫理的問題を指摘する識者もいた。しかし、流行り病のせいで経済不況が深刻化して、失業や貧困、治安の悪化が進む。 自殺者が増え、強盗殺人が頻発するようになると反対運動はトーンダウンした。反対運動参加者を集団で襲う襲撃事件があちこちで起きた。 最初の襲撃事件では、警察が到着するまでに死者が二人、重症者が五人出た。世論は反対運動の味方はしなかった。 「余計なことして目立つ奴が悪い」 「デモなんてやる暇もない、金がない」 「襲撃者の気持ちがわかる」 危険な本音の書き込みがSNSに溢れるようになると、反対運動は弾圧されていく。 倫理的問題を指摘する識者も我が身の危険を感じたのか静かになった。 隣国で起きた昔のアヘンの蔓延は、欧州の外れにある島国の敵国による侵略作戦だった。しかし、違法薬物に厳しい隣国と違い、この国は政府が禁断の麻薬に近いものを堂々と配る。 「睡眠の質を確保すれば、居眠り運転による交通事故を防止し、国民の皆様の健康の増進に繋がります。毎日あと5分しっかり眠って、しっかり働き、休日はゆったり過ごし、明日の明るい未来を取り戻そうじゃありませんか」 言葉だけは耳障りの良い綺麗なことを言って、この国のトップは資産を持たない者の命を削ろうとしている。雰囲気は優しそうに見えて、なかなか腹黒い。腹が白い奴に政治など出来ないと言われれば、それまでのこと。 こうして、「あと5分チケット」が全世帯に配られることになった。なんと、住所がない者や無戸籍の者、特別な事情があり住民票と住所が一致しない者には、役所の窓口で100枚綴りのチケットが毎日貰えるそうだ。 現代の姥捨て山か、口減らしか。 誰もがこれはおかしいと思っても口に出来ずにいた。出口の見えない流行り病と大恐慌に疲れ切って、自分のことで精一杯。 戦後の復興もこんな状態だったのだろうか。この国の現代史を思い返しながら、弱い者を切り捨てなければ生きていけない現実を、 「戦後の焼け野原から復興するときもやったこと、自分たちだけが悪いのではない」 無理に肯定しようとする。 「あと5分チケット」の存在は公で触れてはいけない、タブーへと変わっていく。「あと5分チケット」依存症、反社会的勢力による転売、夢に気を取られ過ぎて、現実に適応出来ずに心を病む人、様々な問題を引き起こした。 それでも、治安が少しずつ良くなり、優秀で働ける世代と人が残ったことに安堵する人の方が多かった。貧乏人、年寄り、病人…ある程度減ってくれないと社会が支え切れない。 そんなある日、この国のトップの一人息子がとんでもないことをしでかした。 彼は優秀なITエンジニアで、「あと5分チケット」の開発にも深く関わっている。 動画投稿サイトにアップされた動画で彼は、 「あと5分チケットにランダムで流行り病と同じウィルスを仕込みました。もうこのチケットに文句を言わなかった人しか生きてません。他人を見殺しにした人しか残ってないんだから、自業自得です。少しでも罹る確率を減らしたい人はもうチケットを使わないことですね」 彼はニヤリと笑って、動画はそこで切れた。 外国に亡命したらしいこの国のトップの息子は、たった5分の動画でこの国をパニックに陥れた。なんてことをしてくれたんだ!と。 ランダムと言っていた癖に、彼の父、総理大臣が倒れ、彼の父と昵懇の閣僚がバタバタと胸を掻きむしって倒れる国会。本会議中だった国会は大パニックになり、逃げ惑う人、ここぞとばかりに媚を売りに倒れた閣僚とは別のベテランに駆け寄る人、醜い人間模様が展開された。 中継をしているテレビ局は慌ててカットして、番組を差し替える。内閣の半数が突然死する異常事態でも、異常事態宣言は出なかった。 混乱を抑えるために速やかに次の党首が決まり、総理大臣として陣頭指揮を取る。 自分もあと5分チケットのせいで流行り病に罹るのか…。せっかくここまで生き延びたのに。チケットを使ったほとんどの国民は怯えながら生活していた。もうあと5分チケットは使わない。これから罹るかもしれない。 そんな国民の不安を次の総理大臣は見逃さなかった。 「あと5分チケットは廃止します。速やかに返却してください。ウィルスが仕込まれていて危険です。人の命の重さを資産で量るような真似は間違っていました。優生思想反対!」 彼はその速やかな謝罪と方向転換で、国民から圧倒的な支持を得た。残りのチケット回収に警察を投入。反社会的勢力にはそれなりの旨味のある話と金額提示して、返却してもらった。 総理の椅子に座った彼は、一本の国際電話をかけた。 「やあ、元気にしてるかい?君のおかげで私は今やヒーローだよ」 電話の向こうでは、元総理大臣の息子が、 「こっちも楽しく暮らしてるよ。なんせ政府公認が無くても幾らでも需要はある。あと5分夢をみたい、いやもっと、あと20分ってね。一生分の寿命縮ませたバカもいるし」 「どんな麻薬より強烈だね。君の話に乗った私はツイてる。また要らない奴らが増えたら、民間ルートから流してくれると助かる」 「要らない奴らか…。あんたも要らない」 電話の向こうで元総理の一人息子はキーボードを軽く叩く。 「私はあと5分チケットを使ってないのに…」 総理大臣は息苦しさの中で最後の疑問を口にする。 「チケットなんて国民にわかりやすくするための道具。総番号のときにうちの父親は国民の遺伝子情報の採取も熱心にやろうとしてた。敵対する派閥のあんたの情報収集は熱心だったから。もう時限ウィルスは体に入ってるよ。もしもーし?」 総理大臣からの返答はない。 元総理の息子は、 「実験成功。こんな危ないチケットを利用して国民舐めてる奴に国は任せられないな。例え自分の親でもね。次は誰がこの国を仕切るのかな?適任者が現れるまで、短命内閣が続くね」 彼は自分で開発したチケットなのに、他人事のように政治家の命を弄んでいた。あと5分チケットに頼らない政治家が現れるまで、彼は試し続けるのだろう。 「一応故郷だから…あのチケットは使わせたくない」 言い訳のように呟いたが、彼もまた苦悩を抱えていた。亡命して身の安全と資産は保障されているものの、自分の開発したものの恐ろしさに、夜も眠れない日がある。 「まあ、死にたくなったらこいつでも使うか」 彼は札束のように帯封で束ねた「あと5分チケット」が100年の寿命を縮める枚数があることを確かめてから寝床に入る。 自動で札束を数える機械など無くても、彼は自分の遺伝子情報にアクセスして、自殺出来る。でも、今の彼の子守唄は、帯封を外した「あと5分チケット」100年分を数える機械が出す、規則正しい紙を数える音だった。 (終)
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