第18話

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第18話

 花菜実が裕介と茉莉に罵倒されている場面は、何人ものメンバーが目撃していて。  裕介を初めとする幹部や茉莉のような派手な面々は、明るく開放的な反面、時折その傍若無人ぶりがサークル内でも目に余ることがあった。それを元々快く思っていなかったメンバーが、花菜実の件でさすがに酷すぎるとブチ切れたのだ。  サークルは真っ二つに分かれて対立し、そして――双方が新組織を立ち上げると主張し、結局、現行サークルは解体されたのだった。  花菜実が大学に戻って来たその日、茉莉が眉を吊り上げて言い放った。 『あんたのせいでサークルが解散だって! サークルクラッシャーかっつーの! まぁ、あんたの場合はなんかじゃないけどね!』  サークルクラッシャーの本来の意味を用いて揶揄し、さらに責めた。花菜実の味方になってくれたメンバーたちは、 『花菜実ちゃんのせいじゃないから、大丈夫だよ。気にしちゃダメだよ。あいつらの性格と素行が悪いせいだから』  と慰めてくれ、彼らが結成した新サークルにも誘ってくれた。けれどもう、花菜実にはそこに飛び込んでいく気力は、まったく残っていなかった。  尚弥と同じ大学に通っているサークルのメンバーが、今回の件を彼に伝えてくれたようで。それを聞いた尚弥は怒り心頭で裕介を呼び出し、どのような仕返しをしたのかは不明だが、花菜実に二度と近づくなと脅したそうだ。  それによって、裕介は二度と花菜実の前に姿を現すことはなかった。しかし茉莉の方は、花菜実と同じ大学なのでそういうわけにもいかず。  ことあるごとに、派手なメンバーを率いて彼女を嘲笑った。 『SENRIみたいな美人ならともかく、花菜実レベルで、裕介とつきあえるわけないじゃん! ウケる~!』  などと、千里を引き合いに出しては貶めることを繰り返した。  一体、自分の何が茉莉をそこまで不快にさせるのか、どうしてそこまで憎まれなければならないのか、花菜実にはまったく分からなかった。けれどかばってくれる友人もいたので、何とか耐えることが出来た。  尚弥は人づてにそれを聞き、そして尚弥からそれを聞いた千里は、仕事の合間に帰国し、 『かな! 大学でいじめられてるの? 大丈夫? 私が抗議してくるから、誰にやられたか言ってごらん?』  花菜実をひどく心配し、そう言ってくれた。それはきれいな 形貌(なりかたち)で。花菜実が絶対に持つことが出来ない、極上の美貌で。  そんな姉の姿を見た瞬間、今まで花菜実の精神を支えていたものがガクン、と外された気がした。  ずっとずっと周りからは比べられてきたけれど、いつも優しくて花菜実を可愛がってくれた。本当はみんなに自慢したかった大好きなお姉ちゃん――けれどその時の花菜実は、何かが欠落し、麻痺していた。 『――もうやだ……っ。いつもいつも、ちりちゃんと……比べられて。私はこんな目にばかり、遭ってきた! 同じ女の子なのに、どうしてこうも違うんだ、って、みんなが言う! 私と友達に、なってくれる子の半分は、ちりちゃんや、尚ちゃん……目当てでっ。私を踏み台にして、二人に、近づきたいって! お兄ちゃんと、お姉ちゃんは、きれいな顔してるのに……花菜実ちゃんは普通だね。本当に、きょうだいなの? いっつも、いっつも、そんな風に……言われる、私の、気持ち……なんて、ちりちゃんには分からないっ』  涙でぐしゃぐしゃになりながら、思い切り吐き出した。  そうして身体の奥底に溜まっていた澱をすべて吐き出した末に、残ったのは――後悔だった。 『ご、ごめ……こんなこと、言うつもりじゃ……』  そう口走ってから千里の顔を見た時、自責の念に押しつぶされそうになった。  花菜実よりもずっと悲しそうで、泣きそうで、だけど、懸命に表情を取り繕って。 『ごめんね、かな……私のせいで、ごめん……』  言葉を噛みしめるように、千里は謝罪の句を口にしたのだ。  それから千里は花菜実の気持ちをおもんぱかり、すぐにアメリカへと戻り――妹とはつかず離れずのスタンスを今まで貫いている。  そして花菜実は数年後、就職のために実家を出て。めったに千里と顔を合わせることもなくなり――心から謝罪するタイミングを逸してしまったのだ。  花菜実が千里を責めてしまった後、尚弥と千里が二人して影で抗議をしてくれたようで、その後茉莉から大学でいじめを受けることはなくなった。お陰で、味方になってくれた友達と大学生活を楽しめるようにはなった。  裕介や茉莉にされたことはもう忘れようと、心の一番奥の方にしまいこんだ。そして、花菜実は学んだことを重しにして蓋をした。  自分は、多くを望んではいけない人間なのだと。  こんな平凡な自分が、高い望みなんて持ってはいけない。  ごくごく人並みに、普通だけを手にして生きていけばいいのだ。  そう自分に言い聞かせて、この五年間過ごしてきた――幸希に会うまでは。  幸希に出逢い、ストレートに愛情を注がれて。一番遠ざけなければならない相手(タイプ)なのに、迂闊にも歩み寄ってしまった。そのせいで、ずっと重しを乗せてきた蓋が緩んでしまい――そして今日、茉莉と千賀子によってそれはこじ開けられた。  もはや、花菜実には自分を守る術など、ないも同然だった。 「――み、みんな、みんな、私を通り越して、ちりちゃんを好きになる……っ、ど、どうせ、あなただって、そう。あなたみたいな人が、私のことなんて、本気で好きになるはずないもん……っ。誰だって……ぅ、ちりちゃんや、依里佳さんみたいな……美人を好きになるに、ひっ……き、決まってるん、だからぁ……っ」  涙が後から後から溢れて止まらない。大粒の雫が滑らかな頬を滑り、次々に顎から滴り落ちていく。 「花菜実」  しゃくり上げながら身体を震わす花菜実を、幸希が抱きしめた。零れる涙と、そして喉の奥から放たれる慟哭が、彼の胸に吸い込まれる。  花菜実は抵抗して腕を張り、身体を離す。そして幸希の胸を叩きながら、 「――もう、やめてよぉ! っ、ぅ……、あ、あなたみたいに、何でも持ってる人……に、私の気持ち、なんて……分かるは――」  花菜実は、その言葉を最後まで絞り出すことは出来なかった。幸希のくちびるが、彼女のそれを塞いだから。  まるで、綿菓子にくちづけているような、柔らかいキスだった。涙混じりでしょっぱくて、温かくて――心を溶かしてしまうようなくちづけだった。  多分、十秒もなかっただろう。音も立てずに離れた後、 「――好きだ」  幸希が少し掠れた声で囁いた。すかさず再び花菜実を抱きしめ、その耳元で、 「僕は花菜実が好きだ。絶対に裏切ったりしない」  確かな口調で言い放つ。 「う、うそ……っ、そんなの、信じな……」  未だ泣きじゃくって止まらない花菜実のくちびるを、幸希はもう一度塞ぎ、 「――信じろ」  諭すように言葉を綯う。真剣な表情と声風が、まっすぐに花菜実の心に入って来る。 「ほんと……に?」  信じていいの? ――祈りにも似た問いを、濡れた眼差しに込める花菜実。 「君を連れて行きたい場所があるんだ」  幸希は静かに笑み、花菜実の手を引いて立ち上がった。
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