禍福は糾える縄の如し

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禍福は糾える縄の如し

俺は恋愛が分からない。 愛だとか恋だとか、そういうものを綺麗に描いた映画やドラマは嫌いじゃない。ヒロイン役の子を可愛いなと思うこともあるし、幸せそうな二人を見て「いいな」とも思う。 けれど、愛してるだとか恋してるだとか言われてもピンと来ないのだ。生まれてこの方十六年になるが初恋もまだだし、ヒーローやヒロインの恋愛的な感情にちっとも共感できない。誰かを見てドキドキするとか、ずっとこの人と一緒にいたいとか、俺の事だけ見てほしいとか……よく出てくる表現に毎度首を傾げてばかりだ。友達に「あのシーン良かった」だとか「俺もドキドキした」なんて言われても共感出来ないし、俺からすればふーんそうなのかとしか思えない。そもそも友情と愛情の違いって何なのかさえ分からないのだから、俺は恋愛に向いていないのかもしれない。 最近は恋愛しない人も出来ない人も一定数いるみたいだし、俺もその中の一人なのかも。 そういう訳だから、俺にとって恋愛というものはスクリーンを一枚隔てた向こう側の話だった。誰かと誰かが愛だの恋だの語る様を眺めている。そこに自分が関わることは無いものだった。 少なくとも、あの人に会うまでは。 (1) 今日はついていない。 朝は寝坊しかけて朝食は食いっぱぐれるし、数学の教科書は忘れるし。挙句の果てはこれだ。 「あの、先輩のことが好きです。良かったら、付き合ってくれませんか」 朝バタついたせいでいつもなら登校途中に買うはずの昼食が買えなかったから、それならと購買に行こうとしたらこれだ。早く購買に行こうとしてショートカットに校舎裏を行こうとした俺も悪かったかもしれないけれど、こんなことってあるのか。間が悪いにも程がある。 慌てて物陰に身を潜めたお陰で気付かれてはいないようだが、この場を離れようにも物音をたててしまいそうで動けずにいる。結果、出歯亀のような形になっているのはもう許してほしい。俺だって人の恋路の邪魔なんてしたくなかった。 流石に向こうの様子を直接窺うのは気が引けて、ひとまず声だけを聞くにとどまっているが、女子が告白する側だったらしい。先輩と言っていたから、相手は年上なのか。だとしたら相手は二年生か三年生。……不可抗力とはいえバレたらシメられるのだろうか。デリカシーに欠けてる!とか言われてケチつけられたら嫌だな。早くバレずに撤退したい。殴られるのは勘弁だ。 「……ごめんね、気持ちは嬉しいけど君とお付き合いは出来ない」 あ、振った。 「……理由を聞かせてもらってもいいですか?」 「俺、好きな人がいるんだ。だから君の気持ちは嬉しいけど……ごめんね」 「いえ、お時間取らせてしまってすみませんでした」 「こっちこそ、俺の事好きって言ってくれてありがとうね」 偶然居合わせたにしては凄いものを聞いてしまった気がする。こんなに丁寧に相手を振る人、初めて見た。いや、聞いたと表現した方がいいのだろうか。顔、見てないし。 優しい言葉で振られた女子は、声こそ震えていたけれど礼儀正しく去っていった。俺とは逆方向に去ってくれて助かった。……良い子だったんだろうな。振られたにも関わらず、その場で泣き出さなかった。強くて凄い子だ。俺は恋なんて分からないけれど、ドラマや漫画の中のヒロインたちは、振られると酷く傷ついていた。きっと彼女だって傷ついただろうに。 彼女も凄いけれど、相手の先輩も凄い。自分に告白してきた女子に、あんなに丁寧に誠意を持って振るなんて俺には出来ない。告白され慣れてるのかもしれない。だとしたら、あのスマートさも納得が行く。 まるでドラマのワンシーンのような瞬間に、俺はその場を去ることも忘れて突っ立っていた。我ながら馬鹿だと思う。彼女が去るタイミングで自分も去っていれば良かったのに。 「……気まずいとこに立ち会わせちゃったな」 誰もいないはずの空間で、先輩は一人そう呟いた。 思わず肩が跳ねる。だって声の向きからして、恐らく俺の方に声を掛けている。辺りを見回しても俺以外に人影はない。どうしよう、バレていたというのか。 サクサクと靴が芝生を踏み分ける音がする。やばいやばい、こっちに来てる。今日はとんだ厄日だ。さっきの対応からして良い人そうではあるけれど、とんでもなくフェミニストな可能性も無いわけじゃない。どうする?男はゴミ、みたいな極論を言う人だったら本当に殴られかねない。殴られるのは嫌だ。だって俺は応戦できないのに。 パニックに陥り、足が完全に凍りついてしまっていた。足音がすぐ側まで来ている。恐る恐る音の方に顔を向ける。止まらない足音をこんなにも恐ろしく思ったことはない。思わず心の中で合掌する。せめて顔は殴らないでほしい。顔を殴られたら反射で応戦しかねない。黒帯が素人相手に手を出したら駄目なんだって。 あれこれと考えている間に、校舎の影から俺よりも十センチは高いだろう男子生徒が出てくる。長い手足と華奢にも思える体つきに、恐らくスポーツはやっていないのだろうということが見てとれた。ひとまず殴られてもボコボコにはならなさそう。 なるほど、モテそうな人だ、なんて場違いにも思う。テレビに出てくるどこぞの俳優に雰囲気が似ている。顔立ちの良さよりも人の良さの方が滲んでいたけれど、それでもイケメンと称される顔だと思う。そんな人が、俺を見て申し訳なさそうに眉を下げた。 「ごめんな、邪魔しちゃ悪いと思って動けなかったんだよな」 緊張して何も言えずにいる俺に視線を合わせるように少し屈んで、頭を撫でてくる。殴られるんじゃないかなんて思っていた自分が恥ずかしくなるくらいには優しい人だと確信した。心の中で土下座しておこう。流石に初対面の先輩相手に、この状態から土下座なんて出来るほど、俺は思い切りが良くはない。 「あ、もしかして購買に行こうとしてたのか?だったら急がないと、売り切れちまうぞ」 ほら、行った行った。そう言って背中をポンと叩いて、先輩は廊下を進んでいく。押された反動で二、三歩前に進んだっきり突っ立ったままでいる俺は、ぱちぱちと瞬きを繰り返しながらその背中を見送るしか出来ないでいた。 先輩は暫く進んだ後、「あ、」と何か思い出したようにこちらを振り返って一言。 「さっきのは内緒な。言いふらしたりすんなよー」 ヒラヒラと手を振って去っていく先輩の背を見送りながら、俺は恋愛ドラマのヒーローみたいな人だな、なんて考えていた。 昼飯はなんとか買えた。 * 「お前より背が十センチくらい高くて、モデル体型の男の先輩?」 「そう。それでイケメン」 「あ〜、それなら二年の園原先輩じゃね?ぶっちゃけこの学校人多いし、探せばそんな人結構居そうだけど、二年で一番モテるっていったらその人だって」 購買で買ったパンを貪りながら同じクラスの友達に先輩の正体を尋ねると「園原先輩」ではないかという回答を得た。友達は人数の多い部活に入っているし、そこそこ顔も広いから知っているかなーなんて気持ちで尋ねてみたのだが、多分が頭につくにしても心当たりがあるだなんて流石だ。俺も少しはその知り合いの多さを見習うべきかもしれない。 「園原先輩って、黒髪で優しそうな雰囲気?」 「そうそう」 「ちょっと細いタレ目?」 「お前のデカ目と比べたら大体のやつが目は細いと思うけど、まぁそんな感じじゃない?つか何?園原先輩に会った?」 「多分」 多分ってなんだよ、と眉を顰める友達をあしらいながら先程の一幕を思い出す。 二年で一番モテるという園原先輩。優しそうな人だった。実際、あんなに丁寧に振るのだから優しいのだと思う。俺が高校一年生の平均的な身長より少し小柄であることを置いても先輩は背が高かった。百七十台後半くらいはありそう。あと脚が長い。優しげで人が良さそうな雰囲気も相まって、親しみやすいイケメンだった。そりゃあモテるだろう。ドラマのヒーローみたいだと感じたのは間違いじゃなかったようだ。 「モテそうな人だった」 「お?ついに沖田も恋愛に興味が出てきたか〜?」 「なんでそうなるんだよ。ドラマや漫画に基づいた感想だよ」 「なんだ、つまんねぇの〜。沖田、可愛い女優の話とかしても全然食いつかねぇしさ、そっちの趣味なのかもって思ったのに」 そう言ってぶーぶーと不機嫌そうな顔をする友達だったが、そんなことを言われても困る。そもそも恋愛が分からない、というのは性的嗜好がどうなのか、といったところから分からないのだから。 人を見てカッコイイ、可愛いと思うことはある。だけど、「カッコイイから付き合いたい」とか「可愛いから付き合いたい」とはならない。カッコイイなぁ、可愛いなぁと思って、それで終わりだ。そこに性的興奮を覚えることはないし、特別お近づきになりたいとも思わない。 「お前、本当に恋愛に興味無いのな」 「まぁ、少なくとも今まで誰かを好きになったことは無いかな」 「マジで〜?淡い初恋もない?」 「ない」 「そっかぁ。まぁでも、高校生で初恋もまだって奴は少ないだろうけど、いるにはいるでしょ。沖田だって、これから好きな人が出来るかもしれないし」 「……別に、恋したいとは思わないけど」 「馬鹿だなぁ。恋なんてしたいと思ってするものじゃねぇから!突然始まるものなの!ラブストーリーは突然に、だから!」 「宮川の言うことはあんまり信用ならないからなぁ」 「おいコラ沖田ァ!」 キャンキャン吠える宮川は無視して残っていたパンを口の中に詰める。物足りなさはあるけれど、だからといってわざわざ何かを食べなくては気が済まないほどでは無い。稽古の前に軽く何かを食べた方がいいかもしれないけれど、少なくとも今はいいや。 一緒に買ってきたジュースをストローで啜りながら、窓の外を眺める。耳元で宮川がうるさい以外は平和だ。午前中はあんなについていなかったのに。 園原先輩ってどんな人なのだろうか。普段は誰かに対してこんな風に思うことはあまりないのだけれど、ヒラヒラと手を振って去っていくあの後ろ姿が思い出されて、なんとなく気になった。
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