君にひとめ会いたくて。

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カラン、とラムネの中のビー玉が音を立てる。 「もう飲み終わったの?」 「うん。暑いし、喉乾いてたからさぁ。ほんと、あっちーの」 和樹がシャツをぱたぱたとさせて中に空気を入れる。 空はオレンジ色に染まり、もうそろそろ夜が来そうな時間だった。 他に教室に残っている人間はおらず、そろそろ帰ろうかと凛もシャーペンを筆箱にしまい始める。 「宿題、もう終わったのか?」 和樹の問いに凛が短く答える。 「もうそろそろ。ていうか、和樹全然進んでないじゃない。あれだけ意気込んでたのに。」 唇を不満げに持ち上げる凛に気まずそうに笑う和樹。 「いやー、凛と一緒にいたくてさ?何やかんや最近一緒に帰ることもなかったじゃん?」 「バカ言わないで。さっさと用意しないと、本当に帰れなくなっちゃうわよ。」 ここも長い間居れる訳ではない。 学校という所は、いつだって時間に縛られている。 行かなければならない時間、帰らなければならない時間。 大人が決めた時間に沿って、誰が決めたかも判らないルールを守りながら生活している。 隣にくっつけていた机を離し、整える。 明日には違う子が使うのだから、動いていたらなにかと不都合があるだろう。 借りている身だから、ときっちり揃えようとする凛を尻目にこんなもんでいいっしょ、と和樹ががたがたと机を動かす。 「…別に怒られるのは和樹だからいいんだけど。にしても、夏服も似合うんじゃない?冬服とか今見たら暑苦しく見えてしまうし。」 「そういうお前は冬服だけどな!…似合ってるとは嬉しいなぁ。もうちょっと早く聞ければもっと良かったんだけど」 お茶目にポーズを決める和樹に余計なことを言うんじゃなかった、と大袈裟にため息をつく。 私達の通っている中学はどちらともブレザーを着用している。 和樹は薄い青のワイシャツに紺のネクタイを締めている。 入学前に2人で慌てて和樹のネクタイを結べる様に練習したものだ。 女子はリボンなのでネクタイの結び方なんて覚える必要はなかったが、あまりにも和樹が慌てるものだから思わず私も慌てて覚えた。 おかげで和樹のネクタイが緩んでる時に結べるようにはなったけれど。 「髪の毛、かなりバッサリ切ったんじゃない?それも夏だから?」 人差し指で頭を指す。 「ん?あぁ、まあな。ていうか凛もバッサリ切れよ。女の髪の毛わからねえけど、短いのも似合うんじゃねえの?」 私の野暮ったい、いつも一つ括りをしている髪の毛をさしているのだろう。 「ずっとこの髪型だったから…でもまあいいかもね。この機会だし。」 なんだか恥ずかしくなって髪の毛をくるくるといじる。 「っていうか!もう本当に帰らなきゃ。学校に取り残されるなんてごめんよ」 スクールバックをひっつかんで和樹の手を取る。 「…なあ、本当に行かなきゃ駄目か」 和樹が歩き出さないからつんのめってしまう。 「何よ。駄目に決まってるでしょ。ここで一生過ごすつもり?そんなのごめんでしょ」 ほぼ癖になっているが、眉間にシワがよる。 「だって、俺、もっとお前と喋っていたいよ」 顔を上げた彼はほろりほろりと涙を流す。 「…歩きながら話しましょ。本当に、ここは危ないから」 もう一度手を引っ張ると今度はゆっくりとついてくる。 「いつぐらいに気づいたの?」 「…ずっと、前から。初めから、気づいてたよ。」 それは私にとっては少し意外だった。 デリカシーなんてものが存在しないガサツな和樹が、小さなことに気づくなんて。 「それ、でも嘘って思いたくなくて、でも、冬服だったから、そうだなって思って、それで、夢でも、嘘でも幻覚でもなんでもいいから、お前のことを必死に引き止めてた」 和樹の目からぼろぼろと涙が溢れてくる。 それでも、足は止めれない。 ぐいぐいと引っ張って、校門に向かう。 長い廊下を歩きながら、かすかに窓の隙間から流れてくるセミの音がいいBGMになっている。 「嘘って何よ。たまたま帰ってきただけ。なよなよしい幼馴染みを元気付けにきただけよ」 私はもう、ずっとこの冬服だが、和樹は暑いと言いながらもうノリの取れた制服を着崩していた。 和樹の時間は、もうとっくに私を追い越して進んでいるのだろう。 「おばさんとこ行かなくて良かったのか」 「ママはああ見えて強いのよ。大丈夫よ、きっと。それよりも女々しいのが居たからね」 か細い声で和樹が聞いた質問に淡々と返す。 そう、ママは大丈夫。うちは女が強いもの。 パパを支えて生きてくれている。 階段につき、タンタンと軽やかな音を立てて階段を降りる。 もう、和樹の手を引く必要はない。 「お前のこと、ずっと後悔してた」 「そう。割と私は後悔のない人生よ」 その最後が白い無機質な病室で終わったとしても。 「ママとパパには大好きを伝えたもの。あんただけよ、お別れができなくて喚いてたの」 最後に感じたのは、2人の肌の暖かさ。 私の手を握ってくれていた、ママの手。 私の頭を撫で続けてくれていた、パパの手。 家事をしても、さらさらで綺麗なママ。 大きくて、けど不器用で繊細なパパ。 そして、後ろからついてきている、和樹。 みんな、本当に大好きだった。 「あの時、俺が試合なんて行かなきゃ」 「馬鹿言わないで。大事な試合なんでしょ。いつくたばるかわかんないやつの相手するよりよっぽど有意義よ」 今日が山です、と伝えた医師の話を内緒にしていてほしいとおばさんに頼んだのは私だし。 校門に、やっとついた。 ついてしまった。 「和樹、私ね、ママに聞いたのよ」 「…なに、を」 しゃくり上げても聞いてくれる和樹に頬が緩む。 「家族以外で、心から大好きって思える人がたくさんいる私は、多分最高だよねって。そしたらママ、は」 駄目だ。 泣かないって、決めたんだから。 「それは、さい、こうで、とっても、幸せなことよって」 ひぐ、と喉から声が漏れ出る。 「和樹、大好きよ」 「俺も、お前のこと大好きだよ」 じんわりと目に溜まっていくのはきっと汗だろう。 「私酷いこと言ってる自信あるわ、ねえ和樹」 「何だよ」 私は和樹の目に手を当てて涙を拭ってやる。 「これから私がいなくても、絶対幸せになって。たくさん友達を作って、たくさん楽しんで、遊んで、そして、…いつか大切な人を1人選んで、家庭を作って」 私には、出来なかったことを未来に託す。 「お前がいなきゃなんにもできねえんだよ、おれ、お前がいたから試合も、いいカッコしようと思って、」 ママに心配されてもたくさん見に行っていた和樹の試合は、確かにゴールを決めるたびこちらを向いてポーズをとっていた。 「もう一緒にいれないの。ごめんね、本当に」 昔はそんなに変わらなかった背丈は、彼の方がずっと高くなっていて。 「そんなこと言うなよ。お前がいて、俺最高に楽しかったんだから。だから、ありがとう」 「それは私も一緒。ありがとう、和樹」 世界が崩れていく。 校門から2人で手を繋いで外に出る。 「じゃあここで。ばいばい、和樹」 「あ、ぁ。なあ、最後に一ついいか」 まだ心の整理がついてないだろうが、時間は無情だ。 「娘が生まれたら、凛って名前つけていいか」 私は思わぬ提案にくすりとわらう。 「いいよ。可愛がってあげて。」 その言葉を皮切りに、世界は完全に壊れた。 「…んあ、寝てた…?」 「あら、起きたの和樹君。」 起きたのは、あいつの家のソファ。 「お、おばさん!?」 「あら、顔見せに来たと思ったら床で寝こけてるんだもの。私も驚いちゃうわ。あの子の部屋で寝るのはいいけど、さすがに心配だから引きずってリビングに移動させちゃった」 あいつの部屋が一階で良かった。 「すみません、ありがとうございます」 「いいえ。クーラーつけてるんだけど寒すぎないかしら?暑いかしら?男の子はどうもわからなくてねえ」 カラカラと太陽のように笑うおばさんはとてもあいつに似ている。 「あの子も、帰ってきてるのかしらねえ」 テレビ台に置かれたカレンダーを見ておばさんがぽつりと呟く。 「帰って…?」 「あら、お盆知らないの?夏には死者が帰ってくるっていう言い伝えが昔からあるのよ」 茄子で乗り物を作らなきゃいけないのかしら。 そんなことを大真面目に呟くおばさんにぷ、と笑ってしまう。 「多分帰ってきてるんじゃないでしょうか」 「そうかしら。あぁでもあの子の事だからそっと帰ってきてそのまま黙って出かけていきそうね」 笑い事に出来る彼女は、どれだけの涙を超えてここまで笑えるようになったのだろうか。 「やっぱりちょっとぼーっとしてるわね。夏バテかしら。クラブ今日あったの?」 待っててね、おやつ持ってきてあげる、と矢継ぎ早に台所に行くおばさん。 「あ、いえ。不思議な夢を見て」 「夢。何のかしら。あらこれ聞いて良かったの?ほら、夢の内容話すと良くないっていうじゃない」 すぐにゼリーとスプーンを出してくれるおばさんにお礼を言いながら椅子に座る。 「あいつが、いつまでもなよなよしてるなよって元気出しに来てくれました」 「…あらそう。あの子もやるじゃない」 ふ、と笑ったおばさんと連動して笑い皺が動く。 気丈に振る舞っているけれど、やはりシワが増えたように思う。 話しながら夢を思い出す。 きっとあそこは、こちらでも向こうでもない、あやふやなところなのだろう。 時間制限がついてでも、どうしても彼女に会いたい一心で辿り着けたところ。 この夢を、記憶を大事にしておこう。 そう思いながら、口にゼリーを運んだ。
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