からくり

1/9
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/9ページ
 澄子は橋の下で拾ってきた子やからなあ。父は酔うと笑いながらよくそう言った。そんなとき決まって母はそばにいなかった。質の悪い冗談だと分かってはいたが、どうしても父似の兄の方が甘やかされていた気がする。  一週間前に母が亡くなった。突然だった。兄も私も生活の基盤が離れているし、施設で寝たきりの父が戻って独り暮らしをする見込みもないので、実家は売りに出すことに決めた。とはいえ築四十年以上の狭小物件が簡単に売れるとも思えない。あれこれ検索して空き家バンクという制度があることを知り、登録することにした。  不動産業者に会って登録の申請を済ませた後、売却に必要な書類を揃えに役所へ向かった。平日で良かった。まさか会社の方から有給取得を勧められる世の中になろうとは、ニヵ月前までは思ってもいなかった。  窓口で番号を呼ばれ、千五百円と引き替えに封筒を受け取った。これが私の来歴の重さなのか。中身を確認しようと封筒を開いたとき、不意に父の言葉が甦った。あんなものは所詮酔っ払いの笑えない冗談だ。気にするほどの価値もない。そうは思うが私はこれまでに自分の戸籍を見たことがなかった。取り出しかけた書類を戻して封筒の口をしっかりと折り、トートバッグに入れて実家へ足を向けた。
/9ページ

最初のコメントを投稿しよう!