首が飛ぶ?

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首が飛ぶ?

将門の首は、京都へと持ちかえられ七条河原に首が民衆にさらされた。歴史上はじめての「さらし首」というものであった。 首は3日間晒されたが、腐りもせず、目はかっと見開いたままで正面を向いていた。 夜になると 「斬られた俺様の胴体はどこだ―。胴体を持ってこーい。今一度戦いを交えよ」 という不気味な声が発せられたという。 あまりの恐さゆえ霊魂を鎮めるため歌人の藤六左近(とうろくさこん)という者が和歌を詠んだ。 すると首はケタケタと笑いだし、ゆっくりと空中へ浮き始めたのであった。 首自体は青白く光りだし空中へと舞い上がり東の空へ飛んで行った。東というのは関東地方の方へということである。 首は飛んで飛んで、いまの東京までやってきた。そして旧豊島郡柴崎という古墳跡へと降り立った。奇しくもそこは今の住所で言うと千代田区大手町という官庁街である。 驚いた村民はそこに首塚を祀り、就土(つくど)神社を創建した。墓石には古墳の小山にあった巨石を利用した。 鎌倉時代には疫病が流行り将門の怨霊だ、ということで近くにあった神田明神に将門の霊を供養すると疫病は収まった、と言い伝えがある。それ以来神田明神は将門のパワースポットとして江戸の民衆の拠りどころとなっていった。  1590年、徳川家康は神田明神を「江戸総鎮主」として崇拝し社殿を改めて大手町から外神田に移そうとした。首塚も移転しようかとしたところ家康は夢を見た。 「私の首を動かすな。動かせば徳川の末代まで祟りをおこそうじゃないか」と。 よって首塚はそのまま江戸城大手門の前に残ることになったのである。神田神社は外神田へ移転した。  
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