旅の出だし

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旅の出だし

 初めに言っておく、コレは実話であり私の思い出を綴ったものである。  私は高校三年生の時に今でも後悔している事なのだが高校を中退してしまった。  なんともバカなことだろうと本当に思う。別に学校生活が苦だったわけでもない。逆に友達も沢山居たし、ムードメーカーのような立場だった。なので充実してないわけでは無かった。寧ろ自分には勿体ないほど充実していたと思う。  だが今回は高校を中退した理由を記述するわけではない。高校三年の夏休み…この時はもう高校を辞めることを心に決めていた。それは何があっても変わることのないモノだった。だが…教師達は私の出席日数とテストの成績を考慮した上で、今から真面目に出席すれば卒業出来ると言ってくれ、私を在籍扱いにしてくれた。  その言葉がどれだけ優しいものだったかと今になると実感できるが、当時の自分にとっては酷なものだった。今更自分が学校に登校し、卒業したとしても仲間は許さないだろう。仲間を裏切ったという罪悪感が私の心に大きな闇を作り、引き返せないところまで蝕んでいった。  そこで私は人間の力の限界を見たくなった。それは一人で何処までやれるかと自分の力を試すものでもあった。  唐突だが私は栃木県に住んでいた。そして長距離サイクリングには自信があった。そのためこの夏は自転車で旅をしようと考えた。  私はかなり古いパナの自転車を母の再婚相手に貰ったのでそれで行くことにした。  時刻は夕方の5時、当時は温暖化温暖化と騒いでた時期で昼間は35度以上ある日が続いていた。  新4号線を通って南下していった。やはり夕方といえどその気温は暑く、私の体内から水分を奪っていった。数時間で私は乾ききった喉を潤しにコンビニへとよった。そこで好物だった干し梅と飲み物。あと簡易的な電池を使う充電器を買い、電池も沢山買った。日頃バイトをしていたので金銭にも余裕があった。  財布を2つに分けて一つは一大事の時用に現金を少し入れ、銀行のカードと大金をもう一つの方にと。この時私は後者の方を何処かに落としてしまって無くした事を後から知る。  それは茨城県に入った直後に寄ったコンビニで発覚したことだった。  自分の財布が無いと嘆き来た道をライトで照らして歩きながら戻っていった。この時は午後8時過ぎだった。想起しながら何処だと探して2往復ほどで私は時間を確認した。すると午前0時になり車通りも少なくなっている。何度も最後に寄ったコンビニに確認するが言い渡される答えは、見なかった、知らないとの言葉。  夜中の2時まで探すが見つからず…この日は行くのを諦め帰路についた。結局私が家に着いたのは午前5時前。日の出が早まり私の顔を照らす頃だった。  翌日の全く同じ時間に私は出発する。ちゃんと途中で警察に財布を無くしたとの事を伝え、疲労もあったがなにかに取り憑かれたかのように、ギリギリまで耐えることを決めて、私は足を止めることをしなかった。  この日唯一怖かったのは補導だった。  時刻は午前2時。東京に着いた私はそれを撒こうと必死に自転車を漕いでいた。赤のランプが何度も私の視界に入り込み、真横に並んで何かを叫ぶ。相手は車で私は自転車だ…いくら時速50キロほどを自転車で出そうとも、直ぐに並走されてしまう。  だとしたらと私は考えて急ブレーキをかけて小道へ入っていく。新4号線とはオサラバしていたため、住宅の合間を縫うような小道はいくらでも存在していた。そこへ入りこんで、とにかく方角を見失わないようにと気をつけながら左へ左へと直角に曲がって四角に縫うように進んでいった。  元いた大きな道へと出ると先ほどの赤ランプが遠くに見え、私は目の前の横断歩道を渡って逆車線を走っていった。何度か他のパトランプが視界に入るも、同様の手口で撒いた。  その日は只ひたすら前に進むことにして、神奈川との県境をまたいだ時はとても爽快で良い気分だった。  朝日で正気に戻った。とても綺麗な朝日は神奈川の急勾配な坂を登るときに見え、私は携帯を確認する。時刻は朝の7時、涙も出そうになったがここである違和感に気づく。  指が痙攣し痺れを訴えていた。中指の半分から小指までが両方ともである。ギヨン管症候群という病名だと旅が終えたあと調べて知った。症状はなぜ今まで気づかなかったのかと言うほど酷く、何も触れないでいると指が取れているのでは無いのか?と感じるほど違和感がある。だが触れると灼けるような、例えば一時間正座して痺れた足に触れた時の感触。実際あれよりも酷かった。  引き返そうとも考えたが、私はまだ行けると自分の体に鞭を入れてまた自転車を漕ぎ始めた。  その日も酷い暑さで私の体を焦がしていった。肌は焼けていきチリチリと音を立てていく。山を何度も超えていき、あるコンビニで休ませて頂くことを許可され私は短い就寝についた。  30分ほどそこで寝かせて貰い私は外へ出ようと立ち上がった時、店長の女性から 「もう大丈夫なの?」  と心配されるものの、私が大丈夫だと言うと頑張ってと後ろから声をかけてくれたのを、今でも覚えている。  私はその後も山を登って、ひときわ大きい山を眼前に見据える。  富士山だ。その脇を通ると言えど日本一標高が高い山である。勿論楽ではない…私は自転車を押してその急勾配な道のりを進んでいく。  きついきついと言いつつも、その角度が緩やかになっていくのを感じ、安堵の息を漏らした。そして自転車に跨がろうとすると、まず太腿が攣り…それをカバーしようと力を入れたもう片方の太腿が攣る。腕にも力を入れてしまいそれも攣ってしまう。更には首も攣ってしまいしばらく動けなくなった。  その痺れも無くなって自転車を漕いでいくと、やはり下り坂はとても楽で漕がなくとも風が私の頬を撫ぜて、そのスピードを増していく。  気持ちいい…この気持ちを永遠に感じていたい、と思うほどの達成感に満ち溢れた。
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