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第16話
“連休は実家に帰るんだろ?なら、前の日の夜に食事でもしないか?会いたい”
会いたい――そう言われ、断る理由などなかった花菜実は、幸希からの誘いを受けた。
その日は連休前で彼の仕事が忙しいらしく、花菜実の職場までは迎えに行けそうにないと謝られた。むしろ来られては困ってしまうので、花菜実が幸希の職場がある桜浜駅まで赴き、駅前で待ち合わせをすることにした。
桜浜駅は港に面した駅で、辺りは商業施設やオフィスが立ち並ぶ大きな町だ。美術館や博物館もあり、日本でも有名な一大観光地でもある。
ミズシナ株式会社の本社は東京都内にあるが、幸希が出向しているシンクタンクは桜浜駅にほど近いシーサイドの巨大な商業ビルに入居している。
駅の南側には大きな広場があり、真ん中に設置されている大きな噴水は、人々の待ち合わせによく利用されていた。
花菜実は噴水の前に立ち、スマートフォンを片手に幸希を待っていた。いつもは「花菜実より僕の方が仕事の調整が利くから」と、幸希が待っていてくれる方が多いのだが、今日は逆だ。でも元々気が長い花菜実にとっては、こうして誰かを待つのは全然苦にならない。それは相手が幸希でも変わらない――というより、彼が相手であれば待つことさえ楽しみの一つになりつつあるのを、心が感じている。
動物園に行った日に改めて告白されて、尚弥やちなみからも、
“つきあうの?”
とメッセージで聞かれ。まだはっきりとした答えは出せずにいるけれど、幸希は決して急かしたりはしなくて。
平日は幼稚園のことで頭がいっぱいで、彼のことをなかなか自分の中で消化出来ずにいた。けれど連休に実家でゆっくり考えたら、彼と向き合う勇気が出るんじゃないか――そんな気がしていた。
手の中のスマートフォンがメッセージの着信を告げる。
“もうすぐ会社を出るから”
その文言を見て、口元を緩ませていると、
「あ!」
目の前に影が出来、驚きの声が上がった。花菜実もびっくりして顔を上げると、
「やっぱり、あなた……!」
声の主に、指を差された。
「あ……」
オルジュで幸希と初めて食事をした時に、声をかけてきた女性――長崎千賀子だった。相も変わらず、攻撃的な視線で花菜実を射抜いてくる。
「こ、こんばんは……」
花菜実は控えめに会釈をする。すると、
「どうしたの? 千賀子……って、え、花菜実?」
千賀子の傍らにいたもう一人の女性が、花菜実を見て目を剥いた。
「っ、」
聞き覚えのある声、そして見覚えのある顔――造作だけで言えば、千賀子と同じくらいにはきれいであるが。
そのきれいめな顔を一瞬不快そうに歪め、女性は花菜実の顔を覗き込んだ。
「やっぱり花菜実じゃない!」
「ま、り……ちゃん」
花菜実の心臓が大きく鼓動を打ち、そして締めつけられる。スマートフォンを握る手の平には、脂汗が滲んできた。
「茉莉、この女と知り合いなの?」
「まぁね。千賀子も?」
「ほら、さっき言ったじゃない。水科主任につきまとってるの、この女よ」
「つ、つきまとってるって……」
一体、どういう情報を経てそんなことになってしまったのか、花菜実には理解不能だった。でも、今はそんなことはどうでもいい。問題は――
「花菜実ったら、まだそんなことしてるの? 千賀子、あたし、話したことあったよね? 『サークルクラッシャー』のこと。それ、この子のことだから」
「あぁ、茉莉と大学が一緒だったっていう? やだぁ、どれだけ身のほど知らずなの、この子」
「花菜実ってば、相変わらず分不相応な人を狙ってんだぁ。ウケる~」
千賀子に茉莉と呼ばれたその女性が、花菜実を見て嘲笑する。
「ほんと、自分が水科主任に釣り合うとでも思ってるのかしら。ちゃんと鏡で自分の顔、見たことあるの?」
「そういえば花菜実のお姉さん、今アメリカのドラマに出てるんでしょ? ますます差ぁつけられちゃって、カワイソ~」
「っ、」
寒気と脂汗で震えが止まらない。
二人はそんな花菜実を完全に見下し、立ち去ることもせずに、甲高い声で彼女をあげつらっては嘲笑っている。
目の前が白くなって、今にも吐きそうだし、倒れそうだ。
(もう、やだ……)
涙が流れ落ちそうになるのを堪えるのだけで精一杯で、逃げ出したいけれど、足が動かない。
どうしてこんな目に遭わなきゃいけないの? ――心で訴える。
その刹那、
「花菜実、待たせてごめん」
優しい手に肩を抱かれ、引き寄せられた。暖かい胸にトスン、と身体を預ける形で受け止められる。見上げると、今まで見たこともないような柔らかな笑みで、自分を見下ろす幸希がいた。
「みずし、なさん……」
「冷たくなってる。そんなに寒かった?」
幸希は色を失っている花菜実の頬に触れた後、彼女のまなじりに溜まった涙を指で掬った。
「水科主任!」
花菜実に対するそれとまるで違う、甘ったるい声だ。千賀子は目を輝かせ、幸希の元へ近寄る。茉莉も「え、すごいかっこいいんだけど」と呟きながら、頬を染めている。
「行こうか、花菜実」
「水科主任! どちらへ行かれるんですか? もしよければ、私たちもご一緒していいですか? あ、この子は私の従姉で茉莉、っていうんですけど――」
この上ないチャンスだと思っているのだろう、千賀子はなりふり構わずに、花菜実と幸希の間に割り込む勢いで縋りついた。
しかし幸希はそんな千賀子の存在など、元からないような態度で。
「花菜実、行こう。ここはうるさいし、空気が淀んでる。それに生ゴミ臭い。……とにかく、ここから早く離れて二人きりになれるところに移動しよう」
遠回しと言うべきか、あからさまと言うべきか――千賀子と茉莉を完全に無視しながら放たれた侮蔑の言葉に、さすがの二人も唖然とする。そのすきに、幸希は花菜実の肩を抱いたまま、その場を離れて行った。
「……」
花菜実は心ここにあらず、といった様子で。幸希に促されるまま、おぼつかない足取りで歩いた。
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