第九夜『寝る子のおはなし』

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第九夜『寝る子のおはなし』

 曇天にて(まばゆ)き双眸を開き、冷たい眼を見せる。再び降り始めた雨は土を潤し、湿らし、視界さえも奪う。清廉(せいれん)なる気を纏ったそれは、なすがままの心を冷やしていく。美しい者は愛でられ、醜い者はうち棄てられる。塵芥は吹き飛ばされ、神は死に、七日目はいつまでも来ない。誰かの差し出した手をも掴まず、強きを愛で、弱きを殺し、「自分は強者だ」と高みの見物。それさえすべてゆめまぼろし、猛きものはいつか滅びる。今日も鐘が鳴る、自分の世界は常に無い。荒れ果てた世界で生まれ変わるぐらいなら、希望を胸に、新たな輝きを生み出す。それぐらいのことをしてみよう。なんて、思った人はここにどれくらい存在するのか。  今宵は、人生劇場第三回公演『ピエレット綺談』へようこそお越しいただいた。お代の分だけ肝取られまして候、愉しみまして候。――と、言っても、ここでのお代は時間。時間だけを頂戴している。あなたの財布から金銭が出ることは無い。ダイヤが欲しいならあげよう。ハートもおまけにいかがだろうか。  ここで()せるは、甘美な人形劇。猥雑で苛烈な残虐芝居。仏蘭西(フランス)仕込みのグラン・ギニョールにござい。  申し遅れた。俺は景壱。この人生劇場の支配人、またの名を語り部(ストーリーテラー)とも言う。皆々様を美しく、優しい悪夢の世界へ(いざな)うのが、俺の仕事。いいや、趣味(おもてなし)。陶酔したその先を是非是非見ていって魅せられて欲しい。  これから何があなたを待ち受けているか、お楽しみに。  せっかくだから、本日は……あなた。  あなたの性格を当ててあげる。初めましてやね。俺はあなたを知らない。あなたも俺を知らない。だが、俺は、あなたの性格を当てることができる。耳を傾けて。傾聴して。俺はあなたの声を必要としない。あなたの喉の振動を必要としていない。あなたは黙って俺の話を聞くだけで良い。  あなたは……そうやね。  あなたは――本当はとても優しい人だが、誤解されていると感じる事も多い。他人の為に自分の利益を我慢する事もあるかもしれない。あなたは他人から好かれたい、称賛されたいと思っているにもかかわらず、自己を批判する傾向がある。自信のある時は大きく出て威圧していくけれど、無い時は息をしているかも怪しいくらいにおとなしくしているんやないかな? 外見的には規律正しく自制的だが、内心では不安になる傾向がある。人からどう思われるかを気にし過ぎる傾向があるとも言えると思う。あなたは、正しい判断や正しい行動をしたのかどうか疑問を持つ事がある。変化や多様性を好み、制約や限界に直面した時には不満を抱く。そのうえ、あなたは独自の考えを持っている事を誇りに思い、十分な根拠も無い他人の意見を聞き入れる事はほとんど無い。外向的・社交的で愛想が良い時もあるけれど、その一方で、内向的で用心深く遠慮がちな時もある。  さて、ここまでで何か間違いはある? これだけは絶対に違うと言い切れるものはある? そうかも……って思った?  それなら、あなたは少し騙されやすいんかもしれへんね。占いとか信じるタイプやろ? 血液型占いとか星座占いとか、どれだけ自分と同じ運勢の人がいるか考えたことある? A型の人が皆几帳面なわけないやろ。性格の問題。そう、それは、性格の問題。A型でも、部屋がぐちゃぐちゃの人もおるし、O型でも几帳面な人はおる。一般的にはA型とB型は相性が悪いと言われているけれど、熱愛の果てに結ばれた人達もいる。ま……全ては、性格と相性の問題。  で、俺はあなたのことを知らないから、あなたの性格なんてわからない。  いや、訂正しよう。今、少しわかった。俺の話をそのままずぅっと聞く素直さを持ってる。  ま……俺が本当にわかるんはそれくらいやね。  無駄話をしていないで、さっさと本日の演目に入ろうか。どうも俺は脇道にそれてしまう。それは俺の悪い癖の一つやから、どうかご了承いただきたい。  では、物語を物語ろう!  赤ん坊というものはよく寝るもの。「寝る子は育つ」と昔から言われている。本当に育つのかは興味が無いので調べていないが、ま……おそらく、育つんやと思う。  これは……寝る子のおはなし。    ある家庭に男の子が産まれた。その家には既に男の子がいた。つまり、次男――弟の誕生だ。  長男は喜んでいた。弟ができたことにたいそう喜んでいた。大好きなママもやっと病院から帰ってきた。これからママとたくさん遊べると思っていた。  ところがそうもいかなかった。ママは弟の世話ばかり。長男まで手が回らない。パパが遊んでくれても、長男はやっぱりママと遊びたかった。  ママは長男に「お兄ちゃんだから、弟のお世話をしてね」と言った。  大好きなママの頼みだ。長男は元気よく返事をした。  弟の寝ている間が長男のしあわせだった。ママをひとりじめできるしあわせなひとときだった。  ある日、パパがネコを拾って帰ってきた。とてもかわいいネコだった。長男はネコと遊ぶのに夢中になった。  ママにかまってもらわなくても、さみしくなくなった。猫がいれば、さみしさも紛れる。ふかふかで愛らしい長毛種の猫だった。灰色の猫だった。名前はモップ。長毛種だから、そう見える。長男が決めた名前だった。  それから数ヶ月後のことだ。  ママは「洗濯物を干している間、弟の世話をよろしくね」と長男にお願いした。  長男は喜んで、元気よく返事をした。弟は薄手のブランケットに包まってすやすや眠っていた。だから、世話することも特になかった。 長男はひとり遊びをしていた。飛行機のおもちゃを片手にぶーんぶーん。  部屋の隅から隅を飛んで駆け回っていた。  飛行機が離陸します! ぶおおおおおん! 飛行機が着地します! ごおおおおお!  途中でやわらかいものを踏んだ。「ブニャッ!」と声があがった。  それからまたぶーんぶーん、遊んでいた。  再びやわらかいものを踏んだ。  今度は何も声があがらなかった。  やわらかいものの踏み心地はとても良かった。  何度も踏んでしまうくらいには、良かった。  ぶーんぶーん。ぶーんぶーん。長男はベランダに駆け寄っていく。 「ママー! ふんじゃったー!」 「何を踏んだの?」 「やわらかいもの! とっても踏み心地が良いから、何回もふんじゃった!」  隣でモップが「にゃあ」と可愛らしく鳴いている。  ママはベランダから慌てて部屋に戻ってきた。  弟は眠っていた。口から赤色の涎を垂らして。    この話はこれでおしまい。今宵の演目もこれにて終了。  ネコの語源は、よく寝る子からきているとも言われる。  さて、寝ている子は……息をしてるんかな?  ま……俺には関係ない話やね。  お帰りの際は、お足元に気をつけて。忘れ物をしたなら俺が貰うけど、ゴミはゴミ箱に捨てて。ここまでのお相手は、雨の眷族、景壱でした。  それではまた、次の雨の日に。
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