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2 三十センチ近い空
帯のように、まっすぐ廊下が伸びている。
そこに、ぱかぱかとスリッパを鳴らして進む男子生徒がいた。
塩化ビニール素材の紺色スリッパは、入学したての彼の足には少し大きい。空いているつま先からは、白ソックスの指先が飛び出していた。どうせすぐにピッタリになるから、と、母親が成長を見越して大きめのものを買ったからだ。
ふぁ、とひとつ、あくびが彼の口から逃げた。
朝のホームルーム開始を告げるチャイムが廊下まで響いて、まだまばらに残っていた生徒たちを、早くしなさいと急かしだす。
男子生徒──大谷圭介は、それでものんびりと歩き、自分のクラスである一年二組のうしろ扉を開けた。
すると突然、いのししのように飛び出してきた人物に胸へ突進されたので、思わず叫んだ。
「いてっ」
「あ、ごめん!」
どうやら、教室から出ようとした女子生徒とぶつかったらしい。学ランのボタンにぶつかってしまったのか、少しだけ痛そうに鼻を抑えているその相手には、見覚えがあった。
となりのクラスの、望月美羽だ。
圭介とは同じ小学校だったが、同じクラスになったことはなく、中学一年生となった今もクラスが違うため、あまり話したことのない相手だった。
美羽は背が低い。おそらく、百四十くらいしかないだろう。
平均身長を下回る彼女は、りすを連想させるようなクルリとした目で圭介を見上げると、次は猫のように三日月形にたわませて笑った。
「背、高いね! 何センチ?」
「は?」
それは圭介にとって、聞き慣れた質問ではあった。
幼い頃からすくすくと育った圭介の身長は、昔から平均を大きく上回っている。
この四月に行われた身体測定では百七十二センチを記録し、入学したばかりの中学でも、クラスメイトの男子たちに一目置かれたりした。
しかし、こうも不躾にいきなり身長を聞かれることはあまりなく、面食らってしまう。……が、そこは年頃の少年。女子には少し、弱かった。
「……百七十二センチ」
素直に答えると、美羽は「百七十二センチ!」と復唱し、また目をくりっとさせた。
「すごい! じゃあ、私とは定規一本分だね」
「定規?」
「私、百四十二センチなの。ね、定規一本分でしょ」
そこでようやく、美羽が言っているものが、授業でよく使われたあの三十センチ定規のことだと理解した。
なるほど、たしかに百七十二引く百四十二は、三十である。
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