0.1

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与えられるのは固いパン。 着ることを許されるのはボロボロの布。 横たわることができるのは冷え切った地面の上。 奴隷となってから、人としてまともに扱われたことがない。 しかし、それを訴えたところで聞いてもらえるわけがなく、むしろ痛い目にあわされるだけだということはとうの昔に思い知った。 何度か金持ちに買われることもあったが、この奴隷商にいるときと変わらなかった。 それ以上に酷かったかもしれないが、はっきりとは覚えていない。 いや、覚えていないというよりは、記憶を抹消したのだろう。 取るに足らない思案を終え、ふと牢の小窓を見上げると、小鳥がとまっていた。 可愛らしい瞳をこちらに向け、愛らしいさえずりを奏でる。 気が付けば、そんな小鳥に手を伸ばそうとしていた。 だが、鎖の鳴らす音が無理矢理に現実へと引き戻す。 そうだった。 私には自由というものがないのだった。 両手首にはめられた金属を忌々しく見つめる。 夕日の差し込み始めた小窓に視線を戻すと、小鳥はもういなくなっていた。 その光景に虚しさを感じると共に怒りが湧き出す。 何故、私がこんな目にあっているというのだ! 小鳥でさえ、自由に飛び回っているというのに! どうして…どうして…! 怒りをぶつける場所もなく、ただ拳を地面に叩きつける。 牢番が来るのは困るため、声は漏らすことはしないが… 土が血と涙で濡れた頃、疲れ切って天井を見上げていた。 こんなことを繰り返して何度目になるだろう。 いい加減、この地獄の日々を終わりにしたい。 もう誰でもいい、救いの手を差し伸べてはくれないだろうか… そんな起こるはずのないことを夢見つつ、夜の暗さに包まれるように眠りについた。 「おい!起きろ!」 激しく牢の戸が叩かれ、強制的に起こされる。 小窓に目を向けると外はまだ暗く、起こされるような時間ではないはずだ。 すると、牢の鍵が外される音がし、戸が開いた。 「さっさと出ろ。ボスが待ってる」 訳のわからないまま外へ出ると、牢番に早く歩けと背中を小突かれる。 案内されたのはいつもの取引が行われる部屋だった。 ただ、入った瞬間に違和感を覚える。 並べられた奴隷の数が明らかに多い。 普段ならば2、3人程出して客に選ばせているはずだ。 今ここにいる数は、その10倍はあるだろう。 それに客の姿が見当たらない。 部屋を見渡しても、客はどこにもいないようだ。 「ほれ、お前もだ」 店主の男が手際よく私に首輪をつけ、手枷・足枷を外した。 両手足は自由になったが、この首輪がある限り穏やかな気分には到底なれない。 「これで全部だな。よし、外に連れて行け」 店主は満足げに頷き、先に部屋を出て行く。 店主が口にした全部という言葉によって考えが浮かんだ。 もしかして、ここにいるのはこの奴隷商の持つすべての奴隷なのか。 選り好みせず奴隷を買い占める主人とは何者なのだろう。 「早く行け」 痺れを切らした牢番がまた背中を押してくる。 大人しく店の外に出ると、窓のない馬車が何台も並べられていた。 輸送用の馬車なのか、外見からして仰々しい造りだ。 その馬車に次々と奴隷が乗せられていく。 続いて乗り込む時、フードをかぶった男に店主が腰低く話しかけているのが目に入った。 おそらく、あれが今回の主人なのだろう。 また遊び半分で奴隷を痛めつけるような人間であったら最悪だ。 だが、買われた以上、足掻いたところでどうすることもできない。 馬車の中に腰を下ろし、また考えを巡らせようとするが、どうしようのない睡魔に襲われる。 そういえば、まだ夜中だったか。 そして、馬車が走り出さない内に再び瞼は落ちた。 馬車が止まった衝撃で目を覚ます。 あれからどれぐらい走っただろうか。 隙間から差し込む光からして、日はとっくに昇った後のようだ。 すぐに錠が外される音がし、そっと馬車の戸が開けられる。 「皆様、ここでお降り下さい」 身なりから判断すると例のフード男に仕える執事だろう。 その立ち振る舞いは極めて洗練されており、一切の隙も感じさせない。 だが、奴隷に対する態度にしては些か丁寧すぎのように思える。 これまでどこに行っても、大抵使用人たちは奴隷に対して冷たい目を向けていた。 このような待遇をされることはまずなかったものだ。 「こちらでお待ち下さい」 執事の支持により、私を含む奴隷たちは屋敷の玄関の前に集められた。 屋敷を眺めると、その大きさに圧倒される。 どんな金持ちの屋敷でも、これ程巨大な建造物は見たことがない。 いったい何階建ての建物だろう。 百人…いや、千人は収容できるぐらいの規模だ。 「皆様、前にご注目を」 執事の声に目を向けると、いつの間にか私たちの前にフード男が立っていた。 やはり、この男が新しい主人だったようだ。 ただ、後ろに控える執事と比べて、小柄だという印象を受ける。 男は奴隷たちの表情を一瞥し、手を前にかざした。 「《解除》」 男の声がしたと同時に首輪が外れ、地面に落ちる。 もちろん、奴隷たちは困惑した様子を見せた。 今まで自分たちを縛っていたものが突然なくなったのだから。 解放される瞬間が来れば歓喜の声を上げるのだろうと私は思っていたが、案外何の言葉も出ないものだ。 「…そろそろ話を始めていいか?」 男の困ったような声に、奴隷たちの視線が集まる。 奴隷たちは息を呑んで、次の言葉を待った。 「…まず、俺の国へようこそ」 「ご主人様、まだ国ではございませんが…」 早々に執事に話を遮られ、男は硬直する。 体裁よくしたかったのだろうが、その目論見は崩れ去ったようだ。 男は執事に詰め寄り、ヒソヒソと話しかける。 「いや、国じゃないのは確かだけど、こういうのは雰囲気的なものもあるだろ?」 「ですが、新しい者たちに誤解を与えるのはいかがかと」 「う…」 男は反論を試みるも、執事の言葉に軽く論破された。 しかし、彼は使用人という立場でありながら随分とはっきりものを言えるらしい。 使用人といえば、主人の顔色を窺ってばかりいる者くらいしか見たことがないものだ。 肩を落として男は奴隷たちの前に戻ってくる。 「あー…今の発言は忘れてくれ。正確に言えば、ここはまだ国と呼べる場所じゃない。これから国をつくり上げていく場所だ」 話しながら男は奴隷たちのもとへと歩を進める。 そして、奴隷たちの前で足を止めると割れた首輪を拾い、天に掲げる。 「これがどういうものかは十分知っているな?そう、お前たちを強制的に働かせ、主人に絶対に逆らえないようにするものだ。だが、そんな人を思い通りに従わせるには最高の道具を俺は外した。これが何を意味しているか分かるか?」 その問いかけに奴隷たちは顔を見合わせた。 男は首輪の欠片をポケットに入れると、元の場所に戻り、再び奴隷たちに向き直る。 「首輪が外された今、お前たちには2つの道がある。1つはこの場を去って、己の力で自由に生きていく道だ。もちろん、必要な金や装備は持たせてやろう。だが、その先は俺の知ることではない…」 男は一呼吸おき、言葉を続けた。 「そして、2つ目の道は…俺に忠誠を誓い、この新たな国作りに協力することだ」 奴隷たちは再び顔を見合わせる。 目の前に立つ男が何を言っているのか、理解が追いつかないのだ。 その空気を察してか、男はまた口を開く。 「言っておくが、俺が目指すのはこれまでと同じ、上に立つ者が好き放題にし、下位の者が虐げられるような腐りきったものじゃない。俺の作ろうとしている国では誰もが平等で、自由で、幸せになれる。もちろん、お前たちのような苦しむ人間も一切いない。そんな理想の国だ。想像してみてくれ。お前たちがそこで笑って暮らす姿を…」 奴隷たちは男に促されて、思い思いに想像を膨らませる。 心なしか、彼らのくすんでいた瞳に光が戻ってきているように感じられた。 「だが、国を作ろうとしても俺一人では無理だ。だからこそ、お前たちの手を貸して欲しい。俺とお前たちの力を合わることで、不可能は可能となる」 男は言葉を切り、奴隷たちの顔をしっかりと見据えた。 そして、体の前で拳を握りしめ、声を張り上げる。 「約束しよう!必ずお前たちに未来を示すと!そして、生きる意味を与えると!」 「この俺に忠誠を誓え!この俺を信じてついてこい!」 心を震わせる力強い言葉に、奴隷たちは声を上げて応えることはしない。 だが、その言葉は確かに届いたようで、彼らの表情にはっきりと浮かんでいた。 斯く言う私もその目から自然に涙があふれ出す。 あぁ、天は私を見捨ててはいなかった…
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