決戦

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決戦

940年(天慶3年)いよいよ貞盛と秀郷の連合軍は、4000人の兵力で関東にやってきた。 急な知らせだったため将門の兵は帰国しており手許には1000人の兵しかいなかった。 将門軍は、将門の命令が下る前に出撃し、連合軍に挑むも数で優位な貞盛と秀郷の連合軍には勝てず将門軍は退却した。 将門はこれはまずいと自分の土地鑑がはたらく茨城の古河に敵を誘うが、連合国はその手にのらなかった。 逆に連合軍は、将門の本拠地を焼き払う焦土作戦に出た。民衆は路頭に迷ったが将門の支配下ではこのような争いが絶えないと、連合軍に加わる者も出た。 将門は各地を転々とし気づけば手勢は400人ばかりになっていた。味方の援軍が来ないためついに将門はこのわずかな兵で決戦に出ることに決めた。 2月14日午後3時決戦の時が来た。400人対4000人の戦いである。 幸島郡北山を背にした将門軍には運よく北風が吹いた。 「風を利用せい。弓方一斉放射!」将門が叫ぶ。面白いように敵に命中していく。 将門自身も騎馬に乗り、敵の中へ突入して槍・刀を振るった。 形勢は将門の方に有利になった。恐れをなした貞盛と秀郷の連合軍のうち2900人が逃げ出した。 貞盛はこれは分が悪いと退却を命じ事実上休戦となった。 将門は勝ったも同然とばかりに悠々と自軍へ帰っていた。 その時である。風が急に南風に変わった。息の根がある連合軍兵士は休戦を反故にし、ここぞとばかり息の根を吹き返し、弓矢を引く。形勢は一気に逆転した。 数で勝る貞盛と秀郷の連合軍は一斉に将門軍を襲う。 「われ平貞盛、ついに将門を見つけたり!」貞盛が叫ぶや否や秀郷の放った矢が将門の額を撃ち抜いた。 「貞盛、貴様、汚いてをつ・・・」と言ったところで将門は絶命した。 享年38歳のことであった。
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