第22話

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第22話

「ん……」  ぼんやりとした明るさに、花菜実は眉根を寄せた。しばらくして、パチリと目を開ける。自分の置かれた状況がまったく分からない。パチパチと何度も瞬きをして、辺りを見回す。 「え……何? ここ、どこ……?」  広々とした部屋――おそらく二十畳はあろうかという洋室には、おしゃれなインテリアが配置されている。そして大きな窓には薄手のカーテンがかけられており、それを通して陽の光が差し込んでいた。  まったく見覚えがない、来たこともない部屋だ。その室内の壁際に設置されている広いベッドの上に、花菜実は寝かされていた。  ガバリと起き上がろうとすると、横からにゅっと伸びてきた腕に阻止され、またベッドに逆戻りさせられるはめになった。 「え? ちょ……」  腕を辿っていくと、隣には幸希が寝ていた。うっすらと目を開け、花菜実を見ている。 「まだ六時半だから……もう少し寝よう。そんなに早く実家に行く必要ないんだろう?」  幸希は両手を伸ばし、当然のように花菜実を抱き込んで。再び眠りに落ちようとしているので、 「え? ちょっと、これどういうことですか!? も、もしかして、私たち……」  うろたえながら、すかさず自分の身なりを確認する。着ていたはずの秋物コートは脱がされていたが、その他の服はしっかりと身に着けていた。 「……残念ながら、何もしてないよ。……キス以外はね」  本当に残念そうに、幸希が掠れた声で言う。花菜実はほぅ、と息をつく。 「そう、ですか……」  ホッとしたような、残念なような―― (いやいや、はない、は……!)  思わず自分の頭にツッコミを入れてしまった。 「何なら、今からでも僕はかまわないけど?」  幸希が花菜実の頭に頬ずりをする。 「い、いえ! 結構です! 遠慮します!」  顔を真っ赤にし、弾けんばかりに首をぶるぶると振る花菜実の姿に、堪えきれなくなったのか、幸希が身体を震わせて笑いだした。 「あはははは! ……慌てる花菜実も可愛いなぁ。あまりに可愛くて、目が覚めたよ」  ひとしきり笑った後、幸希は花菜実にキスを落とし。 「――昨日、庭でこうしてキスしたのは覚えてる?」  そう言いながら、何度も何度もちゅ、と音を立てる。 「それは……はい、覚えてます」  忘れようにも忘れられない、初めての濃厚なくちづけだったから。  もう一度――そう請われ、また深い深いキスをされた。何度もくちづけられ、腔内を舐られ、何もかもを溶かされてしまいそうだった。  くちびるは首筋にまで落ちてきた。キスだけでなく、舌でなぞられ、時折吸われて――今まで感じたことのない甘い痺れに襲われてしまい。 『……ぁ』  思わず小さく声を上げて身体を震わせると、 『大丈夫、これ以上はしないから――ここではね』  そう囁かれた。幸希は言葉の通り、首筋から下には触れなかった。 『ゃ……みずし、な、さ……』  その度に、 『……そうじゃないだろう?』  何度も何度も柔らかく首根や耳元にくちづけられ、甘噛みまでされて。名前で呼ぶように念を押され、遂には了解させられてしまった。  長い長いキスが終わり。  毛布の中でぎゅっと抱きしめられ、心地よいぬくもりに浸っていた――ところまでは覚えている。  そして気がつけば、この有様だった。 「花菜実は僕に抱きしめられたまま、寝てしまったんだよ」 「そ、そうなんですか!? ご、ごめんなさいっ」  慌てて謝罪する花菜実に、幸希はくつくつと笑い、 「あの場面で寝落ちするなんて、大物だな、花菜実」  と、からかう。 「それで……私のこと、ベッドまで運んでくれたんですね? すみません……重かったでしょう?」  昨日は花菜実にとっては、普段の数倍のエネルギーを消費するような出来事が起こったから。その疲れに加え、幸希から与えられた愛情と温かさが、花菜実を眠りに誘ってしまったのだろう。  まさかあのような状況で寝てしまうだなんて。恥ずかしさと申し訳なさで、居たたまれなくなってしまう。 「全然。むしろ軽すぎるな、って思ったくらいだ」  幸希は毛布に包んだまま花菜実をベッドまで抱き運び、上着だけ脱がせたそうだ。本当は花菜実のことは客間に寝かせ、自分は別室で休もうかと思ったらしいが―― 「花菜実の寝顔があまりにも愛らしくて、ずっと見ていたくて一緒のベッドで寝てしまった……ごめん、花菜実。でも誓って手は出してないから、安心していい」  自分の潔白を宣言するように、幸希が右手を挙げる。 「いえ! ……私こそ、寝ちゃってすみません」 「まぁでも、寝落ちしてくれてかえってよかったのかも知れない。あのまま起きていたら、きっと花菜実を抱いていたと思うから」  それくらい、昨日のキスはやばかった――呟きながら、幸希がかぶりを振った。  花菜実はかぁっと顔を赤らめる。確かに、あの時もし起きていたなら、幸希に誘われたなら――花菜実は絶対に流されていただろう。蕩けるようなくちづけでほのかに火を点された、あの時の心と身体が、甘い誘惑を拒めるとは到底思えなかった。  思い出すだけで、身体の奥が解けていくのを感じる。  しかしそれを振り払うように首を振り、 「こ、幸希さん……ありがとうございました」  花菜実は横たわったまま、頭を下げた。 「何?」 「昨日、ずいぶんと幸希さんに励まされて、気持ちが軽くなりました。今日、勇気を出してちりちゃんと話し合って……それで、謝ろうと思います」  幸希がとことん花菜実を甘やかして励ましてくれたから。どん底に沈み込んだ気持ちを掬い上げてくれたから。だから、今は素直に行動を起こしたいと思えた。 「……そっか、頑張れ。どういう結果になっても、何があっても、僕は花菜実の味方だから」  幸希は花菜実の頭をそっと撫でた。 「それから……その……」 「ん?」  言い淀む彼女に、幸希は促すように首を傾げる。それでもバツが悪そうにしばらく躊躇った後、ようやく意を決し、おずおずと口を開いた。 「私……お腹空いちゃいました」
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