第12話

1/1

4727人が本棚に入れています
本棚に追加
/53ページ

第12話

「うわぁ……結構、人がいるんですねぇ」  運動会の日と同じように晴れた空が高く感じる、秋の土曜日。  花菜実は動物園にいた。もちろん一人でではない。 「リニューアルしたばかりだからだろうなぁ。それに天気もいいし」  幸希はエントランスゲートをくぐりながら、空を仰いだ。  その動物園は桜浜市に昔からあったのだが、先頃リニューアルオープンをした。改装に際し、動物園はスポンサー、つまりは寄付金を募ったのだが、それは法人のみならず個人でも参画出来るものだった。  幸希はミズシナ株式会社としてではなく、水科幸希個人としてスポンサーになったそうだ。それにより、名前を刻んだプレートが園内のどこかに埋め込まれることになる。  先日夕食を共にした時、彼の名が記載されたプレートの場所を一緒に探してくれと頼まれた。花菜実は「面白そう!」と、それを快諾した。  プレートがどこにあるのかを自分で探すのが、個人スポンサーにとっては楽しみの一つとなっているそうだ。だから来園しては家族やカップルで探し出したりする出資者もいるとのこと。  寄付した金額が高いほど、人気のある動物の近くに埋め込まれるのが暗黙の了解らしい。幸希は具体的な金額は口にしなかったが、相当額を出したのは間違いないので、おそらくネコ科の猛獣かホッキョクグマの辺りではないかと、花菜実は推測していた。  特にホッキョクグマはかなりの金額をかけて展示環境にテコ入れしたらしく、リニューアルオープンの目玉とも言われていた。  ともあれせっかく来たのだから、隅から隅まで動物たちを堪能しようと、二人はマップ片手に園内を回り始めた。 「うーん……人が多すぎて動物があまり見えない……水科さんは背が高いからいいですよねぇ……」  首を伸ばしてみたり背伸びをしてみたりと、頑張ってはみるが、人が多すぎて、柵の向こう側がなかなか見えない。 「……抱っこしようか?」  幸希が真面目な顔で提案する。 「ちょっ、何言ってるんですか! 子供じゃないんですから!」 「割と真剣に言ってるんだけど」 「遠慮します! ……そもそも水科さんって、身長どれくらいなんですか?」 「今年の健康診断では一八六だった」  確かに幸希は普通の男性よりも頭半分近く出ている。ましてや花菜実とでは、明らかに大人と子供、と例えるしかない身長差がある。 「うぅ……私と三十センチ以上違う……五センチでいいから分けてほしい……」 「花菜実はそのままでいいよ。可愛いから」 「……それ、子供みたい、って言ってるように聞こえます」  からかわれているのだと、花菜実は頬を膨らませる。 「本心なんだけどな」  くつくつと笑いながら、幸希が彼女の手を取った。 「……え、ちょっと」 「人が多すぎて“僕が”迷子になるといけないから、こうしててほしいんだけど」  と、先日のように恋人つなぎをされてしまった。 「こ、恋人つなぎはダメです!」 「……じゃあ、普通の手つなぎならいい?」  幸希が花菜実の顔の前に、つないだ手を掲げながら尋ねる。 「えー……」 「はぐれたら困るから。……いいだろ?」  悪びれる様子は一切なくきれいに笑い、幸希はつないだ手に力を込めた。 「……分かりました」  おそらく何を言っても無駄だろうと、花菜実は手を振り払うことは諦めた。 (もう、仕方ないなぁ……)  花菜実と一緒にいて余裕があったことなんて、一度もない――幸希からそう告げられたあの日から、彼女の中でさらなる変化が起きていた。それまでの数週間で確実に薄れていた幸希への警戒する気持ちや先入観が、ここへ来て、明らかに好意に転換し始めているのだ。  頭と心の間に、あからさまな隔たりが生じている。  今この時も、頭の中では「手を振り払うことを諦めた」と語っているけれど、心の奥では「このままつないでいたい」と思っている自分がいることを、どうしたって否定出来ない。  何年も前から自分の心の周りに築き上げてきた壁が、この一ヶ月弱で少しずつひび割れてきて。そこから水が滲み出るように、幸希の存在がじわじわと内側に入り込んできているのを感じる。  頭の中では常にアラートが鳴り、緊張感を持ってかまえているのに、心はどんどん解けて柔らかくなっていく。  幸希の手が優しくて温かくて、このまま離したくない、なんて……思っちゃいけないのに。  それなのに。 「今日の服も可愛いな、よく似合ってる」 「太陽の下だと、ますます髪がきれいに見える」  躊躇うことなく、花菜実を褒めてくれるから。 「花菜実、そこ、足下気をつけて」 「向こうから走って来る子供がいるから」  さりげなく身体を引き寄せて、障害物から守ってくれたりするから。 「あのクマ、腹出して寝てる。野生感ないなぁ、あははは」 「本当に抱っこしなくて大丈夫か? 花菜実」  惜しげもなく、無防備な笑顔を見せてくれたりするから。 (嬉しい) (楽しい)  頭の中までもが麻痺して、それ以外の言葉が出て来ないのだ。 (水科さんが、いつもと違う雰囲気なのもよくないのよ……っ)  今まで会った時は、ほぼスーツ姿だった。けれど今日は動物園という場所に赴いているせいか、当然ながらカジュアルで。  見慣れない服装のせいか、ついつい目が行ってしまうのだ。  Tシャツにデニムシャツ、黒スキニーというシンプルかつ定番のスタイルなのに、やたら目立つ。何故なのか――そんなことは分かりきっている。理由は、本人のスペックの高さに他ならない。 (あの蓮見家のメンバーと一緒にいて見劣りしないどころか、一歩くらいはリードしてるもの、この人……)  知り合ってから今まで、幸希の中にこれと言った欠点を見たことがない。強いて挙げるなら、自分のような平凡女子をかまって楽しんでいるようなところだろうか。  見た目だけなら、モデルか俳優と言われても疑う余地のないほど、頭の先からつま先まで美しく整っているのだ。  その証拠に、さっきから近くにいる女の子のグループが、幸希を見て色めき立っているのが見て取れるし、声をかけたくてそわそわしていると思しき女性たちもいる。  けれど、幸希はそんな視線や雰囲気には、まったく関心を持つことも気にする様子もない。おそらくそういったことには慣れっこなのだろう。注がれる視線を完全にシャットアウトし、 「花菜実、ここからだとよく見えるからおいで」  柔らかな笑みで、つないでいる花菜実の手を引く。そして自分の前に立たせると、幸希は後ろから抱きしめるように彼女の身体を人混みからガードした。さらには、ちょうどいい場所にあるのか、花菜実の頭の上に自身の顎を軽く乗せるのだ。  これはもう、端から見れば立派なリア充カップルで。  その光景を見て逆ナンを諦めた女子は、一体何人いるのだろうか――花菜実は改めて、水科幸希という男のレベルの高さを理解させられた。
/53ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4727人が本棚に入れています
本棚に追加