ピザを投げないでください

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 待ち合わせの場所に向かう途中でサトシを見つけた。  駅地下のブティックの店頭で、マネキンに抱きついて生地をなでまわしたり裏返したりしている。背後から近づいて、軽くひざ蹴りをかました。 「よお、早かったな」他人のふりをして歩き去ろうとする私のあとを、片足を引きずりぎみにしながら追ってくる。 「気持ち悪いからついてこないで」 「いや、面白い縫製の仕方してるな、と思ってさ」 「そんなのどうでもいいから、もっと離れて歩いて」 「ごめん、俺、一度夢中になると、周りが見えなくなる性質だから」 「ものには限度ってものがあるでしょう」  足早に歩きながらそんな言い争いをしているうちに目的の店についてしまった。同じ地下街の中の、石窯焼きのピザ屋。席に着くなり、ショートパンツとシフョンブラウスのコーディネイトを誉められたが、それを喜ぶ気分ではない。 「それだけ熱心なら、さぞかし学校でも成績いいんでしょうね」 「まあな。そりゃ当然だけどな」  皮肉を言ったつもりがまるで通用しない。  サトシは三年まで通った大学をやめてファッションデザインの専門学校に入学した。そんな重大なことを、私にはろくに相談もせずに、まるっきり一人で決めてしまった。 「専門学校の成績がよくったって、その後の仕事に結びつくわけじゃない。センスやアイデアを磨くことが大切なんだ」  ポケモンマスター目指して冒険を続ける少年みたいな目をしてサトシが言う。  高校一年で知り合ったときから手芸部唯一の男子で、部屋に自分用のミシンを持っている変わり者だったが、ここまでの変人だとは思っていなかった。私服で会うたびに熱心な目で見つめられ、服やコーディネイトのセンスを誉められた。その言葉やまなざしは私をドキドキさせたものだったけれど、思えば彼の情熱はあくまで私の服に向けられたものだったのだ。  今こうしてピザ屋で向き合っているときにも、彼は手帳を取り出してウェイトレスの制服をスケッチしたりしている。テーブルの下で脚を蹴ってやった。 「それ、趣味の範囲にしとくわけにはいかなかったの」 「もう手遅れだな」 「何にも相談してくれなかったくせに」 「あの時期はおまえも忙しかったろ」  私は高校を卒業してすぐに就職した。総従業員数が三〇人に満たない零細企業で、総務から経理まで、事務にかかわるあらゆることをやらされている。サトシが大学を退めるころ、会社では先輩が寿退社するところで、いっぺんに増えた責任の範囲に私は溺れそうになっていた。  たいへんな時期だったが、充実しすぎるほどに充実していた。会社の業務が一通り見渡せる今のポジションは、大変だけどやりがいがあった。 「俺も真剣に選んだことだし、必死にやってるんだ。いつか理解して欲しいと思ってる」  真顔でそう言われると、不承不承頷くしかない。  ただ、会社の人や友人に、付き合っている人はいないのかと聞かれて、専門学校に通っていますと答えるのは恥ずかしい。つまらない見栄だと言われればそれまでだが、サトシのことは言わずに、 「今は仕事で誠意一杯ですから」なんて、つい話をそらしてしまう。遅くまで残って仕事をしていると、上司や同僚に食事や飲みに誘われることも多い。仕事の話がふと途切れたときに、さりげなく口説かれたりすると、つい気持ちが揺れそうになる。 「真剣なのはわかるけどさ、将来のこととかちゃんと考えてるの」 「どういう意味で」  問い返されて、私は言葉に詰まる。ほんとうはこう尋ねたかったのだ。  私のことはどう考えてるの、と。 「あの大学でて、地元の中小企業に受かったところでこんな時代だ、何時潰れるかわかったもんじゃない。そんなことで後悔するぐらいなら、本当にやりたい事をやりたい。それで人生だめになるんなら納得できる。無難な道を選んで失敗したら、後悔しか残らない」 「そういうことじゃなくて」  サトシは自分で言うとおり、一度夢中になると周りが見えなくなる性質だ。見えなくなるどころか忘れてしまう。イライラしてまた脚を蹴ってしまった。  あんたの将来の中で私はどうなってるのよ。  そんな単純なことが、どうしても聞けない。  私の足癖の悪さにサトシが文句を言う前に、 テーブルに食事が届いた。私はローマ風ピザ。サトシはラビオリ。一口食べてから、サトシが言った。 「おまえが結婚するときは、おれがウェディングドレス縫ってやるよ」 「ハア、何それ、意味わかんない」 「たとえ何時になっても誰が相手でも、俺がウェディングドレス縫ってやるよ」  皿を放り投げてピザを顔にぶつけてやろうかと思った。ほとんど実行しそうになった。  サトシの覚悟はわかる。彼なりの愛情の表現だというのも理解できる。でも、私が聞きたいのはそんなせりふじゃない。  サトシはちょっと照れた顔をしてラビオリを口に入れる。その表情がまたむかつく。私の怒りは制御不能になりかけている。 「おまえにぴったりの最高の奴だ。俺だから作れる、俺にしか作れない完璧な奴だ。それだけは、今約束する……それが今約束できる精一杯だ」  それだって、私の聞きたかった答えとは程遠い。でも、すごく真剣な目をしてそう言うから、大いに不満は残るのだけど、皿を投げつけるのだけは我慢した。  そんなにいつまでもは待たないからね。  そう言ってやろうかとも思ったけれど、甘やかすといけないので止めにした。                                 了  
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