第2話

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第2話

「うわぁ……あれだけ日焼け止め塗っても、やっぱ焼けたかぁ……」  入浴後、自宅の洗面台の鏡を覗き込み、花菜実がひとりごつ。一日中を外で過ごした肌は、やはり若干赤みを帯びていた。  日焼けのアフターケアを済ませた後、花菜実は冷蔵庫から小さなキャリー式の箱を取り出した。以前から目をつけていた洋菓子店のものだ。フラップを外し、そっと開けて中を覗き込む。 「夏休み明けから今日まで、よく頑張ったぞ花菜実~。ごほうびじゃ~」  中にはケーキが三つ入っている。  シュークリームと、フルーツタルト、それからショートケーキだ。  その中から、フルーツタルトを取り出し、白い小皿に乗せた。口直しのダージリンティは入浴前に用意しておいたので、彼女の好きなぬるさになっている。そこにフォークを添えて、最後に手を合わせた。 「いっただっきまぁ~す!」  満面の笑みで宣言すると、花菜実はザクザクとタルトにフォークを入れていく。そしてひとくち。 「……んん~~~! おいひぃ……っ」  蕩けそうな表情を湛え、そして全身で美味しさをアピールする。  どうして女の子は美味しいものを食べると大仰に身体を震わせるのか――かつてはそんな疑問を持っていた花菜実だが、ケーキを食べると自然と自分の身体もそうなってしまうから不思議で。今も悶え転がらんばかりの身体を、理性で何とかねじ伏せている。  花菜実はケーキが好きだ。それこそ三度の飯よりも好きだ。  何かにつけてケーキを食べるのだが、こうして園の行事を無事に終えた時には、二、三個一度に食べるのが習慣となっている。 「ここのケーキは当たりかも……にも教えてあげよ」  自宅から一駅ほどのところに今月開店した洋菓子店のケーキを食したのは、実は今日が初めてだ。開店当初から目をつけていて、今日の取り置きを店主に頼んでおいたのだ。  夏休み後の準備から今日の本番に至るまで、全力で運動会の準備に取り組んできた、自分へのごほうび。  初めてのケーキ店で初めて注文するのは、大体シュークリーム、フルーツタルト、ショートケーキに決めている。何故なら、花菜実がその店舗を評価する時に決め手にしているのは、シューの出来具合、生クリームの味、それからフルーツとカスタードの酸味と甘味のバランスだからだ。これらが好みの味でない場合、大抵は相性が悪い。  今回の店はどうやら花菜実の好みに合いそうだ。タルト生地とカスタードとフルーツを満足げに堪能している。 「そういえば、翔くんもごほうびもらったかな……」  最後のひとくちを頬張りながら、ふと思い出した。  クラス対抗リレーは見事にひまわりぐみが勝った。練習でも安定して一位を獲っていたので、普通にいけば勝てるだろうと思ってはいたが、子供たちにプレッシャーを与えすぎるのもよくないので、ほどほどに鼓舞したつもりだ。そのためかどうかは分からないが、みんながのびのびと走っていたのでよかった。  一位でゴールテープを切った翔は、それはもう大喜びで。しかしそれ以上に、彼の家族が大はしゃぎだったのが印象に残った。  その光景を思い出して、ふふ、と笑みこぼした時、テーブルに置いておいたスマートフォンがメッセージの受信を告げた。花菜実はダージリンを口にした後、電話を取り上げる。 「あれ、(とも)ちゃんだ」  幼稚園の同僚の高橋(たかはし)朋夏(ともか)からだった。彼女は年少のももぐみの担任で、花菜実とは同期に当たるので割と仲がよい。 “今日はお疲れでした~。無事に終わってよかったよね♪しかしかけるくんの家族すごかったね~! いつも副園長先生副園長先生って言ってる先生方もみとれてたし!”  朋子は園外に彼氏がいるので、さほど騒いではいなかったが、あの場の異様な雰囲気には反応せざるを得なかったのだろう。とりあえず同意のリプライを送っておいた。 「副園長先生……あ、」  さくらはま幼稚園の副園長、関口(せきぐち)曜一朗(よういちろう)は、今日の蓮見ファミリーに劣らない品のある美形で、保護者・職員から絶大な人気を誇っている。シングルマザーや独身の職員はこぞって彼を狙っているとまで言われていた。  しかし、実は彼は依里佳に想いを寄せていた。そしてそのことを知っているのは、園ではほぼいないだろう。彼がたまたま依里佳に話しかけている場面を見かけた時に、その想いに気づいた花菜実。それから秘かに彼の恋を応援してきた。依里佳が翔を送りに園に出向いた時にはさりげなくそれを曜一朗に知らせ、彼女の嗜好なども差し支えない程度に仕入れたりしていたのだ。 (そっか、依里佳さんに彼氏がいるということは……)  花菜実の地味な協力の甲斐なく、曜一朗は失恋したということになる。 (気の毒に……)  心の底から同情を覚えてはいるが、それ以上の感情はない。普段から曜一朗に対して心躍らせたりしない花菜実に対し、同僚たちは「毎日間近であんな美形見て何にも思わないの!?」と、目を剥いて問い糾してくるが、いつも苦笑いで流している。  同僚の中には、本気で曜一朗の妻の座をゲットしようと躍起になっている女性もいる。幼稚園という圧倒的女性社会では出逢いを見つけることは困難だ。そんな中、誰もが認める美形で、さらには幼稚園以外にも会社を経営している実業家でもある独身男性が身近にいるわけで。  これは好きにならない方がおかしいとばかりに、彼女を心配してくる同僚もいる。  しかし花菜実の信条は、  分相応に生きる。多くを望まない。  なのだ。普通の人と普通の恋、普通の結婚がしたいといつも思っている。分不相応な恋なんてロクなことにならない。玉の輿なんてもってのほかだ。  だから曜一朗や翔の家族を見て「美形である」と認識こそすれ、恋愛対象になどならない――いや、恋愛対象になり得るはずがないと理解しているのだ。  身長は一五四センチほどで、顔は童顔。そのためか昔から小さい子供にはよく懐かれた――だからこそ幼稚園の先生になったのだが。しかしそれ以外にこれといった取り柄もない。  そんな凡庸な自分が、玉の輿や美形との結婚を狙うだなんて、おこがましい以前に、あまりにも非現実的だ。  だから、同僚たちが血道を上げるような美形に感情を揺さぶられることなど、決してない。  それに―― 「ああいう人、見慣れてるなんて……言えない……」  花菜実はぼそりと呟いた。
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