第51話

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第51話

「やっと幸希の願いが叶ったんだなぁ……。今まで花菜実ちゃんに合コンとか紹介とか勧めてたのは幸希と引き会わせるつもりで言ってたんだけど、ことごとく断られたからさぁ。どうなることやらと思ってたんだよな、俺」  やれやれ、といった様子で野上が肩をすくめた。花菜実はばつが悪そうにぺこりと頭を下げる。 「なんか……すみませんでした、野上さん」  おゆうぎ発表会の翌日、ヴィラ・ベルザでちなみや野上に改めて二人のことを報告しようとしたのだが、幸希にどうしても外せない用事が入ってしまい、彼だけ後から合流することになった。イートインスペースで、花菜実はちなみの前に座っている。野上は仕事が一段落ついたので、店をアルバイトに任せ、ちなみの隣に立って紅茶の用意をしていた。 「ちなみもありがとう、いろいろ」 「ううん。水科さんに花菜実のこと教えてあげるのとか、二人をどうやってくっつけようかって亨さんと作戦会議するのも楽しかったから」  ちなみがニッコリ笑う。 (ちなみ、いつの間に野上さんのこと名前呼びに……!)  突っ込んでしまおうかと思ったけれど、それも野暮なのでニヤニヤするだけに留めておいた。  いつもの席に座っている二人の目の前には、ケーキが三つ置かれている。二つは花菜実とちなみがそれぞれ食べるために注文したカットケーキ、そしてもう一つは小さなデコレーションケーキだ。『花菜実ちゃんに彼氏が出来たお祝い』と、野上が用意してくれたのだ。ピンク色のクリームがリボン状に絞り出されていたり、マカロンやケーキポップ、飾り切りしたフルーツなどが乗せられていたりと、とてもカラフルで可愛らしい。もちろん、花菜実は飛び上がらんばかりに喜んだ。 「花菜実ちゃんの前だと、あいつどう?」  野上が花菜実の前にティーカップを置きながら尋ねた。 「すごく優しいです」  素直に答える花菜実。そういうはにかんだ笑顔を初めて目にしたのか、野上もホッとしたような表情を見せる。 「そっか、よかったな」 「野上さんの前ではどうなんですか?」 「……聞きたい?」  花菜実が好奇心をまとった瞳を見せてうなずくと、野上は苦笑しつつ、ちなみの隣に腰を下ろした。 「――人間さ、誰しも『こいつだけは敵に回したくない』っていうやつ、いるだろ? 俺にとっては幸希がそれなわけ」 「そうなんですか?」  花菜実はぱちぱちと目を瞬かせる。 「俺が前にパティスリーコンテスト出たの知ってるよね? あれ、幸希に勝手にエントリーされたんだよ」  曰く、野上が与り知らぬところでエントリーがなされ、書類審査通過後に、 『野上さんがテナント料滞納なんてことにならないよう、ヴィラ・ベルザの売上に協力してさしあげます』  幸希がしれっと報告したそうだ。何だかんだとチームで出場した結果は、見事に優勝。もちろん、店の売上は跳ね上がったそうだ。それを受けた彼は、 『この調子だと、テナント料大幅値上げしても大丈夫そうですね……というのは、今のところは冗談ですが』  と、笑えないジョークを口にしたらしい。 「まぁ、そんなエピソードもあったにせよ、幸希は基本的に内面は温厚なんだ。自分が悪口言われたところで腹を立てたりしないし。……ただ、大切な人が傷つけられたと分かった途端、鬼になるから。ほんっとに、めちゃめちゃ怖いんだよ」  それはおそらく生い立ちも関係しているのだろうと花菜実は思った。大切な人が目の前で傷つけられるのを見てきたからこそ、それをことさら嫌悪するのだろう。  野上が言うには――妹の咲が小学六年生の頃、クラスでいじめに遭ったのだが、その時に動いたのも両親ではなく幸希だったそうだ。言い逃れが出来ないほどの証拠を集め、弁護士を伴って加害者の家へと赴き、表向きは終始穏やかに話を進めたらしい。  咲が通っていたのは有名私立小だったので相手もそれなりの家だったらしく、最初は高を括っていじめを認めなかった。しかし完璧な証拠を揃えられた上に、最も効果的な時――つまりは内部進学試験の時期に合わせて法的手段に訴える準備も十分整っていると、勝利の笑みを湛えながら断言されてしまえば、謝罪せざるを得なかったのだろう。  その後、ピタリといじめはなくなったそうだ。 「あいつは大学時代『講究王子』とか『リサーチ王子』って呼ばれてたほど、自分の興味を引いた物事を徹底的に調べる気質(タチ)でな。調査するルートもいくつも持ってた。卒論もかなり綿密に調べて仕上げたらしいんだけど、その時の副産物として自分でまとめたとんでもないボリュームの資料を見た教授が舌を巻いたらしい」  さらには教授が、自分の著書に彼の卒論と資料を参考文献として使わせてほしいと頭を下げたという。 「あいつ御用達の興信所・探偵は俺が知っているだけでも五、六箇所、弁護士は分野別に三人ほど、おまけにお抱えハッカーも何人かいるらしい。その辺詳しくは聞いたことないけどさ」  野上がははは……と乾いた笑いを漏らした。 「――とまぁ、こんな感じで、今回の写真捏造やスマホデータすり替えの件もサクッと解決しちゃったわけ。……事態が深刻化する前に収束してよかったな、花菜実ちゃん」 「……はい」 「漫画か映画じゃないと見ないようなハイスペックな男だから、花菜実ちゃんもいろいろ不安になることもあるかも知れないけど、あいつが本当に君のことを好きなのは、俺も保証するから。安心してつきあいな……っていうか、もう結婚するんだって? 幸希から聞いてビックリしたんだけど」  それを聞いた花菜実の表情にほんのわずかながら影が差す。 「多分……来年の三月か四月に入籍するみたいです」 「みたい、って……花菜実ってば、他人事?」  ちなみが紅茶を口にしながら笑う。花菜実は自分自身のことにもかかわらず、釈然としていないような表情を見せる。 「だって……あまり実感がなくて。ついこの間までは彼氏すらいなかったのに、もう結婚とか……いいのかな?」 「ま、それだけ花菜実ちゃんが幸希から愛されてる、ってことだよ。あいつがここまで女の子に執着するの、見たことないし」 「それより! 私、水科家のお嫁さんとしてやっていけるのか、それが不安で……! プロポーズされた時は嬉しかったから何も考えずに受けちゃったんですけど、こうして今、冷静になって考えてみたら、私みたいなちっぽけな女があんなすごいおうちに嫁ぐなんて、正直無理じゃないか……って」  言葉を重ねるにつれて肩が落ちて声に覇気がなくなっていく花菜実に、野上が眉尻を下げる。 「やっぱや~めた! なんて言ったら、幸希が泣いちゃうからそれだけはしないであげてな」 「――誰が泣いちゃうんですか?」  見ると、彼らの傍らに幸希が立っていた。 「幸希さん……」 「待たせてごめん」  不安げに見上げる花菜実を、彼はこの上なく愛おしげに見つめる。 「幸希、花菜実ちゃんがマリッジブルーになってるから、ちゃんとフォローしてやれよ? ただでさえおまえんちは普通の家じゃないんだからさ。こういう可愛らしいお嬢さんにはきっついぞ?」  野上の言葉に、幸希は柔らかい笑みを浮かべた。 「大丈夫ですよ」  その言葉はとても穏やかではあったけれど、一片の憂いも心配も混じっておらず、確信めいたものに満ちていた。 「――花菜実は自分が思っている以上に強いです。僕は全然心配していない」 「おー、言い切るねぇ」  目を丸くする野上に、彼は言葉を継ぐ。 「もちろん、僕も全力で守ります。……だから安心していいよ、花菜実」  幸希はそう告げると、花菜実の頭をそっと撫でた。絶対的な安心感を孕んだ声音と温もりに、彼女は深呼吸をひとつして。 「ありがとうございます。ごめんなさい、ちょっと不安になっちゃって……」  と、首をすくめて笑った。 「水科さん、花菜実のこと、よろしくお願いしますね」  ちなみも安堵の表情を見せつつ、頭を下げた。 「いろいろとありがとう、ちなみさん。これからも花菜実のこと、友達として支えてやってください」  それから四人でしばらく談笑した後、 「これから婚約指輪のオーダーに行くので」  と言い残し、幸希と花菜実はヴィラ・ベルザを後にした。
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