将門の怨霊

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将門の怨霊

時代は大正時代にまで飛ぶことになる。関東大震災が起きたのだ。 焼け野原から新都市開発を名目に大蔵省仮庁舎が建設されることになり工事が始まった。しかし工事が進むにつれ工事関係者や省職員、そして時の大蔵大臣・早速整璽(はやみせいじ)など14名が事故や病死で亡くなった。これは将門の怨霊だ、という騒ぎになった。 というわけで仮庁舎はすぐに取り壊された。 昭和の戦時中には慰霊祭もおざなりになっていた。(この当時、天皇を敵に回したという将門の関係寺社仏閣は皇国の逆臣として無碍に扱われた)(廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)という)それゆえかわからないが昭和15年6月に首塚に隣接する大蔵省に落雷があり火事になってしまった。奇しくもその日は将門の没後1000年という節目であった。   なお、空襲によって就土神社は焼失。今の九段下に移ることになった。現・日本武道館の氏神となっている。 戦後、焼け野原になった大手町にアメリカなどGHQがやってきて大手町の区画整備を始めた。 GHQ庁舎の駐車場にしようということでブルドーザーで整地しようとしたのである。ところがブルドーザーが凸地に乗りあがって横転。運転手が死亡するという惨事に。結局、地元民が必死で「ここは日本の歴史上の大酋長の墓だ」という陳情を行い、首塚の移転は難を逃れたのだった。  その後、首塚の隣接地は民間に売却され、日本長期信用銀行が建った。やはり行員に不幸が続き、1998年には銀行自体が破たんするという最悪の結果に。
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