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第8話
「何これ、可愛い……っ」
直径二十五センチほどのプレートに乗せられているのは、五種類ほどのプチケーキだ。しかも単なるスクエアやラウンドタイプではなく、リンゴ型のムースだったり、バラの形をしたタルトだったりと、とにかく一つ一つの形やデコレーションが凝っているのだ。
話を聞くと、これらはシェフではなく専用のパティシエが作っているらしい。ちょっとした芸術作品だと、花菜実は感動した。
鮮やかで華やかなその見た目は、食べないで飾っておきたくなるほど美しく、そして楽しい。
花菜実はオーナーシェフと幸希に許可を取り、ケーキの写真を撮影させてもらった。
(今度ちなみに見せよう……)
外見だけでも胸がいっぱいになってしまうというのに、
「お、おいしい……」
その上、味までもが評判通りで。大声で叫び出したいのを堪え、わななく身体を精神力でねじ伏せ、花菜実は震える声で口走った。
(来てよかった……っ)
胸に込み上げてくる感動を目を閉じて受け止め、その美味しさを噛みしめた。
『オルジュ』はドレスコードはないが、来店する客はスマートカジュアル程度の服装が多い。花菜実も今日はたまたまスカートとパンプスだった。どちらも買ったばかりのもので、早く履きたくて仕方なかった気持ちが功を奏し、そのお陰で周囲から浮かずに済んだ。
二人が通されたのは、個室とまではいかないが他の席とはパーティションで仕切られたスペースの一席だった。おそらく普段から贔屓筋の突然の予約などのために確保してある席なのだろう。
最初、ケーキが食べたくてデザートメニューばかり見ていたら、
『デザートが沢山入るように、食事は軽めにしようか?』
と、幸希が尋ねてきて。コースではなくアラカルトでオードブルとメインだけを注文させてくれた。しかもシェフにもそれを伝えてくれたのか、花菜実の分は幸希のものより量を少なくサーブしてくれた。気を遣わせてしまい、何だか申し訳なく思ったが、
『家族でもたまに来るし、ビジネスディナーでも使っているし、かなり売上に貢献しているからいいんだ』
と、幸希は笑っていた。
そんな彼の気配りによって、満腹になる前にケーキを口にすることが出来たというわけだ。
どれもこれも本当に美味で、食べ終わりたくない気持ちでフォークを持つ手がつい止まってしまう。
(はぁ……幸せ)
残されたケーキを見つめ、うっとりとため息を漏らす花菜実。その姿を見た幸希はクスリと笑みこぼした。
「ケーキ、そんなに好き?」
そう聞かれ、
「はい。何よりも好きです」
上機嫌のまま、うなずいた。
「それは……ケーキが羨ましいな」
「え?」
「君に『何よりも好き』と言ってもらえるなんて、ケーキに嫉妬しそうだ」
コーヒーを口にしながら、幸希が苦笑する。
「……もう、こんな時までからかうのはやめてください」
花菜実はささやかな反抗を見せた。
と、その時、
「水科主任!」
女性の甲高い声が二人の元に届いた。見ると、パーティションの向こう側を通りかかった女性が、こちらを見て驚いていた。
「……長崎さん、こんばんは」
驚くでも喜ぶでもなく、淡々とした口調で、幸希が会釈をした。長崎と呼ばれた女性――長崎千賀子は、軽々しくパーティションのこちらへと足を踏み入れ、テーブルのそばへとやって来た。
彼女は長い髪を揺らし、全身をブランドもので固めている。それなりに美人ではあるが、気の強そうな面差しをしていた。
そして幸希に同伴者がいることを完全に無視して、
「水科主任も、こちらでお食事されてたんですね! すごい偶然! もしよければ、この後、一緒に飲みに行きませんか?」
舌っ足らずな声音と首をちょこんと傾げた仕草で、誘いをかけた。
(主任、って呼んでるってことは、会社の人かしら)
花菜実がそう思ったのと同時に、千賀子が彼女を一瞥する。好意的とは言えない視線に、花菜実は途端に居心地の悪さを感じた。
「長崎さん……ここは居酒屋ではないんです。食事中の他人に不躾に声をかけて食事を中断させるのは、マナーがいいとは言えないと思いますが」
「す、すみません……でも、水科主任とこんなところで会えるなんて、嬉しかったものですから! ……こちらの方は? 妹さんですか?」
『他人』という言葉をことさらに強調したりと、幸希の割と直球な嫌味に気づかないのか、それとも感じ取る気がないのか。千賀子は遠慮することなく花菜実のことを探ろうと必死だ。
「彼女は、僕の恋人――」
「え」
「!?」
幸希の言葉に、花菜実と千賀子が一緒に驚いた。が、幸希は平然と次の句を継いだ。
「――になってもらいたくて、今、必死に口説いてる女性です」
ですから、邪魔をしないでください――ニッコリと笑ってきっぱりと断言し、彼女の媚びを一刀両断した。
(ひーっ、何てこと言ってくれちゃってるのよっ)
「ちょ……水科さんっ」
花菜実が小声で幸希を諌める。
(私、睨まれる! 絶っ対、睨まれるから!)
危惧した通り、千賀子は射殺さんばかりな目で花菜実を睨めつけて。悔しそうに歯噛みをし、大きな靴音を立ててテーブルから離れて行った。
千賀子の姿が消えたのを見届けると、幸希は不快そうにため息を吐き出した。
「すまない。彼女は今の職場の部下で……今のように他人との距離感があまり分かっていない感じで、正直、僕も困ってるんだ」
「でも、なかなかきれいな方ですよね」
依里佳ほどではないが、少なくとも自分よりは美人であると、花菜実は判断した。
「そう? そんな風に思ったことは一度もないし。むしろせっかくの花菜実とのデートなのに、水を差されてますます敬遠したくなった」
ぼやきの中にさりげなく混ぜられた聞き捨てならない箇所に、
「デートじゃないですから。それにサラッと呼び捨てにするのやめてくれます?」
花菜実はすかさず反応した。
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