第38話

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第38話

「どこへ行くんですか?」  幸希の車に乗せられ、行き先も知らされないまま出発してから五分――信号待ちのタイミングで、花菜実が尋ねた。 「僕の家」 「家? 幸希さんのお宅ですか?」 「そう」  そこで何かが引っかかり、花菜実は軽く眉をひそめた。 「……一つ聞きたいんですけど、幸希さんって一人暮らしでしたっけ?」 「実家で家族と住んでるけど?」 「ま、まさか、今日、ご両親とかいらっしゃるんですか!?」  目を見開く花菜実を横目に、幸希もまた眉根を寄せた。 「――今回はたまたま、僕は織田のことを知っていたし、花菜実は依里佳さんと知り合いだったから、二人の関係が完全に遮断されなくて済んだけれど。もし今後何かがあった時に、お互いの家族とつながっていた方がいいと思うんだ。だから、これから僕の家族に花菜実を紹介しに行くつもり」 「ちょっ、ちょっと待ってください。私、心の準備も出来てないし、手土産すら持ってないんですよ!? それに服装だって……」 「大丈夫、今日も十分に可愛いから。それに手土産なら後ろにケーキがあるだろう? 念のため、箱を二つに分けてもらったから、どちらかを渡せばいい」 「それは私が買ったものじゃないですし! ……あ、じゃあ私、お金出しますから!」  花菜実があたふたしながらバッグに手をかけ、財布を出そうとする。 「花菜実、落ち着いて。……僕の両親は大丈夫だから。君を取って食ったりはしない。さっき電話したら珍しく父もいるようだし、このチャンスを逃したらいつ父に紹介出来るか分からないから」 「でも……」 「母も、花菜実に会うのを楽しみにしてくれていると言っていたし」 「そう……ですか……? 私なんかで大丈夫でしょうか」  大きな不安が花菜実を襲う。この急展開に頭がついてゆけていない。ついさっき、ようやく自分の気持ちを伝えたばかりなのだ。それなのに、いきなり両親に紹介すると言われて、混乱しない女性がいるだろうか。  家族に引き会わせるに値する女性だと言われているのだから、もっと喜ぶべきなのだろうが、自分が本当に幸希にふさわしいのかと問われると―― 「……花菜実はもっと、自分の魅力と価値を自覚するべきだ」 「魅力と価値……?」 「“この僕が”、こんなに好きになったのは、花菜実だけなんだ。……これ以上の説明がいるか?」 「……何て言ったらいいのか、答えに困りますね、それ」  自信に満ちた表情の幸希に対し、花菜実が複雑なそれを見せた。 「だから堂々と家族に会ってくれればいい。両親に関しては何も問題ないから。……一番の難関は……妹だ」 「妹……さん? 確か中学生、ですよね?」  幸希の妹に関しては、中学生であることと、『りゅううさ』の作者の知り合いである、という情報しか知らない。他に何か問題があるのだろうか。 「妹の(さき)だけは、少々……いや、かなりの要注意人物だから」 「要注意人物?」  幸希はわずかに躊躇した後、 「……会えば分かると思うけど……咲は重度のブラコンなんだ」  苦笑しながら口にする。 「ブラ……コン?」 「もしかしたら花菜実は、織田や千里さんみたいなのを想像しているかも知れないけれど、あんなのは可愛いものだ」  幸希の腹違いの妹である咲は、彼が中学一年生の時に生まれた。母の百合子が、 『正真正銘、血のつながったあなたたちの妹よ。可愛がってあげてね、お兄ちゃんたち』  と、真っ先に妹を抱かせてくれた。その願いを忠実に守り、幸希と弟の篤樹は、それはそれは咲を可愛がった。学校から帰れば真っ先に顔を見て遊んであげたし、いろんなところに遊びに連れて行った。ワガママも優しく聞いてやった。  そうして美形の兄たちに蝶よ花よと甘やかされた結果が―― 「咲は僕と弟の篤樹が好きすぎて、僕たちに近づく女には容赦なく噛みつくし、デートの邪魔はする、別れるまで嫌がらせをする。まぁ、困った妹なんだ。そうしてしまったのは僕たちに他ならないんだが。……それに嫌気が差して、篤樹は家を出て一人暮らしを始めたくらいだ」 「はぁ……何だか大変そうですね」 「依里佳さんは咲の好きなゲームのキャラクターに似ていたお陰で、奇跡的にあいつに気に入られたからよかったが、それは本当にレアなケースだから。今回はそういうわけにはいかないと思う。だから花菜実のことは僕が守るつもりだけど、一応心しておいてくれると助かる」  咲はとあるアイドル育成ゲームの大ファンだ。そこに登場するアイドル候補生の中でも、特に東雲エリカという女王様キャラにハマッている。偶然にも依里佳はそのキャラに顔がそっくりで、さらには名前も同じだった。  運がいいのか悪いのか、そのおかげで依里佳は咲に気に入られたどころか、リアル・東雲エリカとして日々崇められているそうだ。 「……」  花菜実は深呼吸をした後、うつむいて黙り込んだ。幸希は心配そうにチラリと彼女の様子をうかがう。 「もし怖いなら、顔見せたらすぐに帰るようにするから」 「――私のことなら大丈夫ですから、心配しないでください。何とかなりますよ、きっと」  花菜実が顔を上げ、ニッコリと笑った。  車はそれから二十分ほど走り、羽ノ(はのおか)という閑静な高級住宅街に入った。いかにもな大きな家が立ち並ぶのを見て、花菜実は目を見張った。 「わぁ、大きなお屋敷ばかり……」  そんなことを呟いていると、  ひときわ大きくそびえ立つ邸宅の前に車が停まった。門の向こう側には、大きな洋館が見える。以前幸希に連れて行かれた別荘よりもさらに大きい、石造りの建物だ。  煉瓦の門柱には青銅で出来た表札があり、そこには『水科』と彫られていた。 「素敵なお宅ですね……立派なのに落ち着いていて、何だか歴史を感じさせます」  幸希が運転席のサンバイザーにつけられていたリモコンを押すと、門扉が左右に開いた。幅が広く、車一台が余裕で通ることが出来る。  敷地内へ入り、大きな玄関の前の車寄せへ行くと、 「あれ、篤樹が来てるのか……」  幸希が呟いた。玄関先には青いスポーツワゴンが停まっていて、おそらくそれを見て言ったのだろう。 「弟さん、いらしてるんですか?」 「ちょうどいい、弟にも紹介出来る」  空いているスペースに車を停め、幸希は車から降りて助手席のドアを開けた。 「何か、緊張してきました……」  降り立った花菜実は、自分の胸を押さえて深呼吸した。 「普通にしていれば大丈夫だから」  幸希は大きな玄関扉の隣に取りつけられているドアベルを鳴らした。
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