第十六夜・至楽キネマ『やくそくのばしょ』

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第十六夜・至楽キネマ『やくそくのばしょ』

 ご自慢のカギ尻尾を揺らしつつ、彼女は大きく伸びをするのでした。おおよそ五寸程の大きさの彼女は、優雅に翼を広げ、無意味な言葉を集めて暮らしておりました。 「(しもべ)を喪った彼が夜泣きを繰り返している頃だわ」  透き通った混濁の声が、静まり返った喧騒に響くのです。痛いくらいに、どがぁん、と石が崩れ落ち、途方にくれたあの子はさよならしました。  ジェラシーを抱えた胸が瞳の奥で揺れております。彼女は知っていました。その瑠璃色に光る瞳の奥に眠る愛と哀しみに似た琥珀の味を。甘くもあり苦くもある。そういう味でした。ジェラシーはただただ煮えたぎる想いをどうすることもできず、他人にぶつけるもの。今までも、きっと、これからも、そうしていくのでしょう。と、説明をしてから、彼女はパンを千切って窓から投げ捨てました。  おそらくは、鳩だと思います。黒い鳩がばさばさ、羽搏く勇気の音だけは大きく、舞い降りてきました。黒くて、真っ黒くて、汚れなどわからないくらいには黒い鳩は、地を震わせるような声で言うのです。 「わたしは、あくまだ」  それを聴いたあなたは、目の前が三百六十度回転したかのようになり、元通りになりました。それからまた、彼女はパンを千切っては投げ、千切っては投げ、そうする度に鳩はやけに大きな音を鳴らしながら数を増やすので、正直うんざりしてまいりました。  彼女が再びご自慢のカギ尻尾をぷらぷら揺らしている間にも、白いカラスが行水をしておりました。ばしゃばしゃ。汚れのはっきりわかる白い御衣装は、灰色になっておりました。こんなに汚れているなんてみっともない! なにしろ、元が白いので、とても白いので。汚れがよくわかるものでございました。白いカラスはばしゃばしゃ、水を浴びております。そこへやってきたのは、慈しむ心を持つサイでございました。慈しむ心を持つサイは、白いカラスのためにお湯を持って来たのです。なぜならば、お湯のほうが汚れはよく落ちるからでございました。粉末洗剤と柔軟剤とおまけに漂白剤もセットでお得! そんなうたい文句とともに、慈しむ心を持つサイは現れたのです。慈しむ心を持つサイは、白いカラスにお得セットを与えました。白いカラスは早速お得セットを使用するのですが、なんということでしょう! 白いカラスが粉末洗剤を被った途端に、慈しむ心を持つサイがお湯をぶっかけるのです。もうもうとあがる白い湯気。それはおそらく熱湯と呼ばれるものでございました。  白いカラスは驚いて「痛い痛い」と言いながら出ようとしたのですが、慈しむ心を持つサイは「居たい居たい」だと勘違いして、白いカラスに熱湯を被せ続けます。やがて、白いカラスは真っ白になりました。眼球までも。  ここであなたの心臓はぎゅっと鷲掴みされたかのように苦しくなります。  パラサイトはひたすらにニヤニヤ笑っておりました。ここにいれば安全だと笑っておりました。何をするでもなく、ただただ存在するだけで笑っておりました。衣食住には困らない。だからニヤニヤ笑っておりました。 「ラクシテイキタイナ」  彼の呟きは真っ黒い鳩の胃袋へと消えていきます。虫の息。  フィクションをかたどったリアルを覗き込んで、パラサイトは笑うのです。にんまりにまにま。崩れた約束を拾い集めて、元通りの姿に戻したところで、約束を果たせることもできないのです。手を数えれば、しあわせを求めるように宙を舞っておりました。手を数えるだけ、ほんとうのさいわいは夢の中へと落ちていくのです。 「ひとは強いんだって」  ――そんなの嘘だよ。  ジェラシーは囁くように答えるのでした。胸を焦がす熱風も、千切れたパン屑よりも星屑に近く、パラサイトの望む肉体(からだ)にもなれず、ただただ鳩の胃の中は蛙のように住み心地が悪いのでございました。  どれだけ時が過ぎようとも、あなたの記憶に私はずっと生きているのでございますよ。  とんでもなくご自慢のカギ尻尾をぷらつかせていた彼女でしたが、惑星が落ちる頃には、惹かれあった恋を叶えようと約束を交わしていたのです。 「あの場所で会おうね」  はじまりで、おわりのばしょ。  約束だけを繰り返しているのでございます。ご自慢のカギ尻尾も、羽搏く勇気を持つ翼も、白いカラスの茹で汁も、黒い鳩の囁きも、全てはすべて、胃袋の奥に落ち込み、意味の無い言葉だけを紡いでいく。 「糸車はあれから何回まわったの?」  眠り姫が永遠に目覚めないような――そんなものは最初から存在しないので――彼はほくそ笑むだけでございました。神秘にも似た守りを持ち、水のベールを纏った彼女は、竜が天に昇っていくように、衝撃を持っているのでございました。 「真実はあなたの胸の中だけにある」  これだから、嫌になるのです。ほんとうのことは、だれもおしえてくれやしない。  それは、誰かの囁き? イイエ、誰も言葉を発しておりませんでした。ジェラシーは他人に向けるもの。パラサイトも他人を使う物。えてして、それらは、同じように――同様に――気付いて。  その目は誰かを見るため。その声は誰かに届かせるため。この歌が聞こえるならば――あなたの胸の中に。 「ぜんぶはじめから、うそだったの」  そう言うことができるなら、固く握りしめた過ちと認めるこの罪も知らずに生きていけたのに。命あるすべてのものに、真実を求められたのに。魂を喪った全ての彼に届けられるのに。  今だけは、哀しみの夜を飛び越えて。惑星を何百周すれば、いつか辿り着くはずだと。舌を回して雀は歌うのでございました。ららるらら。意味の無い言葉を繰り返し、意味の無い歌を口ずさむ。 「ねえ、人は何故争い合って傷つくの?」  カギ尻尾を真っすぐにしながら、彼女は真珠のような涙を流すのでした。他人の心を愛でながら、自分を愛さなかった呟きは、海の砂と共に流れていく。どこまでも、ただ、何も言わずに。  壊れたあなたを拾い上げたのは、白い翼と黒い翼を持つ、言葉を持たぬツノを持つ、愛を知らぬイキモノ。  ここから、すべては、はじまったのです。伝説と共に。  生きた証を歌う為に、ご自慢のカギ尻尾は消えました。爬虫類にも似たその姿は、誰にも必要とされることのないイキモノ。ひとりでこうして、あなたと会う。触れられないけれど、わかっているのに、今日も、会う。  ――繋いだのは、星と星。  トーテムポールを飛び越えて、向こう側の世界に飛び込めば、世界が広く見えてくるのです。そうやって笑うだけで、彼女は失った尻尾を思い出し、記憶の彼方に吹き飛ばされたあなたの中に落ちていける。  目の前は真っ暗になり、真っ黒の鳩が鼻で笑う。茹であがった白いカラスをサラダボウルに放り込んで、慈しむ心を持つサイが大きな口を開けている頃。世界は今日も終わったんだとパラサイトはぼやくのです。ジェラシーの真ん中で、トーテムポールを林立させ、新たなオブジェを完成させたところで、この日記はおしまい。  きっと、世界の終焉がやってきたのでしょう。無意味な言葉を集める彼女の旅も終わったのです。 「約束の場所で待ってる」  そんな書き置きを見た頃には、新たな命が生まれているでしょう。  こうして、強く願った彼女の思いは、地面から白い塊を生み出すのでした。手のような形を掴めば、そぅっと握り返されました。さあ、やくそくのばしょへいきましょう。
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