第26話

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第26話

「今日は、昨日行ったおいも堀りの絵を描くからね。お道具箱からクレヨン出して来るよ~。まずは、男の子から~はい!」  ひまわりぐみの男児たちがオープンロッカーに駆け寄っている間に、花菜実は机の上に画用紙を配って歩く。  十月下旬の予定だったいも掘り遠足が雨天中止になってしまい、連休明けの昨日、ようやく行くことが出来た。今日はその遠足の絵を描く日だ。 「かなみせんせい~、ぼくきのうやきいもたべた~」 「わたしも~」 「ぼくはてんぷらたべたよ~」  園児たちが次々に持ち帰ったさつまいもの実食レポートを始める。 「みんな美味しそうなの食べてるんだね~。先生はねぇ、スイートポテトを作りました~。みんなスイートポテトって知ってるかな? おいものケーキだよ」 「しってる~! おれもスイートポテトたべたぁ。おかあさんがつくってくれたよ~」  翔がクレヨン片手に手を挙げて飛び跳ねた。 「そっか~、翔くんちと先生んちは一緒のやつ食べたんだね~」  花菜実は昨日、持ち帰ったさつまいもでスイートポテトを作った。ケーキ好きが高じて、時々自分でも簡単なものを作るようになった。  いも掘り遠足に行くと、必ずスイートポテトを作るようにしているので、この時期はバターや生クリームを冷蔵庫に用意しておく。  昨夜、幸希からメッセージが来て「今、何してる?」と尋ねられ、素直に、 “今日いも掘り遠足に行ったので、スイートポテトを作ってます”  そう返事をすると、 “食べたい”  と返って来たので、 “桜浜の駅ビルに美味しいスイートポテト売ってるお店がありますよ――”  花菜実自慢の洋菓子店情報を意気揚々と送ったところ、 “そうじゃなくて、花菜実が作ったやつが食べたい” (はぁ? 何言っちゃってるの、この人!)  慌てて返信文を打ち込む花菜実。 “無理ですよ、日持ちしないと思いますし、それに幸希さんのお口に合うか分かりませんし”  どう考えても週末までは保たないだろうし、自分が作ったものが彼の口に合うとは到底思えなかったのだが―― “明日の夜、食べに行くから” “どこにですか?” “花菜実の部屋” “えっ、無理です!散らかってますし!”  突拍子もないことを言い出したので、慌てて拒否の意を送ってはみたものの、 “僕は気にしないし、それに何より、花菜実に会いたいから”  会いたい――この呪文を使われてしまうと、どうにも突っぱねることも出来ず。余っていたさつまいもで改めて神経使いつつ同じものを作り、その後急いで部屋の掃除をした。 (そう言えば、何時に来るのか聞いてないなぁ……) “絶対に今日食べに行くから、僕の分も残しておいてくれ”  こんな風に朝にもメッセージで念を押されたものの、詳しい時間帯など決めていないので、普通に自分のアパートで待っていていいものか……。  女児がクレヨンを取りに行っている間、そんなことを考えてしまっていたけれど、 「かなみせんせい~! もうかいていいの~?」  その声でハッと我に返った。  教室に目をやると、もう描き始めている子、律儀に花菜実の一声を待っている子、他の子供にちょっかいを出している子など、様々だった。 「あ、ごめんなさい。いいよ~、昨日のこと、よぅく思い出して描こうね!」  花菜実は手を叩き、子供たちのフォローを開始した。  幼稚園教員になってまだ二年目だが、担任を持つことにもだいぶ慣れた。ひまわりぐみの子供たちとの関係もほぼ良好だと思う。クラスの園児の保護者からは、 『うちの子は花菜実先生が大好きで大好きで……』 『毎日のように先生の話をしてくれるんです』 『年長になっても花菜実先生がいいな、って思ってるんですよ』  そう言ってもらえることも増えてきた。  モンスターペアレンツなるものが取り沙汰されて久しいが、花菜実はそんな親には当たったことがなく、とても恵まれているな、と自分でも思っていた。 「かなみせんせい、かけたよ~!」  早速描けたと見せに来てくれた男児に「もう描けたの、早いね!」と、目を丸くする花菜実。差し出された画用紙を受け取ると、 「あ、先生のことも描いてくれたんだね~、すごいねよく描けてる! ありがとう!」  その子の頭をなでた。  園児たちが次々に「かけた!」と声を上げたので、花菜実は鉛筆片手に彼らの元を回り始めた。後ろに名前を書くためだ。 「わたしもせんせいのことかいた~」 「おれも~」 「ぼくもかいたよ~」 「わぁ、みんなありがとう~。嬉しいなぁ。でもみんな、一番大事なのは自分を描くことだからね! 自分を一番かっこよく、かわいく描いてあげるんだよ~」 「はぁい!」  元気よく返事をする子供たちに、花菜実は目元を緩ませた。  放課後は教室で十一月の誕生日会の準備をしていた。該当する子供に渡すバースデーブックに写真を貼りつけ、担任からのメッセージを書く作業だ。それぞれの子の顔を思い出しながら、一言一言、丁寧に書いていると、 「か、花菜実……っ、先生……っ」  朋夏が息せき切って入って来た。 「朋夏先生? どうしたの? そんなに慌てて」 「か、花菜実に……、お、お客さん……っ」 「お客さん?」  幼稚園に花菜実を尋ねて来る客など、覚えが―― 「めっちゃイケメンの! ほら! 運動会に来てた人! ……今、園長室で、園長先生と……っ」  ――ないはずだったけれど、朋夏の言葉を聞いて、嫌な予感が全身を駆け抜けた。 (ま、まさか……っ)  慌てて教室を出て廊下を駆け、職員室へと飛び込んだ。 「あ、花菜実先生! いつの間にあんなイケメンと婚約したのよ~」  入るなり、先輩教員からからかわれるように声をかけられ、目を剥いてしまう。 「こっ、こん、こん……!?」 「キツネか」  朋夏のツッコミに反応している余裕などない花菜実は、職員室の奥にある園長室の扉を凝視する。 「花菜実先生~、先生の婚約者さんから差し入れいただいたから~。ありがとう~」 「いただいてま~す。……あ、花菜実先生も好きなの取りなよ~。早く取らないとなくなっちゃうよ~」  言われてみると、机の上に大きな平たい箱があり、焼き菓子が詰まっていた。 (あっ、あのお店は……!)  “美味しいスイートポテトが売っている”洋菓子店のものだった。 「園長先生、花菜実先生来ました~」  園長室の近くにいた職員が扉をノックした。少しして、ドアが開くと同時に笑い声が聞こえ、二人の人物が姿を現した。一人は言わずもがなの園長で、もう一人は―― 「花菜実」  今まで見たこともないような、それはそれは優秀な笑顔だった。 (愛想がいい弟が羨ましいとか言っておいて、これだし……!)  愛想笑いここに極まれり、といった笑みで周囲に愛嬌を振りまいている。 「花菜実先生、水科さんが結婚前に先生の職場を見てみたい、と希望されてるので、園内を案内してさしあげたらどうですか?」  どうやら話が弾んでいたのだろう、園長はこの上なく上機嫌だ。一体何を話して取り入ったのか、想像したくもない花菜実だった。
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