廃プールと海とガラスとガラス

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■■■  八月のその日、九十九里の海は、雲り模様でもにぎわっていた。  唐沢徹(からさわとおる)は、高校最後の夏休みを、毎日ぼんやりと海を見ながら過ごしている。  代り映えのない白いTシャツに黒のショートパンツ姿で、あてもなく海の周りをうろついていた。  昔から、顔も服装も愛想のない子供だと言われることが多かった。自分でもそう思う。  夏休みに入ってからは、家族以外とはまともに会話をしていないので、不愛想に磨きがかかっているような気がする。  この日は家から出る時、徹は居間にいた母親と妹に、できるだけ陽気に声をかけた。二人はそれまで見ていたテレビを消して、いってらっしゃいと応えた。  今日も、喧騒を避け、徹は岩場へ向かう。  地元の人間でもあまり入り込まない、入り組んだ岩の中へ、隠れるように身を潜めた。人の一人や二人がすっぽりと入れる空間が、この辺りのい岩場にはいくつもある。  徹の足元で、細かく入り組んだ岩の凹凸の間を、海水が迷路のように走っては引いていく。  沖の方が晴れてきた。天使の梯子がかかり、人々が歓声を上げる。徹の耳にはその声がとても遠い。別世界のように。  波音が岩の間でこもる。渦巻貝の貝殻の中に入るとこんな風なのかもしれない。  上下左右と背後を黒々とした岩に囲まれ、徹の視界は前方にしか開けていない。  適当な岩に腰掛け、海を見る。晴れ間が広がり、午後二時の海はまばゆく輝きだした。徹の手の届かないところで。  五分ほどそうしていただろうか。  ふと右手の方を見て、徹は、声に出さずに仰天した。  徹のすぐ傍で、水着の上にパーカーを羽織った女が、腰から下を波に洗わせ、目を閉じて岩に横たわっていた。  今の今まで、まるで気づかなかった。それくらい、何の気配もなかった。 「あの」  そろそろと声をかける。 「そんなところでそうしていると、噛まれますよ」 「何に?」  女は唇だけを動かして答えてきた。二十代前半のように見える。茶色い髪は上品に染められていて、顔立ちが人形のように整っていた。顔の次には、そのほっそりした形のいい指に、徹の目がいった。それ以上じろじろと見てしまわないように、視線を引きはがす。  この辺りに住んでいる人の雰囲気じゃないな、とすぐに徹は察した。 「うつぼとか。カツオノエボシとか」 「そうしたら、どうなるの」 「痛いし、特に後者は浅瀬でも溺れ死んだりしますね」  女はため息をつくと、体を岩の上に引き上げた。 「静かなところで、いいと思ったのに」 「すみません」  女は苦笑した。 「違うよ。危ない目に合うところだった、と言ったのよ。ごめんなさい」  岩場の中は洞窟状になっているために薄暗かった。そこへ、波が反射した光が下から差し込み、二人を照らした。  木漏れ日のように照らされている女の顔をよく見ると、その大きな目や、形のいい唇がはっきりと光に映えた。  徹の胸が激しく鼓動を打ち始める。落ち着け、と胸中で深呼吸した。 「ここは確かに人目には触れませんが、危ないですよ」 「そうだね。ここにいたら、見つけてもらえないかもしれないね」 「……? まさか、誰かと待ち合わせですか?」
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