第23話

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第23話

「かな~! どうして連休ごとに帰って来てくれないんだよ~。お父さん淋しいだろ~?」  眉を八の字に下げきって、今にも泣きそうな顔をしているのは、五十をとっくに過ぎたおじさんである。しかしおじさんとは言っても、いわゆる『イケおじ』と呼ばれる類の人種で――そう、はっきり言ってしまえば美中年なのである。  日本人とカナダ人のハーフである父の健一は、三人の子供の中でも、末っ子である花菜実を特に可愛がっている。  もちろん尚弥と千里にも愛情を注いではいるが、花菜実に対しては特別過保護だ。彼女が就職のために家を出るのを、最後まで渋っていたのも健一だった。  今も、実家に足を踏み入れた途端、なかなか帰省してくれない花菜実を拗ねながら責めている。 「ごめんね、お父さん……いろいろ忙しくて……」 「せめて週に一度は電話でかなの声を聴かせてくれないと、お父さん悲しくて仕事も手につかなくなりそうだから!」 「……それはちょっと気持ち悪いよ、お父さん。仕事はちゃんとしなきゃ」  口元をひくつかせた花菜実が苦言を呈する。健一は玄関に立っている花菜実に「仕事はちゃんとしてる!」「かなの声を聞かないと張り合いがない」「かなはお父さんのこと嫌いなのか?」「彼氏が出来たのか?」などと、うんざりするほどの言葉を浴びせてくる。 「ちょっと健一さん! いつまでかなを玄関に立たせてるの!」  健一の後ろから、母の敦子が呆れた様子で声を荒げている。敦子は小柄で童顔な女性で、健一とは身長差夫婦だ。  花菜実は完全なる母親似だった。それもあって余計に父から可愛がられているのだろう。 「お母さん、尚ちゃんと……ちりちゃんは?」  花菜実が探るように尋ねる。 「千里はお仕事の電話がかかってきちゃったみたいで、部屋で電話してるわよ。尚弥はね、駅前まで買い物に行ってるの。……あ、そうだわ。千里の好きな栗城屋(くりきや)の豆大福も買って来てもらわなきゃ」  敦子はエプロンのポケットに忍ばせているスマートフォンを取り出した。 「あ、お母さん、私行くよ。ついでにファンデーション買わなきゃいけないから」 「あらそう? じゃあ豆大福十五個買って来てね。健一さん、花菜実にお金あげて」 「いいよいいよ、それくらい私が出すから」  母に手を振った花菜実は大きな荷物を玄関先へ置くと、小さなバッグだけを持ち、玄関先に吊るしてある自転車の鍵を取って再び外へと出た。母親の自転車にまたがり、駅前のドラッグストアへと向かう。  大型チェーン店で目当てのファンデーションを見つけ、ついでに気に入った色味の口紅も購入した。そして次に、敦子に頼まれた豆大福を買うために行きつけの和菓子店・栗城屋へと向かった。  家族みんながこの店の和菓子が好きで、昔は花菜実もよく買いに来ていた。千里は特に豆大福が大好物なので、帰国するたびに大量に消費してからアメリカに帰って行く。 「……あ、尚ちゃん」  栗城屋の扉を開けた瞬間、レジの前に立つ兄の姿が目に入った。 「おー、かな。何? もしかして豆大福買いに来た?」 「お母さんに頼まれたんだけど……もしかして、尚ちゃんも?」 「そ、千里がここの豆大福好きだろ? だから買ってってやろうかと思って」 「さっすが尚ちゃん、分かってるね。ちりちゃんも喜ぶよ」  尚弥の隣に並び、そんな会話を交わしていると、 「尚弥くんも花菜実ちゃんも、きょうだい想いだね~」  店主が豆大福を包みながら言った。 「当然ですよ~。俺ら仲いいですもん。な? かな」  尚弥がニッコリ笑って放つ言葉に、花菜実は少しだけ躊躇ったが、それでも笑い、うなずいた。 「仲良しきょうだいのために、おまけしといたからね」 「あざーす!」 「ありがとうございます」  店主から大福の包みを受け取ると、二人は店を出た。尚弥は徒歩で来ていたので、花菜実も自転車を押そうとすると、 「自転車は俺が押すから、鍵貸しな、かな」  彼女から自転車の鍵を受け取り、尚弥が解錠した。 「ありがと、尚ちゃん」  花菜実は自転車のカゴに荷物を入れ、尚弥の隣を歩き始めた。他愛もない話をしながら商店街を抜け、住宅街に入った頃、 「……」  尚弥がふいに黙り込み、妹の側頭部を上から凝視し始めた。尚弥は幸希ほどではないが父に似て長身なので、彼女を見下ろす形になる。視線を感じた花菜実は彼を見上げ、 「どうしたの? 尚ちゃん」  不思議そうに尋ねた。尚弥ははぁ、とため息をつき、花菜実の耳たぶの後ろの首筋を指差した。 「っ、何?」  いきなり突かれ、驚く花菜実。 「……ここ、気づいてるか? かな」 「? 何言ってるの?」  眉をひそめて首を傾げる妹に、尚弥はやれやれとかぶりを振った。 「こんなことを妹に……しかも指摘する日が来るなんて、夢にも思わなかったけど……キスマーク、ついてるぞ」  尚弥の衝撃的な発言に、彼女は思わず跳ねるように首筋を隠す。 「え、な、何それ、知らないから!」 「知らないなら、慌てる必要ないと思うけど」  目に見えて慌てふためく花菜実を尻目に、尚弥は目を細めて鼻で笑う。 「ほ、ほんとに、変なことなんて、してないから!」  握りこぶしを上下に揺らしながら、花菜実は懸命に訴えるが、尚弥は信用していないようだ。 「はぁ……遂にあのイケメンセレブにやられちゃったか……っていうか、父さんが知ったら泣くだろうなぁ……」 「や、やられてない! キスしかしてないもん!!」  尚弥がわざとらしく口にした言葉に乗せられるように、花菜実は思わずそう言い放ってしまった。そしてしばらくして、 (~~~っ、私、何てこと言っちゃってんの~!?)  自分が何を口走ってしまったのか気づいた花菜実は、へなへなとその場でしゃがみ込み、頭を抱えた。 「……へぇ~、まだしてないのかぁ。あいつかなのこと結構大事にしてんのな。っていうか、あいつ、今日かなが帰省すること知ってたろ?」 「知ってた……っていうより、家の前まで送ってくれた」  あの後、別荘でシャワーを借り朝食を済ませた花菜実は、幸希が呼んだ水科家の車でアパートへ戻った。そして彼女が帰省の準備をしている間に、幸希は自宅から自分の車で花菜実の元へとやって来て、彼女を実家まで送ると言い出した。初めは断ったのだが、花菜実が電車で痴漢に遭わないか心配だとか何とか理由をつけ、幸希は彼女を車に乗せて織田家まで送り届けることに成功した。 「ふーん……だからか。わざとキスマーク残したな、水科のやつ。俺に見せつけるために」 「え? 何で?」 「だってあの男、動物園でかなに抱きつく俺に、思い切りヤキモチ妬いてたし? めっちゃ睨まれたわ、俺。……あ、そっか! あの時キスを邪魔されたからだな。大人気ないやつ~」 (この人、何もかもお見通しすぎて怖い……) 「もう……尚ちゃんには隠しごと出来ないなぁ……」  ははは、と力なく笑い、花菜実は立ち上がった。二人は再び歩き出し、それから少しして、 「……俺はかなに隠しごとしてた。っていうか、千里に口止めされてたんだけど」  尚弥がそう前置きし、語りだした。 「かなはいつも周りから千里と比べられて、自分が劣っていると思ってただろうけど、実はあいつも同じ目に遭ってたんだよ」
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