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一本道で、誰かが僕の背中をポンと押した。
***
助手席には、僕が描いた連載漫画が載っている雑誌と、調子に乗って人生で初めて買った花束を置いていた。
雑誌の公募で銀賞を獲得したのと、初めての連載漫画を掲載できた報告をしに来た。
県境を越えれば、景色に映るビルの数がどんどん減っていき、代わりに緑色が増え始める。まだまだ初心者の運転で、のろのろとしか進めないけど、それでも確実に近づいているんだって実感できるのが嬉しい。
浮かれ気分で事故など貰わないように、それだけが心配だった。
本当に心配事はそれだけ。
彼女に会えるかどうかは、全然心配していない。だって車のハンドルを握ったとき、あの夏以来、初めて誘われたんだから。
ビルの窓に反射した太陽が、夏の記憶を揺さぶった。その眩しさがお誘いだってこと、誰もがわからなくても、僕にはわかる。
車で3時間かかるほど離れているのに、まるでついさっきまで隣に居たかのように、明確に彼女の存在を感じられた。
5月の連休を使って、里帰りついでに公園へ寄る。いや、彼女への報告のついでに里帰りだ。
窓を開ければ、吹き抜けていく薫風に、自然と気持ちが高ぶっていく。喜んでくれるかな?
そんな浮かれた気持ちが砕け散ったのは、公園が見える曲がり角まで来た時だった。
まるで変わっていない町の中において、その区画だけが記憶と違う。
公園がなくなっていた。
更地に変わっていたんだ。複数の重機が列を成し、森の入り口があった場所を、広く、完膚無きまでに切り開いていた。
あの入り口が消えてしまったら、彼女に会いに行けない。洋館へ辿り着けない。
呆然としたまま車を降りる。
ヘルメットを被ったおじさんに、声を掛けた。どんな台詞を掛けたのかは、全く覚えてないけど、いつのまにか会話は始まっていた。
「ここにはな、中学校を建てるんだよ。近辺の地区には無かっただろう? 子供が減った二つの学校を統合する予定でな」
「そう……なんですか」
僕の表情がどんなだったかは知るよしもないが、おじさんは饒舌に語ってくれた。
「俺はな、この仕事を始めてからは学校を建てるのが夢だったんだよ。学校が出来れば、町も活気づくだろ? そういう、町のためになるものを拵えたいと、ずっと願っていたんだ」
頑張って下さいと、言い残して去った気がする。
にかっと笑った顔が、ずっと脳裏に残り続けた。
ふらふらと車に戻る。
シートに身体を預けたところで、違和感。
隣を見て跳ね起きた。
置いてあったはずの雑誌と花束がなくなっていた。代わりに、重厚な装丁が成された本と、その上に1枚の真っ白な羽が乗っかっていた。
羽を丁寧に財布へ入れると、本を手に取ってみた。
重たかった。
そして、日向に置いておいたかのような温もりがある。懐かしい感触に視界が滲んだ。
この本も中を見たら消えてしまうのだろうか?
ちらりと頭をかすめたけど、心の中で生まれてしまった名前の知らない感情の置き場に困り、縋るような気持ちで表紙を開いてしまった。
『この本は僕が書いた日記だから、君が読んでも消えたりしない。安心してページをめくって』
見覚えのある文字。
乾燥した紙の、あの部屋の匂い。
彼女の声も、笑顔も、まだ心の中にしまってあったことを、今になって知った。
ゆっくりと一枚めくる。
『 5月5日 夜
泣きながら君が森へ入ってきた。
この瞬間、僕は生まれたんだ。君を救うためのマヨイガとして。本来、君が進むべき道へと誘導するための道しるべとして。
生まれたばかりの僕は、レンガ造りの館そのもの。
真っ暗な夜に、突然洋館が目の前に現れたら、君はもっと泣いてしまうかもしれないと思って、館の中に同い年の女の子を作った。その人型に僕の意識を封じ込める。
女の子になった僕は(生まれた時は性別がなかったんだよ?)まず最初に、館中の電気を付けて回った。
ここは怖くないよ、安全だよって、伝えたかったんだ。
ノックの音が響いた時、凄く嬉しかったのを覚えてる。おっかなびっくりしながら、君は扉を開けてたね。
こうして、ボクらの縁は繋がったんだ。
君が大人になるまでの間しか存在できないけど、仲良くなれたらいいな。』
本を抱きしめて、僕は泣いた。
大人の振りをして、大人のように泣いた。
君が不安にならないように、声を抑えて、人目に触れないように。僕は大人なんだって、自分に言い聞かせながら。
この本は、卒業証書なんだ。
子供を卒業した証としての。
君から卒業した証としての。
「きっと、君を描くから」
僕はもう、迷ったりしない。
「僕の筆で、君との記憶を真っ白い紙に写し出すから」
エンジンを掛ける。
フロントガラスの向こうには、町へと続く一本道があった。
僕はもう、迷わないから。
だから。
見守っていて欲しい。
夏の、日溜まりの中で。
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